大切な人



 エージさんはなかなか私を離してくれなくて、結局帰ったのは夜の11時くらいだった。でも嬉しかった。私も一緒にいたかったから。そして12時半ぐらいにメールが来た。

『お』

 ……おやすみ、って打ちたかったのかな。そう思ったから私は『おやすみなさい』と返した。エージさんは意外とマメらしい。次の日の朝にも

『お』

 とメールが来た。きっと『おはよう』って打ちたかったんだろうけど……。今日会ったらメールの打ち方を丁寧に教えてあげようと思った。
 けれど意外なことに、それを言い出したのはエージさんのほうだった。いつものように、練習が終わった後『EA』のメンバーは私を『翔』に連れて来てくれた。昨日来ていなかったから、美沙子さんは私をとても心配してくれていたようだ。正さんは

「ハルちゃんにも色々あるんだよ」

 と言った。その正さんに向かって、エージさんが

「俺に怒られたから拗ねてたんだよ」

 と笑いながら言った。そ、そんなことわざわざ言わなくていいのに……!
 そこに、山村さんを送って行っていた楓さんが登場した。『EA』のメンバーは、どうしても『翔』には山村さんを連れて来たくないらしく。練習が終わるとすぐに、楓さんは山村さんに「送るよ」と笑いかけた。
 私が責められることはなかった。逆に、エージさんの機嫌がいいから泣いて喜ばれた。
そして、それは突然だった。お気に入りのチーズハンバーグを食べている時。隣にいるエージさんが携帯で私の二の腕をツンツンしてきた。

「な、なんですか……?」
「メールのやり方教えろ」
「え……」
「え、って」

 エージさんは怪訝な顔で私を見つめてくる。そして。

「女ってメールやりたがるんじゃねぇの?」
「……っ」
「お前やりたくねぇの?」
「私の、ためですか……?」
「お前以外誰がいんだ」

 エージさんの言葉に胸がいっぱいになる。エージさんは本当に、私をキュン死にさせるつもりなんじゃないか。

「したいです。いっぱいしたいです。ほんとはいっぱいしたかったんです」

 わかったから、とエージさんは優しく笑った。嬉しかった。メールのやり方を知らないってことはエージさんとメールする女の子は、私が初めてってことだよね……?
私はエージさんに、まず送信ボタンの場所を教えてあげた。

「ここは、本当に送る時まで絶対押しちゃダメですよ」
「そんなこと言われたら押したくなるのが人間ってもんだろうが」
「そこを何とか我慢です!」

 ……こんな感じで何とか教えて。エージさんはとうとう絵文字の使い方までマスターした。

「じゃぁ、一回私にメール送ってみてください」

 私がそう言うと、エージさんは一人でメールを打ち始めた。
 そして10分後。エージさんがふん、と笑いながら携帯を閉じた。私は携帯を開いて、メールを確認する。エージさんからのメールは

「バーカ」

 と書いてあった。ニヤニヤしている絵文字と、なぜかラーメンの絵文字がついていた。

「……なんでラーメンなんですか?」
「お前髪型丼っぽいし」
「なっ!ちょっと短いだけでしょ!」
「髪の毛麺っぽいし」
「これはパーマなんです!ゆるふわなんです!」

 エージさんから見て私の髪型は『ラーメン』らしい。……かなりショック。

「…でもまぁ、似合ってるからいいんじゃねぇの」

 ラーメンが似合ってるって言われても全然嬉しくないんですけど。

「あ、そういや英司」

 タイミングを見計らって楓さんがエージさんに話しかけた。私はその話を聞かないようにした……けど。無視できる内容じゃなかった。

「お前、茜ちゃんと付き合ってたの?」
「へっ?!」

 返事したのはエージさんじゃなく、私だった。思わず立ち上がってしまった私は、楓さんに「今じゃなくて、前ね」ってなだめられてとりあえず座った。

「で、どうなの?」
「知らねぇ。なんで」
「最近付き合ってるって言いふらしてるらしい。飲み会呼んでくれたから、とか言って」
「……」
「最近暴走してる。茜ちゃんといい、山村といい。そろそろどうにかしねぇと」
「だけどどうにかしようと思ってできることじゃねぇだろ」

 翼さんが真剣な顔で会話に混ざってくる。今日は兄と莉奈はいなかった。

「ライブが終わったら落ち着くんじゃねぇの」
「でも英司、またハルちゃん傷つくかもだぞ」
「……」

 わた、し……?
 エージさんは考え込んでる様子で、なかなか口を開かなかった。私を、守ってくれようとしてるんだろうか。山村さんがスタジオに来るようになったのは、元は私のせいなのに。

「……俺が守るしかねぇだろ」

 エージさんの低い声に、思わずキュンとなる。けれど、そんなに甘えていいのかな。エージさん、私のこと嫌にならないのかな。……て、付き合っているわけじゃないからどうなのって感じなんだけど。ふっ

「でも、お前もハルちゃんとずっと一緒にいるわけじゃねぇし。てか一緒にいないことのほうが多いし」
「うん、俺もどうかと思う」

 そうだよ。それに、守ってもらわなくてもたぶん大丈夫だし……。

「陽乃、マネージャーにしたらいいじゃん」
「は?」

 マネージャー?楓さんと翼さんもポカンとしてる。だけどエージさんはただ一人満足そうに笑っていた。

「マネージャーってことは俺らの仲間なわけだし、スタジオはこいつともう一人以外入れない。それにこいつらが何かされたら俺らが動けばいい」

 この、よくわからないエージさんの提案。実はかなり効果があると知ったのは、もう少し後になってからだった。

***

「ねぇ、莉奈ちゃんって最近、スタジオ行ってないよね?どうしたの?」

 次の日の昼休み。なぜか私と莉奈と一緒にお弁当を食べると言い出した山村さんが莉奈に尋ねた。莉奈は微笑んで、そして言った。

「私、必要とされてないから」
「莉奈……」

 そんなわけないじゃん。兄、莉奈のことすごく心配してるんだよ。「莉奈ちゃんどうした?」って、毎日聞いてくるんだよ。翼さんも、あのエージさんですら。「お前じゃないほう最近来てねぇな」って、寂しそうにしてるんだよ。

「みんな、寂しそうにしてるよ……」

 私の言葉に、莉奈は悲しそうに笑った。

「楓は?」
「へっ?」
「楓は、してないでしょ」
「……っ」

 莉奈にとっては、楓さんの態度が一番気になることで。その肝心の楓さんは、特に今までと変わりなかったから。私は言葉に詰まった。相変わらず優しくて、相変わらず王子様で。山村さんにも表面的には優しくする、唯一の人。私の様子を見て、莉奈は自嘲するように笑った。「ほらね」って……。

「莉奈ちゃんってさ」

 その時、山村さんが口を開いた。そして私は、山村さんが一緒にご飯食べようって言った目的を知らされることになる。

「楓のこと好きなの?」

 背筋がゾクリとした。今まで、山村さんは楓さんのことを『カエデさん』って呼んでいた。呼び捨てになった上に、『EA』の『カエデ』としてではなく一人の男としての『楓』と呼んだから。何かがあったんだって、すぐにわかった。そしてそれは、莉奈を傷つけることなんだって、何も聞かなくてもわかった。

「楓ってさ、本気で好きになっても辛いだけだと思うよ」

 やめて、お願い。

「だって楓って忘れられない人がいるんでしょ?その人の代わりに女の子いっぱい抱いてるんだって」

 お願い……

「楓言ってたもん。私を抱いた時。本気で好きになられても迷惑なだけだって「やめて!!!」

 ガタン、と音を立てて立ち上がったのは、私じゃなくて莉奈だった。初めてだった。こんなに取り乱した莉奈を見たのは。

「わかってるの!楓に忘れられない人がいるのも、私の気持ちを知ってることも、私の気持ちを迷惑だって思ってることも、私なんて楓の目に一生映れないってことも!」
「莉奈……」

 莉奈はこんな時でも泣かなかった。目にいっぱい涙を溜めてるくせに、絶対に零さなかった。

「だってね、楓……」
「……」
「私抱いてる時、いつも目瞑ってるの。私のことすごく愛しそうに『椿』って呼ぶの」
「……っ」
「きっと楓は、『椿』って人のことが忘れられないんだよ……」

 莉奈はそう言って、お弁当をしまった。そして

「体調悪いから早退するって言っといて」

 そう言って教室を出た。ダメだ。今莉奈を一人にしちゃ絶対ダメ。そう思った私は走って莉奈を追った。

「莉奈!!」

 廊下を歩いていた莉奈に、走っていた私はすぐに追いついた。けれど何を言っていいのかわからなくて、立ち止まった莉奈を見て突っ立っていることしかできなくて。莉奈はそんな私を見て微笑んだ。そして

「エージさん、離しちゃダメだよ」

 そう言ってまた歩き出した。私はなぜか固まったまま動けなくて、去って行く莉奈を呆然と見つめていた。一人にしちゃダメってわかっているのに。莉奈を追いかけなくちゃいけないのに。私はどうしても動けなかった。
 そのまま、時間は過ぎて。ぼんやりとしたまま机に着いて、いつの間にか放課後になっていた。

「ハルちゃん、スタジオ行こ」

 そんな私を山村さんが迎えに来る。

「私、莉奈の家寄ってから行く。先に行っといて」

 私はそう言うと、教室を出た。走って走って、莉奈の家に着いた時には肩で息をしていた。そして莉奈の家の前に立つと、インターホンを押した。何を話そうとしているのかはわからない。けれど今日は、莉奈を置いてスタジオには行けない。楓さんに普通に笑いかけられるかも、自信がなかった。
 ガチャッと扉が開いて、莉奈のお母様が出てきた。

「あらハルちゃん、どうしたの?」
「あ、莉奈いる?」
「莉奈?莉奈ならまだ帰ってきてないけど」

 ……え?

「どうかした?」

 てっきり、家に帰っていると思っていた。家にいないなら、どこに……

「……っ」

 頭を、嫌な予感が埋め尽くす。相当青い顔をしていたのか、莉奈のお母様が私の顔を心配そうに覗き込んできた。

「あ、あの、そうだ。今日、兄に会いに行くって言ってたの忘れてた」
「あ、律くんに?そう、何かあったのかと思って心配しちゃった」
「ハハ、大丈夫だよ。兄がいるし」
「そうね、律くんがいるなら安心。律くんによろしく言っといてね?」
「うん、わかった」

 お母様が家に入るのを見て、私は走りだした。どうしよう。どうしよう。莉奈に何かあったらどうしよう。
 私は必死で走った。何も考えられなくて、スタジオまでの道をひたすら走った。

「兄!!!」

 スタジオに着くと、山村さんと、翼さん。めずらしくエージさんもいて。私が探していた人は、扉に背を向けて座っていた。私の声に、その背中が振り向く。

「ハル?どした?」

 聞き慣れた優しい声に、目が潤んでいくのがわかった。

「兄、兄……」

 兄はそんな私を見て立ち上がる。そして私の近くに来て目線を合わせると、優しく頭を撫でた。

「どうしよう」
「ん?」
「莉奈がいなくなっちゃった……」

 私のその言葉に、兄の目が鋭いものに変わる。

「家にも?」
「うん……」
「携帯には電話した?」

 翼さんの言葉に、私はハッとして携帯を取り出した。

「ハル、貸して」

 兄は私から携帯を受け取ると莉奈に電話をかけた。けれど、厳しい顔をして私に携帯を返した。

「ダメだ、繋がんねぇ」
「……っ」

 どうしよう。どうしようどうしよう。私のせいだ。体が震える。泣いてもどうにもならないのに。涙が滲む。

「私の、せいだ…」
「ん?」

 兄の声はいつも通り。でも心配しているのは分かった。私の肩に置く手に力が籠っている。

「私が、止めなかったから。莉奈がどっか行こうとするの、止めなかったから……」

 もし、あの時無理やりにでも莉奈を止めていたら。もし、私がもっと早く莉奈の苦しみに気付いてあげられていたら。もし、私が莉奈に気の利いたこと一言でも言えていたら。こんなことにはならなかったかも知れないのに……。そう思って泣く私の耳に届いたのは……苦しそうな声だった。

「それは、お前だけじゃないよ。ハル」
「兄……?」
「俺も、気付いてた。莉奈ちゃんが何かおかしいの。無理して笑ってんのにも気付いてた。だけど何もしなかった」
「……っ」
「俺が、何とかするわ。莉奈ちゃんはお前の大事な親友で、俺の大事な幼馴染だからな」

 いつも、そう。私が傷ついた時も、莉奈が傷ついた時も。助けてくれるのは、いつも兄。私と莉奈の代わりに、傷付いてくれるのはいつも兄。
 兄なら、まだ遅くないかもしれない。私の前では泣けない莉奈も、兄の前では安心して泣けるかもしれない。

「翼、悪いけどお前も一緒に莉奈ちゃん探してくれるか」
「あぁ、わかった」
「英司、お前はハルをよろしく。そんでここで待機しといて」
「りょうかーい」
「山村さん、悪いけど今日は帰って」
「え、でも……」
「頼むから。りっくん今余裕ないから、キレちゃうかも」

 おどけたような兄の言葉。けれど声は低くて、山村さんはそれがただの脅しじゃないことに気付いたらしい。スッと立ち上がって、スタジオを出た。

「英司、わかってるよな?楓には……」
「バレないように、だろ?わかってるって。今日は練習中止って言っとくわ」
「あぁ、悪い……。じゃぁ、行ってくるわ」

 兄は私に優しい笑みを見せて、スタジオを出た。エージさんと二人きりになったスタジオ。エージさんが私に近付いてくる足音が、やけに大きく聞こえた。

「陽乃」

 目が合ったと思った次の瞬間。

「キャッ!」

 視界がグルリと変わって、お姫様抱っこされてるって気付いたのは5秒ほど経った後だった。

「えええエージさん!重いですよ!」
「あぁ、重い」
「……」

 そんなにハッキリ言わなくてもいいのに。好きな人に『重い』って言われるショック、この人にはわからないの?!

「あ、大人しくなった」
「……」
「初めからそうしとけばいいのに。暴れられたらどんなに軽くても重く感じるっつうの」
「……っ」
「俺の力ナメんなよ?大人しいお前なら2人ぐらい余裕で持てる」

 そうやってニヤリと笑うエージさんがカッコよくて、私はわざと暴れてやった。
まぁ、

「いい度胸だ」

 って低い声で凄まれて、すぐに大人しくなったんだけど。エージさんは私をスタジオの隅にあるベッドの上に下ろした。そして、私に覆いかぶさるように体を横たえる。

「え、エージさん」
「あ?」
「ち、近いんですけど……」
「あぁ」

 あぁ、じゃなくて!!エージさんは私の顔をかなりの至近距離で見つめてくる。しかも、エージさんが体の上に乗ってるから身動きも取れなくて……。

「なんで目逸らす」

 私は目だけで逃げていた。だって、ベッドの上で、この体勢。どうしていいのかわかんないんですけど……!急に、ペロリと頬を舐められた。

「んぎゃっ!」

 私の口からは何とも色気のない声。反射的にエージさんを見ると、エージさんはそれはそれは色っぽい顔で私を見下ろしていた。

「ななななんで舐めるんですか!」
「だって、涙の後ついてるし」

 だからって舐めなくても……!恥ずかしくて必死で目を逸らす私の頬をエージさんの温かい手が包み込む。

「なぁ、お前のせいじゃねぇよ」
「……っ」
「ついでに律のせいでもねぇ」
「エージさん……」

 エージさんは私の上から降りると、横に寝転んだ。私をギュッと抱き締めながら。

「恋愛なんてもんは当事者にしかわかんねぇし、周りが何しても何も変わんねぇ」
「……っ」
「本人が心の底で何考えてんのかも、結局周りにはわかんねぇんだよ」
「でも……っ、少しでも苦しみをわかってあげたいって思うのはいけないことですか……っ?」
「んなことねぇ、当たり前のことだ。俺だって楓の仲間でもあって友達だから、楓に幸せになってもらいたいと思う」
「なら……っ」
「だけどな、陽乃。お前がもし辛い時。お前の大事な奴がお前のために苦しんでたら、救われるか?」
「……っ」
「たぶん、りなはお前を苦しめたくなかったんだ」
「………」
「だからお前はりなが帰ってきた時、笑っててやればいい」
「私、莉奈に何もできない……っ」
「笑ってんのがお前の役割だろうが。莉奈に泣き場所作ってやんのは、律の役割だ」

 その時、思った。エージさんって、ボーッとしてて、周りに全然興味なさそうだけれど実はものすごーく周りを見ているんじゃないかって。

「俺、結構お前の笑顔に癒されてる」
「……っ」
「俺だけじゃない。周りにいる奴みんな。だからみんな、お前の傍にいると優しい顔すんだよ」
「エージさ、……」
「だからりなも、お前の横でいつも、バカみたいに笑ってんだよ」
「うわーん!!」

 そうだ、莉奈は、いつも私の隣にいてくれたよね。私が辛い時も、寂しい時も、泣いてる時も。私の隣には、いつも莉奈の素の表情があった。私を叱る、厳しい顔。ただただ傍にいてくれる、優しい顔。私がドジするとバカみたいに笑う、楽しそうな顔。私10年以上親友やってるのに、そんなことにも気付けてなかったね。それに気付かせてくれたのは、エージさん。私の、世界で一番大好きで、一番大切な人。

「だから、お前はいつも笑ってろ。……俺の隣で」
「エージさん……」
「りなと、律と翼と楓に向かって」
「……うぅ」
「俺が、見ててやる」

 そう言って、エージさんは私の唇を奪った。今まで唇を軽く合わせるキスしかしたことなかったのに。そのキスは、私の全てを奪おうとするかのような、激しいキスだった。固く閉ざした口は、エージさんの舌に呆気なく開かれて。器用に私の舌を絡め取った。私こんなキスしたの初めてだけど、わかる。……エージさん、かなりキスうまいんですけど……。フワフワする頭。私は無意識に、エージさんの背中に手を回していた。そして、ギュッと服を掴む。

「ふぅ、……ん、」

 自分の口から出たとは思えないほど、甘い声。恥ずかしくなって、さらに握る手に力を込めた。そんな時。パッと、いきなりエージさんが私から離れた。私は酸素を求めて呼吸を繰り返す。エージさんの顔を見る余裕はなかった。

「それ、わざとか?」

 ボンヤリした頭に響くエージさんの低い声。私はうっすらと目を開けた。

「なにが、ですか……?」
「……いや、なんでもねぇ」

 そう言ったエージさんは、私のシャツのボタンに手をかけた。プチッとボタンが外れる音がしてやっと、私の頭は覚醒する。

「ちょちょちょ、エージさん?!」
「あ?」
「何してるんですか?!」
「何って……」

 エージさんは、あからさまに呆れたようなため息をついた。

「何、お前、服着たままがいいの?」

 何言ってんだこの人!!

「そういう問題じゃなくて!!この状況わかってるんですか?!莉奈がいなくなって、それでここスタジオ!!」

 誰が来るかわからないしそれに、私たちは大人しく莉奈が見つかるのを待つべきなんじゃないでしょうか!

「だってもう、我慢できねぇ」
「……っ」

 エージさんはやっぱり私の耳元で囁く。そして私は案の定、その作戦に負けて何も言えなくなってしまう。

「なぁ、お前俺がどんだけ我慢してたか知ってんの?」
「……」
「いつも無防備に俺の部屋入ってきてさ」
「……」
「俺の前でエロくバナナ食べるし」
「……」
「俺も健全な20代前半の男子だからさ、それ見ていろいろ想像しちゃったし?」
「……」
「俺はお前にちょっとばかし乳が足りなくても気にしねぇ」
「……」
「だからさ、抱かせろよ」
「……はい、なんて言うと思ったんですか?!」

 私は勢いよく起き上がった。何なの?!エージさんが私を『目覚まし』にしたんでしょ?!部屋に入るの当たり前じゃない!バナナをエロく食べた覚えもないし!それに!胸小さくて悪かったわね!!

「何怒ってんだよ」

 エージさんは不機嫌そうに私を見る。でも不機嫌になりたいのはこっちだ。理不尽な理由で『抱かせろ』と言われて、しかも面と向かって『胸ない』って言われて。怒らない女の人がいるなら見てみたい。けれどエージさんは一言で、私の怒りを鎮めてしまう。

「惚れた女を抱きたいと思って何が悪い」
「……っ」

 それ、反則。エージさん、私に惚れてるの?いや、もしかしたら、もしかしたら……って、結構期待なんかしちゃったりしてたけど。ハッキリ言われたのは初めてで。私の心は早くも2回目を求めてる。

「え、エージさん……」
「あ?」
「私のこと、どう思ってるんですか……?」
「言ったら抱かせてくれんの?」
「……」
「嘘だって」
「……っ」

 そっぽを向いた私を、エージさんは後ろから抱き締めて。耳元で、とびきり甘く囁いた。

「……好きだ」
「……っ」
「陽乃、俺はお前にどうしようもないくらい惚れてる」
「エージさ、……」
「だからこっち向け」

 その甘すぎる命令に私が逆らえるわけもなくて。振り向くと同時に、唇を塞がれた。さっきとは違って一瞬触れるだけで離れた唇。エージさんはニヤリと笑って、ペロリと私の唇を舐めた。

「……っ」
「お前は?お前は俺に惚れてんのか?」

 ……わかっているくせに。真っ赤になる私を見てクスクス笑うエージさんは意地悪だと思う。

「なぁ、言えって。俺に惚れてんだろ?」

 恥ずかしくて、私はエージさんの首にギュッと抱きついて言った。顔を見られていると言えないと思ったからだ。

「惚れて、ます。本当に本当に、大好きです」

 エージさんがフッと笑った気配がして、私はギュッと抱き締められた。

「……ちょっと、焦りすぎた」
「え?」
「お前が俺に惚れてんのなんて丸分かりなのになぁ」
「……」
「さっき、嫌だったか?ごめんな」

 きっと、『抱かせろ』って言われた時のことだと思った。だから私は、恥ずかしいけれど頑張って言った。

「嫌、ではないです。初めては絶対エージさんがいいって思うし……。だけど、もうちょっと待ってほしいです。もうちょっとだけ、愛されてる自信ができたら」

 そしたら躊躇なく、エージさんの胸に飛び込みたい。大好きな匂いがする、大好きなエージさんの胸の中に。

「そうだな、俺も。もうちょっと自信持ってから」
「わ、私はエージさんしか見てないですよ?!エージさんしか、もう好きになれないって思うし……」

 私がそう言うと、エージさんはフッと笑った。

「それ、俺もなんですけど」
「……っ」
「だからさ、もうちょっとお互いのこと知って。嫌なとこ見てもやっぱりすっげぇ好きって思ったら、そん時にエッチしよう」
「……」
「俺、ほんと焦りすぎだよなぁ。律にヤキモチやいた」
「え……」

 エージさんの言葉に嬉しさと戸惑いが同時に押し寄せる。あ、兄は兄なのに。私にとって兄は男ではなく、兄だ。

「だってお前、ほんとにヤバい時俺じゃなくて律頼るだろ」
「……っ、でもそれは…」
「あぁ、わかってる。アイツはお前のこと俺より知ってるからな。つまんねぇ嫉妬だ」
「エージさん……」
「お前が俺のこと大好きなのも、律のこと兄として大好きなのもわかってる」
「……」
「俺の大事な奴って、みんな過呼吸持ってんだよなぁ」

 この前、兄が言ってた。エージさんの妹さんも私と同じ『クセ』を持ってるって。だから、私はエージさんの言う『大事な奴』は、妹さんを指してるんだと思っていた。……もちろん、妹さんも含まれてたんだろうけれど。この時エージさんの頭の中にいたのは違う人だったって、私は後に気付かされることになる。

「だけど俺は一度も、大事な奴の精神安定剤になれたことねぇ」

 その時私は……エージさんの『陰』を見た。
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