1000Hit&X'mas企画 | ナノ



ふわふわと夢幻の間をさまよっているような気分だった。ただ感じるままに、ふわり、ふわり。今の私が何かを考えることに、一体どれだけの意味があるというのだろう。前々からあれやこれやと想像をめぐらせてはいたけれど、現実は小説よりも奇なり。今まで私が体験してきたことも、見てきたものも、頭の中で考えてきた空想でさえもあっさりと越えて。

例えてみればそれは、タイタニック船のダンスホール。ヨーロッパの王族が代々受け継いできた、ダイヤとルビーの散りばめられた豪奢な首飾り。貴族の姫が着る、金糸で飾り付けられた、輝く絹のオーガンジーのロングドレス。裕福な商人が用意する、肉や果物をあふれんばかりに盛りつけた白磁の皿。後ろでは粛々と、楽団が優美な音楽を奏でている。

その全てが、ここにあった。
今私がいるここは、夢かうつつか。
どちらにせよ、夢のような風景の中を私はさまよいつづける。

私は慣れぬ化粧をして、首にはどっしりと重い本物の宝石でできたネックレス。きちんと整えられた髪にも、金細工の髪飾りが差し込まれている。かすかに振りかけられた香水が、歩くたびにかすかに香った。ひやりとしたドレスの布が太ももをなでる。その感触に一瞬身をすくめるも、まっすぐに背を伸ばす。

隣の男は、全くいつもの通りに不遜に笑っている。そう、いつも通りに。

耳へ流れる音が心地よい。管弦楽団の奏でる旋律、落ち着いた女性達の歓談、上品な初老の男性の言葉、そして彼の声。
耳を傾けても美波にはよく分からぬ話だ。それもそうだろう、仕方のないことだ。この人たちは、別の世界で生きている。昔で言えば、ブルジョワジー、上流階級、王族貴族。食べるものから見るものまで、何もかもが美波とは違う。それだけじゃない、ここの場所にいる目的も。

片手の丸いお盆にワイングラスをたくさん乗せたボーイさんが近づいて来た。シャンパンはいかがですかお嬢様、アルコールフリーですよ、と声を掛けられる。真っ白なシャツと真っ黒の服、そして蝶ネクタイの彼は愛想良く微笑む。横からもらっておけ、と声がして、彼がすっと手を伸ばす。

ここにいるのは財閥の人か、財閥と近しい関係の人、それからボーイさんやシークレットサービスのような雇われた人だけ。

私は、どちらに入るのだろう。
どちらにも、入らない。

彼から渡された透明のグラスの冷たさが、美波のほてった指先を冷やす。口紅が落ちないように軽く口をつけると、シャンパンのフルーティな芳香が感じられる。優しく舌を刺激する、しゃれた飲み物。
どれも、夢を覚ます要因になりはしない。

美波はただ黙って、景吾の隣にいる。彼は跡部財閥の御曹司らしく、大人たちと話をする。来年の経済がどうの、新しい事業がどうの。たまに彼は、私の娘はどうですかと声を掛けられて、隣の美波の腰に手をまわす。珍しく俺様とは言わず、丁寧な言葉で、私の婚約者の高原美波ですと紹介される。美波はできるだけ奇麗に笑って、教えられた通りに非の打ち所のない礼をして、挨拶をする。

今日美波がここにいる理由の一つは、これ。娘さんを婚約者にしてくれと言ってくる人たちの願いを断るために、ただの恋人なのに婚約者のふりをする。もちろん、クリスマスだからっていう理由もあるけれど、二人で楽しむためにここにいるわけじゃない。ここは大人の社交場で、同時に戦場でもある。
気を付けすぎれば緊張で疲労が溜まる。気を抜けばいいように食われる。あくまでも非礼のないように、それでも自分の我を通したい。そのためには、いくつかテクニックが必要で。
言うなれば、跡部家を、というよりも跡部景吾ひとりを助けるために、ここにいるようなもの。それでも良いのだ。こんな経験、私には二度とできないかもしれない。


「おい、大丈夫か」


彼を訪れる人の波がとぎれたちょっとした合間に、彼はささやく。美波はだまって彼の手にちょっと触れて、うなずく。完全に場の空気にのまれている。跡部財閥主宰の、このパーティーが始まる前までは、バイキングでありったけ食べてやろうとか、せいぜい楽しもうと思っていたけれど、実際はとんでもない。

彼はまた、やってくる人にそつなく対応し始めた。美波は密かに、右足を浮かせる。慣れぬハイヒールを履いた足が、今頃になってじわじわと痛み始めた。柔らかい皮の感触も、今はつらい。その痛みが美波を夢から少しだけ、冷めさせる。ああ、あと2時間だけなのに。景吾に恥をかかせるわけにはいかない。だから、何食わぬ顔で背を伸ばす。満面の愛想笑いを顔に乗せて。



***



「いくぞ」


彼は突然、美波の手を引いて、さりげなくホールサイドの休憩室に入った。足がつらくて、だんだん何が何だか分からなくなっていた美波は、あっけにとられる。いきなり歩き出されて、右足の痛みが強くなった。まだ、パーティーは終わらないのに。
景吾はすっと美波をソファに座らせると、ひざまづいた。


「え?」

「ふん、やっぱりな。なんで言わなかった」


彼はするりとハイヒールを脱がせて、美波の足に触る。景吾の眉間にはしわが寄っていた。美波はうつむいた。


「……だって」

「いいわけは聞かねえ。ふん、もういい頃合いだろう。行くぞ」


ぐい、と抱き寄せられて、美波は宙に浮いた。美波は景吾に横抱きにされていた。彼はホールとは逆の方向、出口の方へ向かって歩く。そこにはお客さんの姿は見えず、ただ警備をしている男たちが立っているだけだ。


「え、ちょっと、景吾っ、大丈夫だから」

「俺様が大丈夫じゃねえ。ちゃんとつかまってろ」


景吾の首に両腕をまわして彼の顔をのぞき込むと、まだ彼は眉をひそめていた。怒らせちゃったかな。なんで気がついたんだろう。普通にふるまってたつもりだったのに。結局、助けるつもりで足をひっぱってしまった。


「そんな顔すんじゃねえよ、怒ってるわけじゃねえ。どのみち、パーティーには最後までいるつもりはなかった」


パーティーをやっていたウォーターサイドの三つ星ホテルの中でも、妙な場所についた。人気がなく裏口のようだが、それにしてはしっかりした作りの扉。後ろから着いてきていたボーイさんが扉を開けると、そこは船着き場になっていた。目の前に、闇夜にも鮮やかな真っ白の船が停泊している。そこそこ大きな船で、女性的で優雅な姿だった。
船の前で待機していた執事さんらしき初老の男性が、美波にコートをかぶせてくれた。


「どこにいくの?船?」

「ああ、俺様の船だ。行くぞ」


彼は美波を抱えたまま、階段を上って甲板に立つ。甲板の上にはガラス張りになった一角があって、そこには大きなソファ、テーブル、そして湯気の立った料理、飲み物。2人ほど執事さんが立っていて、景吾に頭を下げた。彼はソファに彼女を降ろすと、ぴしりとした声で「船を出せ。予定通りに運行しろ」と言った。そして、船室の方へ向かっていく。

ガラス張りの一角には電気がほとんどついておらず、暗い。ただ、ろうそくがところどころで灯っていた。

その間に、先ほどの初老の男性がそっと美波の足に触れて、靴ずれの手当をする。にこにこした彼に、美波は申し訳なくなった。


「あの、すみません、ご迷惑おかけして。ありがとうございます」

「いえ、お礼を言いたいのはこちらの方ですよ」

「え?」


静かな声をした男性は、笑みをこぼした。彼の顔に刻まれた深いしわが、まるで跡部家の歴史を物語っているようだった。


「毎年、景吾お坊ちゃまはこのパーティーが終わった後、いつも不機嫌なのです。イヴにここまで機嫌がいいお坊ちゃまは初めて見ました。あなたのおかげでしょう」

「私は何もしていません。むしろ、足をひっぱってしまったみたいで」

「いいえ。さあ、お坊ちゃまが帰っていらっしゃいました。どうぞ船旅もお楽しみ下さいませ、お嬢さま」


いつの間にか、船は出航していた。静かな波の音。街の喧噪が徐々に離れて、陸の明かりが小さくなっていく。
彼はにっこりと微笑むと、暗い船室に戻っていった。それと入れ違いに、景吾が入ってくる。暗くて、表情がよく見えない。彼は黙ったまま美波の隣に腰を下ろし、なぜか、美波を膝に乗せて後ろから抱えた。美波の顔の後ろで、彼がニヤリと笑ったのが分かった。


「これでようやく二人っきりだな。どうだ?俺様特別のデートコースは」

「うん……」

「なんだ、不満か?」

「嬉しくて、でも、こんなに豪華で、いいの?」


景吾は後ろから手を回して、美波のほほをなでた。そして、耳に口を近づけて、見ろ、と囁く。

暗い海、そこにぼんやりと浮かぶ白い船、夜の帳の中で二人っきり。まるで他には誰もいないような空間。すっかり沖に出た船からは、日常を過ごす俗世は遠い。
水平線に、まるでミニチュアモデルのように都が光となって浮かぶ。背の高いビル、ホテル、その下にたくさんある背の低い街、あれは遊園地だろうか、観覧車のカラフルな光。静かなところから、日常的な美しさを見る、この非日常的な夢幻。


「ぜいたくって言うのは、金を使うことじゃねえ。時間を使うことがぜいたくなんだ」


景吾の心音が伝わってくる。きっと、彼にも私の鼓動が伝わっているはずだ。二人とも、身動きもしない。ただ、心の音が聞こえる。


「俺様の時間をお前にやる。だがその代わり、今のお前の時間はすべて俺様のものだ」


美波は体を反転させて、今まで我慢していた分、思いっきり景吾に抱きついた。


(20101222)

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