1000Hit&X'mas企画 | ナノ
光の中へ
クリスマスイブには何がしたいですか。ええ、なるほど、分かりました。確か、ヒューマンドラマ系は苦手でしたよね?はい、では決めておきます。そうそう、あまり遅くなるとご家族に心配をかけてしまいますね。では、お昼からにしましょう。
「どうかしましたか?」
柳生くんがフォークとナイフを止めて、問うてきた。美波は口の中に入っているものを嚥下してから、返事をする。
「柳生くんってこういうことに慣れてるの?」
「こういうこと、ですか?」
「その、……デートに」
そうでもないと思いますがなぜですか、と柳生くんは首をかしげた。
美波はちらりと周りに目をやる。ランチタイムのためか、レストランはとても混んでいた。中学生でも大丈夫な価格帯のお店なのに、白と木目を基調にした内装がとてもしゃれている。クリスマスを意識したのかそれともいつもこんな感じなのか、各テーブルには小さな生花が飾ってあり、キャンドルが灯っている。ウェイター、ウェイトレスも皆、清潔感のある制服を着て、客が座る時には椅子まで引いてくれる丁寧さ。
これだけ混むクリスマスイブに、しかもこんなに素敵なお店に、二人はあっさりと入れた。どうやら柳生くんが予約をしておいてくれたらしい。今日の予定を決めたのはついこの前なのに、よく予約が取れたなあと関心する。美波が見たいと言っていた映画も、柳生くんがいろいろと探して決めてくれた。
「ええと、そつがないというか、てきぱきしているというか」
デートに慣れてるのかしらと思うほど、彼はリードが上手かった。こちらの好みは反映しつつ、デートコースをあっさり絞って、選んでくれる。彼にすべて任せておけば大丈夫、そんな気になるほどの。
柳生くんは、誰とでも遊びに行くようなタイプには見えない。そもそも遊びに行くことも少なそうだ。休日には読書をしたりスポーツをしたりしてそうだし。でも、本当にリードが上手い。自分がデートに慣れてないから、大丈夫かな、と前からずっと心配していたけれど、そんな不安は一気に吹き飛んでしまった。
「デートの段取りをするのが上手いなあと思って」
「ああ、そういうことですか」
紳士は食事を再開する。
「高原さんに楽しんでもらいたいですから」
こともなげに言われたその台詞に、美波はどきっとした。
彼は、優しい。誰に対しても。他の女の子に対しても、嫉妬してしまうくらい親切だ。でも、この優しさは私だけのもの。今くらいそう思っても、ばちは当たらないよね。
柳生くんは特別な言葉を述べたつもりはないらしく、そもそも特別なことをしたという意識もないらしく、涼しい顔をしている。自然と思われてるって、そう、うぬぼれてもいい?
「ありがとう」
高鳴った心のままに美波は言う。思わず顔から喜びがこぼれる。柳生くんはなぜ美波がここまで喜んでいるのかよく分からなかったようできょとんとしていたが、美波の満面の笑顔を見て、にっこりと微笑んだ。
どうしてここまでセンスがあるのだろう。趣味が良いというか、とにかくチョイスが良い。もし私が男で、誰かの彼氏だったとしたら、ここまで上手く事を運べるとは思えない。
食事が終わった後に柳生くんに連れられて来たところは、歴史のある名画座だった。名画座では、いわゆる新作の映画ではなく、昔の映画を上映している。最近は数が減ってしまっているらしいけれど、古くて味のある映画館が多い。
今来ているこの名画座もそう。どっしりとした建物の外観、渋い金色の装飾、分厚い扉、清潔だが古く歴史を感じさせる床。高級レストランのようなカウンターの向こう側には、シンプルなシャツとセーターを着た上品なご老人。近くには、柱時計や観葉植物が置いてある。
柳生くんが選んだ映画は、ミステリーだった。柳生くんはミステリー小説が好きだ。そして私は問題を解決していくタイプの映画が好き。お互いの趣味にぴったりだった。
「これで良かったですか?」
「もちろん!ありがとう、すごく楽しみ!」
「この映画、原作が有名な小説なのですが、まだ読んだことがなかったのです」
「じゃあ丁度いいね。この映画自体も有名なの?」
「ええ、ちょっと古いのですが、名作だと言われています」
低い声でささやきあいながら、奥へ進む。中は比較的小作りにできていて、席数も少なめだった。でもそれがまた、普段行くような大きくて近代的な映画館とは違った、レトロな雰囲気がでていて、美波はわくわくする。明治時代のような赤いビロード張りの椅子に並んで座る。
まもなく、上映が始まる。
***
映画の余韻に揺られて、二人は黙ったまま、名画座を後にした。何も話す必要はなかった。
二転、三転するストーリー。緊迫感あふれる探偵と容疑者のやりとり。事件の当事者の間で芽生える恋。でも、まさかと思われた人物が仕掛けたトリックが明かされて、結局恋は叶わない。疑われた人の濡れ衣ははらされた、被害者のかたきも取れた、でも、女性が本気で恋した男が犯人だった。ハッピーエンドで、決してバッドエンドじゃないけれど、ただただ喜ぶわけにもいかなくて。
物語の残り香が、心の中にたゆたう。ドキドキして、トリックに驚いて、探偵の鋭さにあこがれて、真犯人の特定にほっとして。そして、悲しかった。
「高原さん、寒くないですか?」
「うん、大丈夫」
美波は言葉少なに返事を返す。
もし、私があの映画に出てきた女性だったら。もし私が彼女だったら、どうすればいいんだろう。あの悲しみを乗り越えられるんだろうか。
「……よかった」
「はい?」
「柳生くんで、よかった。柳生くんが紳士でよかった」
好きになったのが柳生くんでよかった。もし、犯罪者っぽい人を好きになっちゃってたら、どうすればいいのか分からない。でも柳生くんは絶対に大丈夫だ。だから、柳生くんが紳士でよかった。
美波の言葉に柳生くんは何かを言いかけて、結局言わずに口を閉じた。
彼は言わんとすることを分かってくれたのかもしれないし、そうでないのかもしれないが、少なくとも何かを感じ取ってくれたようだった。
また二人で黙って、街を歩く。平日なのに、夕方になったせいか、そこここにカップルと笑顔があふれかえっていた。すっかり暗くなった外に、お店の明かりが映える。目に暖かな光がにじんでぼやける。すっかり葉の落ちた街路樹にもイルミネーションがほどこされていて、まるで、光の海を泳いでいるようだった。
「だいぶ暗くなってきましたね。家まで送ります」
もう、デートは終わりだった。美波の家に門限はなかったが、親を心配させてしまう。それに、紳士の彼が夜遅くまで一緒にいてくれるとは思えない。危ないですから、と言うだろう。それは正しいけれど、なんだか悲しい気分のまま、柳生くんと離れたくなかった。
でも、彼を困らせるわけにはいかない。そのまま、隣を並んで歩く。
しばらく歩いたところで、彼がふとつぶやいた。
「美波さん、手袋は?」
「今日ね、家に忘れちゃったの」
「それはいけませんね。冷えてしまいますよ」
柳生くんに、さりげなく手を握られる。心臓が飛び跳ねた。
「ああ、もうこんなに冷えてしまって。気がつかなくてすみません」
「あの、柳生くん、冷たいでしょ?無理しなくても」
「いいえ」
あたふたと紡いだ言葉にきっぱり一言で返されて、ぐうの音も出ない。付き合ってからしばらく経つけれど、実は手をつないだのは初めてだった。なぜか順序がおかしくて、抱きついたことはあるのに、こうやって手をつないで歩いたことがなかった。
手とほほに熱が集中する。寒い大気の中で、彼の手が熱をはらんで凍りついた美波の手を溶かす。
しばらく歩いていると、突然柳生くんは自動販売機の前でぴたりと止まった。そして、あいている手で魔法みたいに小銭をどこからか取り出すと、あっという間に暖かいココアを二つ買って、一つを美波に渡した。美波がお礼も忘れてぽかんとしていると、柳生くんは、まだ少し時間はありますねと言ってどこかへ向かう。
着いた先には、4メートルはゆうにありそうな、巨大なクリスマスツリーがあった。周りには人だかりができている。金属の真っ赤な玉、ガラスでできたオーナメント、金や銀に輝くリボン、そしてイルミネーション。
美波は目を奪われた。そして、先ほどまでの悲しみや寂しさがいつの間にか薄らいでいることに気がつく。柳生くんは美波の手を優しく握って、ささやいた。
「私は、あなたを悲しませるようなことはしません。だから、安心してください」
「……うん」
凍てつくような寒さも悲しみも、柳生くんと一緒ならきっと、大丈夫。美波は心に灯った暖かさをこめて、やさしく彼の手を握り返した。
(20101222)
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