大嫌いな君へ | ナノ
それは残酷さを帯びて

お前には関係ないだろ。

それは、詮索を嫌う日吉が口癖のようによく使う言葉だった。ある時は軽く相手をいなすために、ある時は冷徹に牽制するために口にする。でも最近は一つのことにしか使われていない。――笹本さんとのこと。笹本さんと付き合っているのかと聞かれたときに、日吉がよく言い放っていた。

笹本さんは目をいっぱいに開いて青ざめている。私は、口内が渇いていくのを感じた。
前なら、これは笹本さんに関することだった、でも今は私とのことで。今日吉のそばに居るのは笹本さんじゃなくて私だ。そして対立するように日吉に向き合っているのは、いつものように私、ではない。笹本さんだ。
いつの間にか、私と彼女の立場が入れ替わっている。そんな気がして私は動転した。日吉との関係は何も変わっていない。そのはずだ。そのはずなのに。


――有里、ちょっと柔らかくなったね。
――日吉の話題出しても憎々しい顔しなくなったじゃん。

――ほんなら何で抵抗せいへんかってん。
――なあ。越川さん、本当は日吉のこと。


変わってない。変わってない。変わってない。変わってない。そのはずだ。そのはずなのだ。


***


「若、越川さんのこと……好きなの?」


自分の顔が不愉快に歪むのが分かった。
どういうこともこういうこともない。何とも思っていない。何もない。それなのに、どいつもこいつもゴチャゴチャと詮索したがる。全く、うるさい女だ。……笹本のことをこう思うのは、最初に会ったとき以来かもしれない。関係が深まるにつれ好意的に受け止められるようになった彼女の言葉も、今はただ煩わしい。


「お前には関係ないだろ」


ちらりとあいつを見ると、絶句して固まっていた。越川も笹本に呼び出されて俺とのことをあれこれ詮索されていたのだろう。どうしてさっさと言いくるめておかないんだ。八つ当たりだと分かっているがそう思ってしまう。あいつは妙に白い顔をして、何も言わない。笹本は愕然とした顔で目を見開いた。薄く開かれた形の良い唇から、絞り出すような声が漏れ出た。


「好きだったのに」


この状況と言葉に既視感を覚える。笹本の目から涙が流れるのを冷静に見ながら記憶をたどる。確か、そのときもこの場所で、俺と笹本と誰か他の女がいた。数ヶ月前に……告白されたときのことだったか。他の女に好きだと言われ、俺は面倒臭さのあまりやはり不機嫌で、笹本は――

『あること』に気が付いて俺はぎょっとした。

俺は告白してきた女と対峙していた、そう、まるで今のように。あの時すぐ近くにいたのは笹本で、それが今は越川だ。そして俺が対峙するように向き合っているのは、いつものように越川じゃない。笹本だ。まるで、俺と越川が笹本と対立しているかのような構図。いつの間にか、越川と笹本の立場が入れ替わっている。そんなはずはない、俺の気持ちは何も変わっていない、変わったのは周りだ。笹本は面倒臭い女になり、クラスメイトは騒ぎ立て、跡部さんと忍足さんはやたらと越川を持ち上げる。相変わらずなのはあいつくらいだ。それなのに。
妙に間抜けに声が響いて、俺ははっと現実に引き戻された。


「……え、付き合ってたんじゃないの?」

「違う」


全く、こいつもそう思っていたのか。どこをどう見たらそうなるんだ。確かに仲良くはしていたかもしれないが、それ以上ではない。俺はじろりと越川を睨み付けた。あいつは何を勘違いしていたのか、混乱しているようで目を白黒させて俺と笹本を交互に見ている。


「ひどいよ」


小さな声でそう呟いて、笹本は走っていった。少し離れたところで待機していた笹本の女友達がこちらをひと睨みして、走っていく笹本の後ろを追いかけていく。笹本の姿もその女の姿もすぐに視界から消えた。
俺と越川の横をぬけるときに見えた笹本の涙が、妙に目に残る。美しくても何の感慨も沸かせない女の涙。俺にとってはそれだけだったということだ。それでも、笹本を傷つけたのであろうという事実が妙にリアルに感じられて、心に確かに何かを残していった。


「いいの、追わなくて。その……好き、なんじゃないの?」

「好きだと言ったことも思ったこともない」


何であれ、それは事実だ。恋愛感情を向けられても断る意外の選択肢は思い浮かばない。たとえ傷つけたとしても、どのみちそう言うしかなかった。

沈黙が落ちる。俺はただ笹本たちの消えていった方を眺めていた。隣にいるあいつも何も言わなかった。ただ静かな時間だけが過ぎていく。暖かく吐く息がかすかに白く濁って空に上っていく。日なたにいると今日はまだ暖かく、空気は冷たくても日の光がじわじわと皮膚を温める。










突然沈黙をやぶる別の足音がして、声が飛んできた。


「おい、日吉!」


越川が小さく叫んだ。息を切らして男がこちらへ走ってくる。吉村だった。
こちらが気が付いたのを認めると、吉村は歩いて俺に近づいて来た。そして、俺の前に立つ。吉村は越川には視線もやらず、俺の方を見る。吉村は何かを言おうと口を開き、結局また唇を引き結ぶ。それを何回か繰り返して、ついに、越川には聞こえないであろうほど小さな声でつぶやいた。


「あんまり泣かせないでくれよ」


泣かせないでくれよ、越川のこと。たったそれだけのことを勝手に言って、吉村は背を向けた。うるさい女どもとは違う、少ない言葉に確かな濃い気持ちがこもっている気がした。





***






「待って!」


大声で叫んでいた。突然吉村は現れて、それなのに私には目もくれず日吉に何かを伝えて、それでそのまま去っていこうとする。なんで、なんで。ねえ、無視しないでよ、吉村。お願いだから。
あの時、あの日は立ち止まってくれなかった吉村は、足を止めた。私は吉村の背中に懇願した。


「ねえ、吉村、避けないで。ごめん、ごめん、私馬鹿だから何かしたのかもしれないけど、もしかしたら無神経なこと言っちゃったのかもしれないけど、それならどんな償いでもするから、ねえ、吉村!私、嘘付いてないよ。本当だよ、嘘なんて付いてないよ」


待って。いかないでよ。ねえ、吉村。ごめん、吉村が傷ついたのなら私が悪いんだ、でも、吉村に嘘付いたことなんて一回もないよ。今いろいろ噂されてる、私が日吉と付き合っててそのカモフラージュで吉村と仲良くしてたんじゃないかとか、吉村を利用してたんだとか、でもそんなの、それこそ嘘だ。
段々言葉が支離滅裂になっていく、言葉は溢れ出て止まらない、それなのにこの気持ちを伝えるにはまだまだ言葉が足りなくて、どうしたらいいのか分からない。

背中を向けたままだった吉村が振り返った。その顔を見て、息を飲む。吉村は、微笑んでいた。初めて鳳くんと会ったときのような――そして、初めて吉村と会ったときに見せてくれたような、綺麗な笑顔。


「知ってる」


私はあのときその微笑みを見て、運命の王子様みたいだと思ったのだ。他の男子みたいな粗暴さを全く感じさせなくて、優しくて、強くて。吉村は綺麗に笑っていて、それなのに前に笑っていたときとは違う、消えていくガラス細工のようで、妙に切なかった。


「分かってるよ、越川。俺、お前のこと好きだったから」






うそ

ほんと じゃあな 越川


今度こそ、吉村は立ち去った。その広い背中を見ながら私は呆然と立ち尽くした。
吉村が私のことを好きだった?付き合ってるのって聞かれても否定してたじゃん、私だけじゃない、吉村だって。否定、してたじゃん。あれは私の気持ちを気遣ってのことだっていうの。私は確かに、吉村に対して恋愛感情を抱いていなかった。でも好きだったのだ。落ち着いていて、どんと受け止めてくれて、ときには優しくいさめてくれて、話すと楽しくて。大好き、だったのだ。

視界が歪んだ。さっきまでの、出そうで出なかった涙が溢れて止まらない。ぬぐってもぬぐっても涙が出てきてしまう。私は傷つけた。最悪だ。ずっと支えてくれたのに。私は日吉と付き合ってなんかいない。でも、それでも、傷つけたのだ。もっと早く追いかければ良かったのに。たとえ追いかけたところで、私が吉村と付き合う気もないという本心でさえも充分に凶器だった。それでも、こんな事にはならなかったかもしれないのに。ああだこうだと自分に言い訳をして、避ける吉村を必死で追うこともしなかった。そして私はその代わりに日吉とともにいたんだ。

ぼん、とティッシュが頭に投げつけられた。地面に落ちたそれを泣きながら拾って、遠慮なく引き出して使う。結局、分かったフリをしていただけなのだ、私は。吉村のこと。何が吉村が避けている、だ。当たり前じゃないか。酷いのは私じゃないか。


ちょっと黙れ 俺が泣かせたみたいだろうが

うるさい 泣きたくて泣いてるんじゃない

お前 無神経だな

あんただって 笹本さん泣かせて

仕方ないだろ あっちが勝手に誤解しただけだ

それが無神経だって 言ってるのよ


日吉が冷淡な声で、言う。私もつっかえつっかえ、と言い返すけれど、やっぱり涙は止まらない。ずっと心に溜まっていた不協和音は融解した。吉村のこと、笹本さんのこと。いつかは解決しないと爆発してしまいそうなそれは、ぎりぎりと嫌な音を立てていたそれは消えて、でも同時に、以前は確かに手にしていた大切なものも去っていったのが分かって。

ぐいっと涙をぬぐったほほにもう一度、ぽろりと涙が流れる。それは冬の風を受けてひやりと頬の熱を奪い、どうしようもなく熱く震える心のたぎりをほんの少しだけ冷ましてくれた。


(20110801)

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