1000Hit&X'mas企画 | ナノ
 




誰も大声を発することのない静かな空間を、二人はゆっくりと歩いていた。周りの人たちもゆっくりと、絨毯の敷かれた床を進んでいく。スーツを着た大人の男や、繊細な金のネックレスをワンピースのデコルテに垂らした奇麗な女の人、シルバーグレイの髪を整えたおばあさん。精市や美波のような中学生はほとんどおらず、たまに子供を見かけても、せいぜい高校生カップルくらいだった。
白い壁には、多くの絵画が掛かっている。ここは、美術館。暖かい色をした、しかし暗めの照明がところどころで灯っている。照らされた絵の額は、重厚感のあるにぶい光を放っていた。
精市は、隣で妙に固まっている美波の耳に口を寄せた。


「ほら、あの絵。ドガだね」


美波はいっぱいいっぱいで、かろうじてうなずいた。
目の前には、バレエのチュチュを着てソファに腰掛け、バレエシューズを履く踊り子の絵。チュチュの白が淡く浮かび上がって、幻想的な雰囲気を醸し出している。飾り気のない室内を、壮麗な気配が包み込んでいた。今回二人でやってきたのは、フランス画家の印象派展。平日であるにもかかわらず比較的込んでいるのは、夕方であるせいか、それともクリスマスイブだからなのか。

美術館が、光が、絵が醸し出す洗練されたたたずまいと、間近を歩く男の子に対する緊張にのまれて、美波はかちんこちんになっていた。

美術館だけならまだいい。親と一緒に来たこともあるし。でも、問題は。


「大丈夫かい?」


くいっと腕を引かれて、顔と顔が近づく。精市にのぞき込まれて、美波は顔をかあっと赤くした。


吐息がかかってしまいそうな距離。

目と目があう。

彼の放つ熱が空気越しに伝わってきて。

彼の長めの髪が美波のほほにちょっとだけ、触れる。


美波は心の中で小さく悲鳴を上げた。でも、声が出ない。
恥ずかしさのあまり、美波はうつむいてぶんぶん首を横に振った。慌てて、次いこ、と早足で歩き出す。それなのに、彼は美波の腕を離そうとせず、ぴったりとくっついたまま一緒についてくる。

気がついたら、美波は精市と腕を組んでいた。
腕までかちんと固まる。頭が麻痺したみたいで、ただ、嬉しさから生まれてふくれあがった恥ずかしさと緊張が、美波の心を独占する。



絵を見終わるまで、私、耐えられるのかな。



***



美術館のドアから出ると、冬の冷たい空気がひやりと喉に流れ込んできて、美波はぶるりと震えた。今日は底冷えするように寒い。
まだ夕方なのに、外はすっかり暗くなっている。黒で染まった街中に、黄金色の光があふれかえっている。電灯、お店の光、マンションの窓から漏れ出る明かり。そして、そこここに赤や緑、ピンクや黄色などカラフルなクリスマス・イルミネーション。サンタやトナカイの形をした光がそこらここらに溢れている。


「クリスマスって感じだね」


思わずそう言うと、精市も「そうだね、奇麗だよね」と返す。
精市は相変わらず美波の腕を離そうとしない。むしろ彼は脇に力を入れて、美波をがっちり捕まえている状態だった。


「ちょ、幸村くん、」

「名前で呼んで、美波。ね?」

「……せ……精市」


彼は、うんそうそう、とにっこり笑う。

2学期の終業式の日に、同じように言われたときはノリノリで「精市!」って言えたのに。今は緊張のあまり、前の呼び方になってしまった。といっても、名前で呼び始めたのがつい10日ほど前のことだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。

歩き出した精市に半ば引きずられるように、美波も歩き出した。腕を組んだまま歩くのになれなくて、ときどきつまづきそうになる。普段だったら「歩きにくいよ!」と軽々しく文句を言えたのかもしれないけど、今はそれさえもはばかられる。とにかく恥ずかしい。嬉しいけど。


「さっきからどうしたの?」

「……恥ずかしいよ、精市」


精市は美波の言わんとすることを的確に読み取ってくれたようで、くすりと笑みをこぼす。


「いいじゃないか、付き合ってるんだから」

「で、も、中学生だし」

「だから?」

「まだ子供だし」

「子供は恋なんてしないよ」


必死でぼそぼそ主張をしても、あっさりと言いかえされてしまった。そうやってこそこそ会話をしている間にも、精市は先へ先へ歩いて行く。今日は美術館でデートをする予定だったけど、その後どうするかは何も決めてない。


「どこに行くの?」

「いいところ。見せたいものがあるんだ」


彼にリードされて、先へ先へ進む。着いた場所は、繁華街から少し離れたところ。商業区とビジネス街の境目あたりにある一角だった。このあたりでも、老若男女、大勢の人があっちへ行ったりこっちへ来たりしている。
美波は空を仰いだ。空は分厚い雲に覆われていた。街の光が空を明るく照らし、低く垂れ込めた雲の細かな凹凸さえも見えてしまいそうだった。そこに突き刺さるようにそびえる、近代的な建物。


「……展望台?」

「うん、そう。さあ、入ろう」


初めて展望台に来た。ものめずらしくて美波がきょろきょろしている間に、精市は手早く入場料を二人分払って、さっさと美波を中に連れ込んだ。エレベーターの前に並ぶ。


「ここ、よく来るの?」

「たまにね。なかなか面白いところだよ」


チン、と音がして1階にエレベーターがやってきた。乗ると、エレベーターは一部分がガラス張りになっていて、そこから外が見える。プシュ、と音を立てて扉が閉まり、人を乗せた箱はぐんぐん上に上がっていく。頭上で輝いていた街の光があっという間に足下に落ち、どんどん小さくなっていく。人の頭でよく見えないのがくやしい。


高く高く、展望室へ着くと、そこには夜空が広がっていた。天井から床まで広がるガラス張り、その奥に広がる街の上空。どこまでも深く広がる世界の果て。精市はためらいなく、ガラスのきわまで美波を連れて行く。美波ははっと息を呑んだ。


「ほら、みてごらん。まるで俺たちが神様になったみたいだろ」


目下に広がるのは、人間の住む世界。ターミナル駅を中心に、点々と黄色い光が広がっている。その一つ一つの光の小ささが、今いる場所との距離をリアルに感じさせた。この暗い夜のとばりの中で、ただそれだけが星のようにまたたく。顔を上げて目をこらすと、あれは東京の方なのだろうか、遠くの方にも光がちかちかと輝いている。少し横を向くと真っ黒な海が広がり、でもその上には、あれは船だろうか、ちらちらと灯火が見える。


「奇麗……」


初めて高いところから見る夜景に、美波は夢中になった。
二人で並んで眺めていると、どこかで女性がわあっと声を上げ、そこからどよめきが広がった。


「あ!精市、あれ!」


上を見上げると、低い雲からひらりひらりと白いものが舞い降りてきた。粉雪。小さなそれはいくつもいくつも線を描いて、下へ下へと揺れて消えていく。


「ホワイトクリスマスだね」

「うん。まさか、イブに雪が降るなんて……」

「ね、美波。君は神様を信じる?」

「え?神様?」


精市を見上げると、彼は微笑んでこちらを向いていた。美波も彼の方に向き直る。


「俺はね、神様なんて信じない。すべては自分の努力次第だと思っている。その代わりにここに来て、神様の気分を味わうんだ。地面でのくよくよした悩みやつらさなんて、しょせんここから見れば小さなものだってそう思えるから」


精市は美波のほほを両手ではさんで、ひたいをこつんとぶつけた。額から伝わる彼の体温、髪の感触、彼の香り、手のぬくもり。


「でもね、美波は、もし他の誰かからは小さく見えても、俺にとっては何よりも大きなものだから。だから、一緒にここに来たかった」


美波は大きく目を見開いた。まだ恥ずかしいけど、今なら素直になれる気がした。


「私は信じるよ、神様。だって今、夢みたいだもん」


彼は幸せそうに笑った。


「俺も、今なら信じてもいいと思ってる」



(20101222)

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