元・好きな人

「センパーイ、今日飲みに行きませんかぁ?」

 昼休みが終わって課に戻ると、亜美ちゃんが思い出したように鞄から何かの紙を取り出した。

「実はー、今日新しく出来た居酒屋のクーポン券配っててー、折角だから行きません?」

 見れば何と生ビール半額の文字。行こうかなぁとワクワクしていると、亜美ちゃんが関くんに

「関くんも行くー?」

 と聞いた。すると関くんは、

「……いや、やめとく」
「何でー?」
「航佑、今日同期で飲み会だもんね」

 亜美ちゃんの質問に、関くんの代わりに横谷さんが答えた。それはもちろん……、横谷さんもいるんだよね?仕方ないとは思いつつも、少し落ち込んでしまった。……でも、亜美ちゃんと飲めるし!仕事頑張ろう、と気合を入れたのだった。
 居酒屋さんは安さが売りのチェーン店で、定時で上がってお店に行ったのに既に混雑していた。すごい人ですねぇ、と言った亜美ちゃんに頷きながら通された席に座る。やっぱり生ビールですよね、と言う亜美ちゃんに同意して店員さんを呼ぼうと顔を上げた時。

「あ!」
「あ」

 店員さんに案内されている根岸くんと、目が合った。

「辻さんも飲みに来てたんだ!俺は一人で来たんだよね。寂しいだろ?」
「えっ、う、ううん」
「センパーイ、知り合いですかー?よかったら一緒にどうですか?」
「えっ、いいの?」

 あ、亜美ちゃん勝手なこと言わないで!でも私の戸惑いも無視して、二人は勝手に話を進める。そして、いつの間にか私の隣に根岸くんが座っていた。

「飲み物何にしますー?私カシスオレンジ」
「えっ」
「何ですかぁ?」

 怖い怖い怖い怖い!その絶対零度の笑顔怖い!さっきまで生ビールと言っていた亜美ちゃんは、路線を変更したらしい。いつも以上に愛想良く、そして胸の谷間も見せつけるように座っている。これが門倉亜美の本気か……。余りの変わり様に感心していると、根岸くんが飲み物を聞いてくれたので生ビールにした。だって……クーポン……。

「どういう知り合いですかぁ?」
「高校の同級生だよ。最近たまたまスーパーで会ってさ」
「じゃあ、センパイの彼氏見ました?センパイこれでも彼氏持ちなんですよー。私はフリーだけどぉ」

 地味に私馬鹿にされた。また口の端を引きつらせる。彼氏持ちは入ってくんなアピールだよね?自分がフリーだってこともアピールしてるしね?分かってる!亜美ちゃんの邪魔はしないから大丈夫!!

「あー、彼氏いたんだ。見なかったな。何だ、彼氏いるんだ」
「う、うん、まぁ……」

 亜美ちゃんが根岸くんに気付かれないようにギロッと私を睨む。う、ご、ごめんって……!

「根岸さんって高校の時どんな感じだったんですかぁ?やっぱりモテモテ?」
「え、そんなことないよ」
「ううん、すごかったよ。他校にもファンの子いたもんね」

 照れ臭そうに笑う根岸くんは相変わらず爽やかだ。そう言えば、高校の頃はこの笑顔が眩しくて仕方なかったな。遠くから見つめていた根岸くんが、今隣にいて一緒にお酒を飲んでいるって不思議。

「えー、まさかセンパイも好きだったとかぁ?」
「えっ!!」

 相変わらず亜美ちゃんは鋭い。図星を突かれて真っ赤になる私を見て根岸くんが驚く。知らないはずだよ。そもそも私を覚えていたことがびっくりなんだもん。

「ごめん、俺全然……」
「気にしないで!私地味だし話したこともないし」
「でも、知りたかった」
「え?」
「だって高校の時は彼氏いなかったんでしょ?」
「え……」

 どういう意味?真意が掴めなくて根岸くんを見ると、根岸くんは切なげな瞳で私を見つめていた。え?その時、コホンと大きな咳払いが聞こえて、ハッとして恐る恐る亜美ちゃんを見て……。

「……」

 だから亜美ちゃん、顔怖いってば!!元々隣とは言え遠くに座っていたけれど、根岸くんから更に距離を取った。邪魔しません!! それから根岸くんに積極的にアピールする亜美ちゃんと、楽しそうに話す根岸くんを少し離れたところから見ている私、という奇妙な図が出来上がった。
 帰る時には亜美ちゃんはフラフラしていて、根岸くんに寄りかかった。……まぁ、飲み会で亜美ちゃんがお酒が強いことはよく知っているけれど余計なことは言わないでおこう。亜美ちゃんがカクテル二杯で酔っ払うわけないけどね。

「辻さん、送るよ」

 根岸くんはそう言ってくれたけれど、断った。酔っ払っているはずの亜美ちゃんが般若のような顔で私を見ていたからだ。

「じゃあ連絡先教えて」
「え……」
「また一緒に飲みに行きたい」

 こういう時って、どうするべきだろう。断ると固すぎるんだろうか。だって根岸くんは同級生として誘ってくれるんだろうし、断ると「何勘違いしてるんだ」って思われる?でも……。でももし関くんが同じようにしていたら……。

「……ごめん」

 関くんのことは縛りたくないし、好きなようにしてほしいと思う。でも、不安にはなる。私より素敵な女の子なんて山のようにいるから、関くんが私を好きじゃなくなってしまうんじゃないかって。もし、もしも関くんが私がしたことで嫌な思いをするなら、それはなるべくやめたいと思う。関くんに、もっともっと私を好きになってほしい、ずっとずっと好きでいてほしい。だから、関くんが心配するようなことはしたくない。

「亜美ちゃんのことよろしくね」

 亜美ちゃんに手を振って、私は二人から背を向けた。関くん、もう帰ってるかな。早く会いたいな。 家の最寄駅で降りて改札を出る。そして。

「……おかえり」

 前に私が関くんを待っていた同じ場所に、関くんが立っていた。嬉しくてニヤニヤしてしまう。

「ただいま!」

 そう言うと、関くんはふっと笑って手を差し出してくれた。その手に手を重ねる。ああ、大好きだなって。毎日思う。毎分思う。どんどんどんどん気持ちが膨らんでいく。重くて関くんを押し潰しちゃわないかって不安になるくらい。関くんのことを考えると、嬉しくなると同時に胸がぎゅっと苦しくなる。高校の時の、見ていただけの恋とは違う。私は今、関くんと向き合っている。自分なりに。

「飲み会楽しかった?」
「うん、まぁまぁ。七瀬さんは?」
「亜美ちゃんが楽しそうでよかった」

 私の言葉に、隣を歩く関くんが笑う。斜め前、少し高いところにある関くんの横顔。見つめていると、関くんが空を見上げたから私もつられて見上げた。

「星綺麗だね」
「うん」

 関くんと一緒なら何でも輝いて見えるだなんて、恥ずかしいことは口に出せないけど。心の底から思う。

「七瀬さん」
「何?」
「俺、七瀬さんとしたいこと見つけた」
「え、何何?」
「どっか旅行行きたい。温泉でも何でも、七瀬さんが行きたいところ」
「うん……!」

 初めての彼氏が、関くんでよかった。
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