友達から始めましょう

 ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。
 自分の荒い息と階段を駆け上がる音が大きく聞こえる。ああ、もう若くないな。昔なら階段ダッシュくらいで脚が怠くなることもなかったのに。
 最後の踊り場を越えるとやっとドアが見える。磨りガラスの窓から溢れる光が希望の光だ。

「だーっ!着いた!」
「遅ぇぞ」
「す、っごく、はし、って、きた!」
「息の切れ具合で分かるけどな。ほれ、座れ」
「いつも、いつも、すみ、ません、なぁ」
「いいってことよ」

 屋上で私を待っていたのは同僚の三上淳宏。イケメンでちょっとクールでとても気がきくぅなんて後輩女子たちにモテモテだったりするけれど、私にとっては同僚の中の同僚。めっちゃ気が利く。話しやすい。男を感じない。最高の同僚であり男友達である。

「三上くんの買ってきてくれるカフェオレは最高ですなぁ」
「コンビニでもスーパーでも売ってるやつだけどな。それよりこれ食べろ」
「ういーっす待ってましたぁ!!」

 三上がベンチの上に広げていたのは最近オープンした人気のパン屋さんのサンドイッチ。ローストビーフ、トマト、レタス、チーズが入ったそこまで珍しいものではないけれど、これがたまらなく美味しくて昼前には売り切れてしまう超人気のものなのだ。
 三上は営業でよく外回りに行くので、待ち時間とやらによく買ってきてくれる。

「すまないねぇ、並んでまで」
「今田舎のばぁちゃん思い出したわ。……別に、俺が行く時間は並んでねぇからいい」
「へー、そうなの」
「おう。ほい」
「いやっふー!」

 幼児をお世話するお母さんみたいにカフェオレにストローを挿し、サンドイッチの包みを開けてくれた三上の手からサンドイッチを貰う。とろりと垂れるチーズが食欲をそそった。

「いっただっきまーす!」
「おー」
「おいすぃーー!!」
「感想早ぇな。レタス落ちてんぞ」

 三上は自分も食べながら私のお世話をしてくれる。いつもこんなだ。私たちの関係を知っている他の同僚たちは母親と幼児みたいだと口を揃えて言う。

「そういえば、昨日の婚活パーティーどうだった?」
「ぐふっ」

 三上の突然の質問に私のメンタルは削られた。もう立ち直れない。辛い。

「三上ー、それ禁句だぜ」
「ぶはっ」
「笑うな。三上のせいで私の人生は後60年ほどで終わる」
「そんだけ生きりゃ充分だろ。お前そんなに結婚したいの」
「当たり前だろう?自分がモテるからって結婚できない私を馬鹿にしてるな?」
「別に。……つーか、結婚したいなら俺でもいいんじゃね?」

 ……。
 ローストビーフの最後の一欠片がポロリと落ちた。三上はいつもと同じ表情で「あーあ、もったいね」とそれを拾った。

「え、今何つった?」
「もったいね」
「違う、その前」
「結婚したいなら俺でもいいんじゃね?」
「え?」
「結婚したいなら俺でもいいんじゃね?」
「い、いやちょっと何回も言うのやめて心臓壊れそう」

 無駄に顔面偏差値が高い男に言われると動揺する。たとえそれが何とも思っていない同僚でも。いや、でもこの場合顔は関係ない。生まれて初めてプロポーズされている。

「わ、私処女だけど」
「急にそんなこと告白されてびっくりしてるけど、別に問題ない。優しくするし」
「す、するんだ」
「結婚するならセック……」
「言わなくていい!あ、あの、本気?」
「ああ」
「私が誰か分かってる?」
「花田舞子26歳処女」
「ちゃんと分かってるな……」

 二人の間に今までになかったぴりぴりとした空気が流れる。私はこの状況を打破する術は知らない。恋愛経験がなさすぎる。

「あ、あの、友達からお願いします……」
「友達でもなかったことはショックだけどまあいいよ」

 三上は「ごちそうさまでした」とパンと手を合わせた。私は食べるどころではなくなったので、とりあえずカフェオレのストローをイジイジしてみたのだった。

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