上司の竹田さんはいい人だ。
「児玉ー、柴崎さんとのこと協力して?」
「いや」
私も充分通ることが予想される、そして実際通って話も聞いてしまっている休憩所で竹田さんは同期の児玉さんにそんなことを言っていた。どう対応するのが正解だろう。児玉さんは、よく一緒にランチをする先輩だ。前に映画のチケットをくれた人だから、私が主任を好きなことは知っている。
「なんで!!」
「いやだから」
立ち尽くしていたら先輩と目が合った。気まずさから苦笑いすると、児玉さんははぁぁぁと深い深いため息を吐いた。
「鈍感な男はモテないよ」
ポンポンと竹田さんの肩を叩いて先輩がこっちに来る。先輩の背中を追いかけようと振り向いた竹田さんと、目が合った。ハッと固まった竹田さんに会釈する。ここは私から何か言うところではないかな。そう思って立ち去ろうとしたら。
「ま、待って柴崎さん!」
呼び止められた。どうしたらいいんだろう……。とりあえず立ち止まって竹田さんと向かい合う。竹田さんは後頭部に手を置いて照れ臭そうにしていた。
「あー、今の聞いてた?」
「……すみません」
「いや、いいんだ!えっとさ、柴崎さんさえよかったら、今度映画でも……」
「ごめんなさい!」
「え」
「私、好きな人がいるんです」
ガバッと頭を下げたら、竹田さんは何も言わなかった。恐る恐る顔を上げると、さっきの顔のまま固まっている。その顔が、少しずつ色をなくしていって。
「あ、あの、竹田さん……」
「えっ、あ、ごめん!そっかそっか!気にしないで!俺平気だから!」
そう言いながら歩いていく竹田さんは壁やドアに激突しながらどこかへ行ってしまう。大丈夫かな……そう心配していたら、大丈夫じゃなかったようだ。
「竹田ー」
「……」
「竹田ー」
「……」
「あれ、竹田固まってんの」
その後、ヤスくんの呼び掛けにも答えないほどボーッとしていて、先輩にパシンと頭を叩かれていた。
***
「今日竹田と何かあったの」
初めて家に来た日から、週3くらいのペースでヤスくんの家にお邪魔している。ご飯を食べ終えてまったりしていたら、ヤスくんにそう聞かれた。
「う……いや、あの……」
「……何」
「映画に誘われて、好きな人がいるから無理ですって断ったの」
「……」
「そしたらあの、ああなっちゃって……」
私にはどうにもできないことだけど、私のせいと言えば私のせいなのだ。怒られるかなぁなんて思っていたら、ヤスくんが苦笑いした。
「唯香ってモテるんだよな」
「へ?」
「贔屓目に見なくても可愛いし?まぁ仕方ないか」
「えっ、急に何……」
「ううん、俺ものんびりしてらんないなーと思っただけ」
ヤスくんってこれを天然でやってるならかなり悪い男だと思う。ヤスくんの言葉が私にどれだけ影響を与えるか分かっていないのだ。
「ヤスくん」
「んー?」
「くっついていい?」
「えっ」
「いいよね?」
「ちょちょちょ、唯香最近キャラ違うよね?大丈夫?!」
「素直になることにしたの」
「素直?」
「そう。ずっと素直になれなくて上手く行かなかったから。私はヤスくんが好きだしくっつきたいって思う」
隣に座るヤスくんに少し寄ったら、ヤスくんは少し後ずさった。
「何で逃げるの?!」
「いや、あのさ、男には色々あんじゃん?だからさ……」
「ヤスくん、私に触れたいって思うんだ?」
わざと胸を寄せて、前屈みになってみる。ヤスくんは胸をチラチラと見て、真っ赤になっていた。
「ふふっ、そろそろ帰るね」
「っ、唯香!」
後ろでヤスくんの焦った声を聞きながら、笑って家を出た。
夜は少し涼しさを感じる季節になった。並んで駅までの道を歩きながら、他愛ない話をする。
「秋になったら紅葉狩り行きたいなぁ。美晴ちゃんも呼んでみんなでピクニックしよっか?」
「そうだなぁ。アイツ呼ばないと怒られるもんな」
こうやって約束ができるのも幸せなことだなぁ。隣を歩くヤスくんは、私がいることが当たり前みたいに、普通に歩いている。再会した頃に比べたら、そんな普通のことでも嬉しくて。少しだけ、気付かれないようにヤスくんとの距離を詰めて寄り添って歩いた。
駅に着くと、ヤスくんが私を振り向く。
「じゃあな」
「うん、送ってくれてありがとう」
「家着いたら連絡しろよ」
「はーいお父さん」
「違うから!!」
笑いながら、ヤスくんに手を振って歩き出す。次の瞬間。くっと手を握られて後ろに引っ張られた。わ、とバランスを崩した先には、ヤスくんがいて。
「……さっきの仕返し」
耳元で聞こえた言葉にぎゅっと目を瞑る。そっと抱き締められた私は、ドクドクと高鳴る心臓に耐えきれなくて。
「や、ヤスくん、」
「……おやすみ」
すぐに離れたヤスくんは、ポンポンと頭に手を置いて帰って行った。……ダメだ。今日はドキドキしすぎて寝られそうにない。
はぁ、と幸せのため息を吐いて改札に体を向けたら。改札の向こうで立ち尽くす竹田さんと目が合った。
「いやー、まさか主任だったとはねー」
気まずい空気の中、竹田さんが笑いながらそう言う。明らかに無理をしているから、申し訳なくて苦しい。
「いつから好きなの?」
「……すみません、実は幼馴染で。子どもの頃から……」
「……そっか」
竹田さんが空を仰ぐ。叶わずに終わる恋なんて、きっと世界中で数え切れないくらいある。私の初恋だってそうだ。私は運が良かったんだ。その人にまた出会って、こうやって一緒にいられるんだから。そう、決して珍しいことじゃない。でも自分が当事者になると、苦しくて切ない。気持ちに応えられないことが、辛い。
「幸せになってね」
「え……」
「いや、主任なら大丈夫か」
「竹田さん……」
「俺のことは本当に気にしないで!俺もう平気だからさ!ね!」
私の上司の竹田さんは、本当にいい人だ。