ヤスくんの本音6

「おはようございます」
「ああ、おはよう」

 私と主任は、付き合う前に戻った。気まずくなんてない。主任だって普通だし。私も感情を隠すのは得意だ。
 桜井さんはどうやら同じ会社の別の支社にいる人らしい。私はよく知らないけれど、最近はうちにいていつも主任と行動を共にしている。距離が近いから付き合っているのではないかと噂だ。
 竹田さんや先輩の心配そうな視線が少し痛い。私は意外と平気だ。私の片想いだったのだから、仕方ない。
 先輩に会議室の準備を頼まれて向かった。PCと、水を配るのと、あとタブレットの準備……。やることを頭の中でリストアップしながら会議室の前に立つ。ドアの取っ手を持って開けようとした瞬間。

「ヤスくん、本当にあの子のこと好きだったの?」

 あの人の、そんな言葉が中から聞こえた。今から準備しないといけないんだけど、それここで話さないといけないことなの?はぁ、とため息を吐く。後にしよう。

「……それ、仕事中に話すことか?」

 呆れたような声の主任に全力で同意する。でも、あの人は構わず続けた。

「だってあの子軽そうじゃない。昨日も簡単にお持ち帰りされてた」
「……」
「しかもあの子から誘ってたよ。ヤスくんには合わないんじゃない?」

 もう関係ない。だから、お願い。もう私の気持ちを掻き乱すようなことするのやめてよ。みんなみんな。もう、主任は関係ないんだから。

「……そんだけ俺が、傷付けたってことだろ」

 何かを堪えるような声だった。主任はポツリポツリと、私の知らない彼の気持ちを口に出した。

「俺は、あの子のことをよく知ってる。素直じゃないところも、意地っ張りなところも、ちょっと小悪魔なところも、俺が触れると緊張でガチガチになるところも、全部」
「……」
「お前よりも、日向よりも響よりも他の男よりも俺が一番よく知ってる」
「……」
「だから知ったような口ぶりであの子の悪口言ってんな」

 一つだけ、分かったことがある。

「失礼します」

 コンコンとノックをして中に入ると、主任が背筋をピンと伸ばした。焦ったような顔、久しぶりに見たかも。

「ど、どうした?」
「会議の準備です」

 ニコッと微笑んで準備を始める。二人は資料の最終チェックをしていたらしい。やっぱり距離が近かった。

「私先に行ってるわね」

 しばらくすると、桜井さんが一人部屋を出て行った。二人になった部屋。主任が口を開いた。

「会議、唯香も出るんだよな?」
「はい、その予定です」
「そっか」

 静まり返った部屋。水を配り終えたところで、次は私が口を開いた。

「私、やっと主任の気持ちが分かりました」
「え?」
「気持ちに応えられないのってなかなか辛いですよね。私、主任のこと困らせてたなーって」
「……」
「無理に付き合わせてすみませんでした」
「……」
「主任が少しでも私を好きだと思ってくれたなら、それだけで満足です」

 多分、ずっと好き。でももういい加減、やめなきゃ。一生特別な人。でも、もう困らせたくない。頭を下げると、ドアまで走った。拗らせた初恋は、封印しなきゃ。
 ドアの取っ手に手を掛けた時、ダンッと後ろから主任の手が伸びてきてドアを押さえた。

「……唯香は全然分かってないよ」

 主任はさっきからずっと、何かを堪えるような声だ。振り向くとドアに押さえ付けられてキスをされた。貪るようなキスだった。頭が真っ白になる。

「本当に、全然分かってない。主任って呼ぶな」

 見上げた主任の顔は、私と同じように歯を食い縛っていた。主任が会議室を出て行く。私はその場で崩れ落ちた。
 その後の会議で、主任の異動が発表された。地元の支社への異動だった。

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