お泊まり騒動
「ギャー!おい、ちょ、待て!」
「あ?」
「お前ら、花火は人に向けるなって小学校の先生に習わなかったか?!」
「だって俺、小学校行ってないもん」
「嘘つけぇぇぇぇ!!!」
「翼、お前うるせぇ」
「な……!この鬼畜野郎ー!!!」
ハハハ……楽しそうでなにより……。『EA』のメンバーは、なんでも楽しくするのがモットーらしく。兄と楓さんは花火を持って翼さんを追いかけまわしていた。エージさんはエージさんで、なぜか線香花火しかやらないし。
「線香花火は一番最後にするもんだろうが!」
そう、エージさんに突っ込んだ哀れな翼さんは鋭い目で睨まれていた。
「バカかお前ェ、俺は線香花火しかしねぇって決めてんだ!!」
……うん、もう好きにしたらいいと思う。私の隣では莉奈が
「バカな男って、律だけだと思ってた」
なんて、真顔で辛辣な言葉を吐く。それに反応した兄が
「何言っちゃってんの、莉奈ちゃん!男はいくつになっても少年なんだよ!?」
と言って莉奈に殴られていた。……何も殴らなくてもいいと思うけどね。
「テストいつから?」
翼さんを追いかけるのに飽きたのか、楓さんが私の隣にしゃがみこんだ。
「ちょうどあと一週間です」
「ふーん、じゃぁギリギリだったんだ」
「そうですね。遊べるの今日で最後かも」
「あんたそんなに勉強しないじゃん」
「な……っ!」
「ハハ。二人っていつもそんな感じ?ハルちゃんが莉奈ちゃんにいじられる、みたいな」
楓さんはすごく楽しそうに笑っていた。この前エージさんに聞いた楓さんの過去。あの話が信じられないくらい、楽しそうに。私は気付かないうちに、楓さんを見つめていたらしい。
「そんなに見つめられると照れるんだけどな」
楓さんにそう言われてハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい……」
「いや、いいんだけど。英司に視線で殺されそう」
「へっ……」
反射的にベンチに座るエージさんを見ると、楓さんを殺意が籠っているのではないかと思うほど鋭い目で睨みつけていた。
「ほ、本当にごめんなさい…」
「ハハ。でも、まさか英司がスタジオでキスするなんてね」
「……!」
急いで楓さんを見ると、ものすごく意地悪な笑顔だった。や、やっぱり見られてたんだ……!
「そ、その話はできるだけ内密に…」
「えー、結構おもしろいネタなんだけどな」
ね、ネタじゃないですから!!
「まぁ、ハルちゃんの頼みなら断れねぇや」
「お、おねがいします…」
チラッとエージさんを見ると、今度は私が睨まれていた。ひぃ!!と叫びたくなるほど鋭い目だった。エージさんは背もたれに偉そうにもたれると、チョイチョイと手招きをした。わ、私、だよね……?震えながらも、私はエージさんの傍に行った。エージさんは無言でベンチを叩く。ここに座れ、って意味なんだと解釈して、私はエージさんの隣に座った。
「お前、楓見すぎなんだよ」
「ご、ごめんなさい……」
「俺とはあんま目合わさねぇくせによ」
「……」
だって、エージさんの顔を見るのは恥ずかしいんだもの。顔がとにかく綺麗だし。まっすぐ目を見つめてくるし。楓さんの顔も綺麗だけれど、好きな人だと威力が違う。
「まぁ、いいわ。顔赤くなってなかったし」
「へっ?」
「俺見る時は顔真っ赤だもんな。照れてんの?」
「……っ」
それがわかっているなら怒らないでほしい。……でも、エージさんの意地悪な笑顔ですべてわざとだったんだって気付く。
「なぁ、照れてんの?」
私を追い詰める、エージさんの言葉。私はコクン、とゆっくり頷いた。ふっ、とエージさんが笑った気がした。こういう時、エージさんは絶対に
「……っ」
そう、絶対に。柔らかく笑っている。どんな顔よりも、魅力的な優しい笑顔で。
「エージさん」
私、本当に本当に、エージさんが大好きみたいです。ギューッて胸が締め付けられて。エージさんのことを考えると息苦しくなる。これが『恋』なんだって、私は自信を持って言い切れる。
「今、大好きって思ってるだろ」
エージさんはそう言って私を抱き締めた。エージさんの腕の中は居心地がいい。匂いも腕も温もりも鼓動もすべて、愛しく感じた。
「なんで、わかるんですか……?」
私がそう尋ねると、耳元で私の大好きなエージさんの声が響いた。
「俺もそう思ってるから」
その言葉に、泣きむしな私はまた泣きそうになった。
「花火なくなったしそろそろ帰るかぁ」
兄がそう言って、私たちは帰る準備を始めた。翼さんはずっと兄に追いかけまわされて、かなり疲れた顔をしていた。追いかけまわしていた兄のほうはまだまだ元気だったけど。ゴミを持って公園を出る。楓さんと翼さんは楓さんの車に乗り込んだ。
「んじゃぁ、ハル、莉奈ちゃん、帰ろう」
兄の言葉に、あたし私は頷く。
「英司、お前も乗れ」
車の中から楓さんが言ったけど、エージさんは動かなかった。……私の手を握ったまま。
「え、エージさん?」
どうしたんだろう、と顔を覗き込んだ時。
「帰したくねぇ」
エージさんの、低い声が聞こえた。
「え……!」
「英司、お前今何つった?」
兄がエージさんに詰め寄る。誰もが信じられない、という目でエージさんを見つめていた。
「だから、陽乃を帰したくないって言ったんだよ」
なぜかエージさんは偉そうに言い放つ。
「そこに直れぇぇぇ!!」
ちょっと鬱陶しいテンションの兄が叫んだ。
「あ?何言ってんだテメェ」
「て、テメェのほうが何言ってんだよ!」
「だから陽乃を帰したくないって言ってんだよ。何回言わせんだ」
どこまでも偉そうなエージさんに兄は怯む。
「でもハルちゃん、明日学校だよね?」
そこに楓さんのフォローが入る。けれどやっぱり皇帝エージ様は負けなかった。
「俺んちのほうが学校近いし」
た、確かにそうだけども!!
「朝まで一緒にいてぇ」
私の耳元で、エージさんは囁く。それで私の腰は砕けてしまって。ヨロヨロと、エージさんに体を預けてしまった。
「ま、そういうことだ。手は出さねぇから安心しろ」
勝ち誇ったように言ったエージさんは、私を抱えて楓さんの車に乗り込んだ。車の中はやけにシンとしていた。たまにエージさんの電話が鳴るくらい。鳴る度にエージさんは舌打ちをするから、電話をかけてきているのはきっと兄だと思う。あまりにしつこく鳴るから、車の窓から携帯を投げ捨てようとするエージさんを必死に止めなければならなかった。けれど、「エージさんとメールできなくなるの嫌です!」って私が言ったらエージさんはすぐに大人しくなる。エージさんは素直だから、正直言って扱いやすい。
楓さんは車の中で何回か、エージさんに「手出すなよ」と言った。初めこそ「楓に言われたくねぇ」って反論してたエージさんだったけれど、そのうち何も言わずに頷いていた。
エージさんは何もしないと思う。なぜか私にはそんな確信があった。楓さんもそう思っていたと思う。エージさんを諭す声は穏やかだった。翼さんは何も言わなかった。何も言わずにただ助手席に座っていた。何か気に入らないことでもあるのかな、と不安になっていたのにただ熟睡していただけって気付いた時は少しだけ殴りたくなった。
……そしてとうとう、車はお城に到着した。エージさんは、車の中でもずっと握っていた手を引いて歩き出した。振り返ると、いつもみたいに楓さんは王子スマイルで、翼さんは爆睡していた。エージさんはなぜかすごく急いでいて、エージさんの手を引かれている私は半分走っていた。二階に上がった途端、エージさんはTシャツを脱いだ。そして適当にポイッと捨てる。私が拾おうとすると、「お手伝いさんが拾ってくれるから拾わなくていい」と言われた。
私は何回もお城に来てるけど、『お手伝いさん』を見たことはなかった。すると、めずらしく私の考えていることを読んだエージさんが
「お前が来る頃にはもう帰ってる」
と教えてくれた。そうか、だから会ったことないんだ。けれど私はそれ以上聞かなかった。エージさんにとってのタブーは家族だって気がしていたから。妹さんの話しか聞いたことがないけれど、たぶんそうだと思う。エージさんは、律以外に兄弟はいんのかとか、親はどんな感じかとかよく聞いてきた。いつも私の話を微笑みながら聞いてたけど、絶対に自分の話はしなかった。話してくれないことを寂しい、とは思わない。人には触れられたくないところもあるだろうし。けれど、こんなに大きい家に一人で、エージさんは寂しくないのかな、とは思った。
「ねみぃ」
エージさんはそう言って大きな欠伸をした。そういえば、私もものすごく眠い気がする。今まで色々考えていたから気付かなかったけれど。エージさんはクローゼットから何かを取り出し、私のほうに歩いてきた。その『何か』を見て、私はピシリと固まる。ものすごーく嫌な予感が……
「風呂入んぞ」
やっぱり……。エージさんが取り出してきたのは、2枚のバスタオル。私の手を掴んでいるってことは、一緒に入る気らしい。手出さないって言ったじゃん……!
「え、エージさん…!」
「あ?」
「一緒にお風呂入るんですか?!」
私がそう言うと、エージさんは振り返って怪訝そうな目で私を見た。
「泊まりに来たら一緒に風呂入んのが常識だろ」
そんな常識聞いたことないんですけど……!私が常識知らないだけ?世の中のカップルってそんな恥ずかしいことしているの?
「で、でも!」
「あ?」
「手出さないって……」
真っ赤になって俯くと、音もなく近付いてきたエージさんが耳元で囁いた。
「俺が一緒に入るっつったら一緒に入るんだよ。俺の言うこと聞けねぇのか?」
***
チャポーン、と静かな音が響いた。正方形の広いお風呂。5人は同時に入れそうな浴槽に、私はエージさんと2人きりだった。入浴剤で白濁にしたお湯のおかげでお互いの体は見えないけれど、やっぱり恥ずかしくて私は隅で小さくなっていた。エージさんは私の反対側にドカッと座り、偉そうで。これが皇帝と平民の違いなのかと思うと自分が少しだけ哀れに思えた。不意に、皇帝が立ち上がろうとする。
「え、エージさん!」
私はそれを必死で止めた。だってだって、自分の体を見られるのはもちろん死ぬほど恥ずかしい。でも、エージさんの体を見るのも相当恥ずかしい。兄のおかげで、と言うより兄のせいで男の人の体を見るのは初めてではないけれど。やっぱり違う。兄と、大好きな人では全然違う。
「なんだよ」
エージさんが訝しげに私を見る。この人は恥ずかしくないのかな。私に自分の体見られるの。全く恥ずかしそうな素振りをエージさんが見せないから、私は自分が壁のほうを向くことにした。
「なんでそっち向くんだよ」
だから恥ずかしいんだってば……。どうしてそんなことも分かってくれないの、そう思ったけれどきっと違う。エージさんはわざとやっている。
「なぁ、こっち向けよ」
……だってそう言ったエージさんの声、すごく楽しそうだから。きっと振り向くと、エージさんは意地悪に笑っている。お湯が大きく揺れて、あっと思った時にはもう
「陽乃ちゃーん」
低くて甘い声が、耳元で聞こえていた。けれど、エージさんは私に触れてこなかった。ただ近くにいるだけ。やっぱり、エージさんは何もしない。あの約束を守ってくれるんだ。
「陽乃のことすっげー見たいけど。楽しみにとっとくことにした。すっげー触りたいけど、今は我慢する。なぁ、だからこっち向いて。我慢してるご褒美にキスだけでも欲しいんだけど」
私は少し躊躇いながらも、ゆっくりと振り向いた。エージさんは、優しく微笑んでいた。しばらく私の髪をクルクル弄んだあと、ゆっくりとキスをくれた。触れるだけの、優しいキス。それだけで心が満たされるのを感じた。
それから、エージさんが体を洗う時は必死に壁のほうを向いて、私が体を洗う時は見ないって言ったくせに隙あらば見ようとするエージさんにかなりの神経を使った。
お風呂から上がったら、手を繋いでエージさんの部屋に戻って、お互いの髪を乾かし合った。エージさんの髪は柔らかくて、サラサラ。パーマを当てているんだと思っていたのに実は天然パーマらしい。この人の外見すべてが完璧で少し悔しくなった。
エージさんの携帯は、5分おきに鳴り続けていた。もちろん、かけてきているのは兄。ちょっとだけ可哀想になってきたから、エージさんに携帯を借りて通話ボタンを押した。
「もしも『英司!!!……て、ハルか?』
「うん、そうだよ。兄ごめんね?お母さんたち怒ってない?」
『ん?あぁ、お前今日莉奈ちゃん以外の友達の家に泊まってることになってる』
「そっか、ありがと」
『いや、それよりお前大丈夫か?!何もされてねぇか?!』
「うん、大丈夫だよ。エージさん優しいから」
『優しいから、ってお前……。いいか、ハル。表面上でどんだけ優しくてもな、所詮男は狼だぞ。いい例えが楓だ。あんなニコニコして、王子っぽいけどアイツは最強だ』
兄の言いたいことは何となくわかる。楓さんの外見には私も騙された。
「兄、あたし大丈夫だから。もう切るね」
でもエージさんは何もしないって言ったから。それに兄の声が大きくていい加減耳が痛い。兄が何か言っているのも無視して電話を切った。
「律の声、俺にまで聞こえてきた」
エージさんはそう言って鬱陶しそうに顔をしかめた。
エージさんが眠そうだったから、私たちはすぐにベッドに潜り込んだ。真っ暗になった部屋で、エージさんに握られてる左手だけが異様に熱い。エージさんもう寝ちゃったかな。ドキドキしすぎて、全然寝れそうにない。その時だった。
「陽乃」
エージさんの声。何も見えない中、手を握る力が一瞬強くなった気がした。
「律とは、ずっと仲いいのか?」
「……はい、そうですね」
私はずっと、優しくてカッコいい兄が大好きだった。兄もずっと私を可愛がってくれている。
「……親とも?」
「うちの親は、親同士が仲いいんです。だから子どもは二の次っていうか……まぁ、仲はいいんですけどね」
「なぁ、陽乃」
エージさんはそう言って、布団の中でもぞもぞ動いた。そして、私を引き寄せるとギュッと抱き締めた。
「陽乃ってさ、俺のこと全然聞かねぇよな」
怒っている風でも悲しんでいる風でもない、ただただ静かな声だった。
「なんで聞かねぇの?」
エージさんの闇に、私は触れられるのかもしれない。そう思った。
「聞いていいんですか?」
「あぁ」
「本当に?」
「お前は遠慮しなくていいって言っただろ」
そう言ってエージさんは笑った。そこからエージさんの感情は読み取れない。
「エージさん」
けれど私は、勇気を振り絞った。エージさんが私に何でも話してくれるって言うなら、何も聞かないのは逆に失礼な気がした。
「エージさんは兄弟、いるんですか……?」
「あぁ。妹と、兄貴がいる」
「仲良しですか?」
「妹とはたまに会う。だけど兄貴は今どこにいるかも知らねぇ。俺、ずっと兄貴にコンプレックス持ってたんだ」
「エージさん……」
「兄貴は何でもできる完璧な男で、世渡りも上手い。だけど俺は素直じゃねぇし無愛想だし、いつも兄貴と比べられてた。それがすっげぇ嫌で…兄貴に勝てるものがないかって、そんなしょうもねぇこと考えながら生きてきた。だけど、俺がやんのは全部兄貴の真似事だ。やっと見つけたと思った音楽も、兄貴の影響。……初めて本気で好きになった女も、気付けば兄貴の婚約者だ」
「……っ」
「俺は絶対アイツには勝てねぇ。そう、思ってた。お前に出会うまで。お前が俺らの音楽聞いて泣いてくれた時。初めて兄貴の存在忘れた。初めて『俺自身』を認めてもらえた気がした」
「エージさん………」
「お前に出会えてよかった」
エージさんはずっと静かに話していたのに、最後の言葉は力強くて。私は泣いているのがバレないように下を向いたけれど、エージさんにしがみついているから絶対にバレていると思う。恥ずかしいって言ったからいやいや着てくれたTシャツが、私の涙のせいで濡れていると思う。エージさんの大きい手が私の頭を撫でた。
それからエージさんは、いつかあたしの両親に会いたい。そして今度、妹に会わせてやる。そう言った。妹さんは『里依』という名前で、私と同い年らしい。エージさんの妹だから美少女なんだろうな、と思った。
たぶん、私とエージさんは一緒に眠りについたと思う。キツく抱き締め合って、深く眠った。