大嫌いな君へ | ナノ
エクスプロージョン

美味しいお菓子と美味しい紅茶。お礼に釣られて生徒会室を訪れた結果、私はしばらく生徒会で手伝いをすることになった。どうやら生徒会は相当な人手不足らしく、その一方で私は暇だった。今の生徒会は忙しくてゆっくり歓談する暇なんてないのだけれど、それでもとても雰囲気がいい。みんな親切で、率直で、陰口だとかドロドロしたことがなさそうだ。うまく信頼関係が築けているというか。この雰囲気は、あのストレートで合理主義的な跡部先輩の影響が大きいのだろうか。

部活も委員会もせず、勉強をして、友達と遊んで、まあそんな生活でいいかと思っていた私にとっては大きな転機だ。居場所ができるというのはとても心地が良い。

それが、爆弾になるとは思ってもいなかったのだけれども。


***


今日の分の仕事を終えて、生徒会室から出る。ぐうっと両腕を上に伸ばして首をぐるぐる回すと、ぱきぽきと嫌な音がした。外はすっかり暗くなっている。放課後の教室に向かって歩いていた私は、肌寒さにぶるりと身を振るわせた。それぞれの教室の明かりも暖房もまだところどころ付いているのに、夜の冷たさが校内にじわじわと侵食しはじめている。

吉村、もう待ってるかな。最近はあまり一緒に帰ることがなくて、ずいぶん久しぶりだ。
寒さを避けて早足で歩いて、教室に着いたものの、吉村はまだ来ていなかった。その代わりに誰かの鞄が教卓の上に置いてある。私と吉村以外でも、まだうちのクラスで帰宅していない子がいるらしい。
机に腰掛けて、子供みたいに足をぶらぶらさせてみる。早くこないかな、吉村。話したいことがいっぱいある。たまに来てはすごい勢いで仕事を片付ける跡部先輩のこととか、跡部先輩を的確にフォローする竹内先輩とか、仲良くなった会計課の女の子のこととか。ここ数日の私の生活は、劇的な変化を遂げている。

閉めていたドアがガラリと開いた。冷たい空気が流れ込んでくる。


「あ、吉村――」


完全に油断していた。
思わずゆるんだ顔で振り向くと、吉村よりも小さなシルエットに特徴的な髪型。あいつがいた。心臓がドキリと跳ねる。いつものように、私の顔が歪むのが自分でも分かる。頭の片隅で、前にもこんなことがあった、またか、という気持ちになる。目が合う。ギロリとこちらを一別したあいつはチッと舌打ちをして、教室を見渡した。そして、ある一点に目を留める。教卓の上の鞄。
私ははっとした。……あの鞄、もしかしなくても、笹本さんの鞄なんじゃないだろうか。あいつも、教室で笹本さんと待ち合わせをしていたんじゃないだろうか。たぶん、そう。

日吉はもう一度チッと舌打ちをすると、こちらを睨み付けて近寄ってきた。歯を食いしばって、睨み返す。負けたくない。こんな最低なやつに。また、頭の片隅で別の考えが浮かんできた。なんでこっちに来るの。いつもだったらお互いに、できるだけ距離を取ろうとするのに。わざわざ嫌がらせ?本当に、嫌なやつ。


「おい」

「何よ」

「お前、ふざけんなよ」

「は?意味分かんない」


あいつは今までの中で一番きつい表情をして詰め寄ってきた。私は机から降りて、両脚を踏みしめてあいつに対峙する。あまりの距離の近さに体を引きそうになる。鳥肌が立つ、こんなやつに近づくなんて。でも退きたくない、それは負けを認めたみたいだから。
それにしても、意味不明なやつ。いつもなら、こんな何を指してるか分からない罵倒なんてしないのに。


「跡部さんにまで取り入りやがって。テニス部にまで寄って来るんじゃねえよ、ミーハー女」


ようやく合点がいった。生徒会のことか。でも、それは日吉は関係ない。ミーハー女なんかと一緒にして欲しくはない。私は跡部先輩はおろか、テニス部に興味なんてないんだよ。跡部先輩目当てで手伝ってるわけじゃないし、そもそも彼は私のことを覚えていたのか。日吉が私が生徒会で働いていることを知ってるってことは、跡部先輩から聞いたんだろう。と、いうことは、跡部先輩に名前を覚えられるくらいの仕事は出来たって思って良いだろうか。
ふといい言葉が思いついて、私は小馬鹿にしたようにあいつをあざ笑った。


「悔しいの?私が跡部先輩に認められて」

「やっぱり、お前……」


ふん、と鼻で笑ってやった次の瞬間、どん、と体に衝撃が走った。視界が一瞬ブラックアウトして、じわじわと頭が痛み始める。目の前には憤怒の形相を浮かべたあいつ。私は、壁に押さえつけられていた。ギリギリと両腕を握られて、骨が悲鳴を上げそうになった。


「うざいんだよお前」


私は痛みに顔が歪みそうになるのを必死で押さえた。余裕がないところなんて見せたくない。そんなこと。でもともかく、日吉は挑発に乗った。全く、馬鹿なやつ。あら、図星だった?とでも言ってやろう。
そう思って、私は日吉を押しのけた。いや、正確には、押しのけようとした。

それなのに、あいつはびくともしない。

もう一度、済ました顔のまま全力で押しのけようと試みる。やっぱり、日吉は微動もしなかった。思わず、あいつの肩越しに廊下の扉に目をやる。吉村はまだ来ない。


「誰かが助けてくれる、なんて甘いんだよ」


私の目の動きを見たのか、今度は日吉が私をあざ笑うかのように、低く小さいけれどはっきりした声で、そう告げた。


「そんな馬鹿なヒロインみたいなこと考えてないわよ」


口から出るままに言い返すけれど、つうっと背中に冷たい汗が流れるのが分かった。すごく強い、力。全く叶わない。私が今全力で暴れたとしても、きっと、日吉には簡単に押さえ込まれてしまう。

私は愕然とした。日吉若。私はこいつのことを良く知っている。2年生のときにクラスメイトを泣かせたことも、5年生のときに先生を師範と呼んだことも。それなのに。知っているはずなのに。昔の日吉は、敏捷だったけれど小柄で、どっちかというと発育の良かった私とはあまり体格が変わらなかった。むしろ、小さい頃は私の方が大きかったくらいで。あいつは古武術をずっとやっていたからか運動神経は良かったし力の使い方も抜群に上手かったけれど、純粋な腕力でいえばそこまで大きな違いはなかった。一緒に探検しているときだって、そんなに壁は感じなかった。
そして、今でもそうだと思っていた。そのはず、だったのに。



いつの間にか、日吉は男になっていた。



***


冬はすぐに日が暮れる。部活が終わるころにはもう夜半と変わらぬ闇が訪れる。
笹本に一人は怖いから一緒に帰ってくれと頼まれ、忍足さんやら誰やらにも女の子なんやさかいにちゃんと送っていけとやんややんや言われた結果、最近、俺は笹本と一緒に下校していた。
笹本は本当に男子テニスが好きだった。昨日のプロの試合がどうだったとか、週刊プロテニスがどうのだとか、他の学校の男子テニス部の練習がどうだったかとか。ときどき、自分のことだとか、学園生活のことだとかを話す。俺のことも聞いてくる。だが不快ではない。他の女のように、延々と愚痴を垂れたり、オチのない話を続けるわけでもない。たまに俺の興味をそそる話をする。彼女と話すと、流れるように話が進む。丁寧にもてなされている、という感覚に近い。

今日は職員室に用事があったらしく、部活が終わった後、笹本と俺は教室で待ち合わせた。体を鍛えているとはいえ、外で待つのは寒い。もう用事は終わっただろうか。暖房が付いているとはいえ、あまり待たせるわけにはいかない。

教室に誰かの気配がした。俺はドアを開けて、笹本、と声を出しかけた。


「あ、吉村――」


そこに居たのは、一番会いたくない人物。越川だった。教室を見回すが、そこには笹本の鞄があるばかりで、彼女本人の姿は見えない。俺は舌打ちをした。こいつと一緒に教室に居なければならないのは反吐が出る。……だが、丁度良かったのかもしれない。俺は、跡部さんのこと、跡部さんにまで取り入りやがったこいつを問い詰めた。


「おい」

「何よ」

「お前、ふざけんなよ」

「は?意味分かんない」


悔しいの?と、あいつは人を馬鹿にしたように笑った。
その顔を見て、かっと頭の中が真っ赤に染まった。腕をひっつかんで、突き飛ばすように壁に押しつける。うざいんだよ。消え失せろ。これ以上わずらわせるな。目障りだ。調子に乗るな、思い知らせてやる。

そう思ったのに、次の瞬間、俺はぎょっとして身を引きそうになった。つかんだ腕が、予想以上に柔らかい。思わず力を込めると、制服越しに柔らかい反発が伝わってきて、しかし折れそうに細い。考えてみれば、女子の腕を掴むことなんてなかった。あるとすれば、同じ男子の運動部員の中であるくらいで。

俺の突然の行動に越川は一瞬ひるんで、目を見開いた。そして、抵抗する。その力は弱い。あいつは硬直した後、もう一度、抵抗する。さきほどよりは強いが、それでも本気で押さえつけている俺の力に比べれば誤差みたいなものだ。

かわいこぶっているのか。……いや、そんな女じゃない。きっと、これが、こいつの全力だ。
俺は愕然とした。越川有里。昔から一緒のクラスで、俺はこいつのことを良く知っている。小さい頃はおしとやかな遊びなんて眼中になくて、どっちかというとお転婆で。活発で体格も良くて、昔は俺よりも少し大きかったくらいだ。暗くて蜘蛛の巣が張っているようなところにも平気で入っていって、女らしさなんて全くなかった。

俺は睨み付けていた目の前の女をまじまじと見た。そいつは愕然とした表情でこちらを見上げている。
いつの間にか、身長も俺の方がずっと高くなっている。手入れされた髪からふわりと良い香りが漂ってきた。かすかに開いた唇はつやつやとしている。昔は真っ黒に日焼けしていた肌は、今ではずっと白くなっている。


間違いなく女だった。

俺の気がつかない間に、いつの間にか、越川は女になっていた。


(20110428)

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