大嫌いな君へ | ナノ
波紋のかたち

なぜそう思うのか、なぜそうするのか。よく考えろと彼は言った。なぜそう思うのか、なぜそうするのか。疑問に思ったこともなかった。それは当たり前の感情であり、行動であると思っていたから。問われて、初めて疑念が沸く。いや、もうすでにそんな自分自身に疑問は持っていた。ただ見ないようにしていただけで。
あの日、見られてから、自分をとりまくものが一気に変わってしまった。噂が流れ、それまで側にいた人が離れ。自分は何も変わっていない、そのはずなのに。

なぜこのような感情を持つのか。なぜそうするのか。
自分に問うてみても、未だ答えは返ってこない。

小さく萌えた疑念の芽が、感情という養分を吸って、大きくなっていく。


***


何の答えも得られないまま、時間だけが経っていく。例の噂は絶えぬまま、私と日吉が付き合ってるとかいうことになっている。教室にいるとそういう視線をあちらこちらからチラチラと投げかけられる。同情の視線を寄せられた笹本さんの表情は暗く、吉村は……表情を伺おうにもさりげなく顔を背けられてしまう。


「男子テニス部の部室へ来い。跡部さんが呼んでいる」

「……わかった。生徒会に寄った後で行くって伝えといて」

「今すぐ俺と一緒に来い。部外者だけではコートに入れない。跡部さんからの指示だ。早くしろ」


この会話がなされたのが数分前、授業後の教室にて。どんな話をしていると思われたのか、周囲からはやっぱりね、という冷ややかだったり生ぬるかったりする複数の視線が飛んできて、私は気持ちが悪くなった。
跡部先輩からの言づてならばないがしろにはできない。できるだけ率直に、端的に、返事を返す。日吉と目が合う。あいつは何の感情も浮かべず、ただ淡々と言葉を連ねた。不思議と何の感情もなくあいつの顔を見た。こうして向き合ったのはもうどれくらいぶりになるだろう。昔は笑ったり怒ったりしていた、お互いに対して。でも、もうそれは昔の話だ。


なぜ私は、日吉が嫌いなんだろう。喧嘩を売って、喧嘩を買って、そうして私は何がしたいんだろう。何をしてほしいんだろう。どうありたいのだろう。


はあ、と有里はため息をついた。
目の前には日吉の背中。あいつはこちらの歩調など気にせず、ラケットケースを肩にずんずん歩いて行く。昔からあいつはいつだって、ゆっくり歩こうとしなかった。でもそれで誰かが置いて行かれると、立ち止まって待っていた。ときには遅い人をひっぱっていったりして。小さいあいつに、先へ先へと何回ひっぱって行かれたことか。でももうそれだって昔の話。今の私は、黙って小走りであいつを追いかける。日吉を求めているんじゃない、ただ跡部先輩の指令を聞くためだけに。






日吉に続いて、おそるおそる、男しかいないであろう部室に足を踏み入れる。そこは案外、普通の部屋だった。そういえば、レギュラー専用の豪華な部室は別にあるんだっけ。少し古い型のPCが数台置いてあって、ここはどうやらミーティングルームのようだ。その奥の部屋にロッカールームやらシャワーやら更衣室があるらしい。


「鳳くん」

「越川さん!どうしてここに?」


更衣室からジャージ姿の鳳くんが出てきて、私は思わず声をかけた。相変わらず彼は運命の王子様然としていて素敵な雰囲気だ。嬉しくなって笑うと、彼は目尻に優しい色をともした。その繊細な表情に、吉村を思い出す。そういえば、鳳くんと似ていると言われるって言っていたっけ。そう、ちょっと困ったような顔をしながら吉村は言っていた。もう久しく顔も会わせてもらえていない。何でも話すことができた彼が今は不在で、その不存在が私の心にすきま風を吹かせる。


「越川さん、どうかしたの?嫌なことでもあった?」

「あ!ごめんなんでもない。ちょっと思い出しちゃっただけ」

「そっか、それならいいけど。……あとさ、いいにくいんだけど」

「うん?」

「普通の日吉についてきたけど、ここはテニス部しか入っちゃいけないんだ」

「私、跡部先輩にここに呼び出されたんだ」

「そうなんだ、跡部さんが?珍しい。じゃあ彼が来るまでこの椅子にでもどうぞ」


鳳くんは自然な仕草で椅子を引いてくれる。すごく手慣れている。きっと、こういうことを誰にでもできる人なのだろう。なんて素晴らしいんだろう。私は彼の気遣いに心が温かくなって、笑みをこぼした。


「ありがとう」

「どういたしまして。あ、もし時間があるなら――」

「おい、鳳。さっさとしろ、コートの整備にいくぞ」


日吉が割り込んできた。いつの間にかジャージに着替えて、ラケットを持っている。日吉はさっきとは打って変わって若干苛立った雰囲気を醸し出している。それを見て、私もまた腹が立ってきた。
チームメイトに対してもいつもこんな態度をとるわけ!?本当に嫌なやつ。
何を無駄なことを考えていたんだろう、私は。そうじゃない。そうだったじゃない。理由もやりたいこともはっきりしている。そう、日吉は嫌なやつ。だから嫌うのは当たり前じゃないか。欲するのは、日吉という存在を認知しなくてもすむようになること。






本当に?
いなくなって欲しいならなんで、わざわざ喧嘩を売った。
無視すればいいだろうが。そうすれば少なくともかかわらなくてすむ。
「嫌なやつだから」というのは、本当に本当の理由なのか。






頭の片隅で別の自分がそう問いかけるのを、私ははっきりと認識してしまった。




***




日吉。明日、放課後コートに来る際に越川も連れてこい。ヒラと準レギュラーのミーティングルームで待たせとけ。
生徒会が忙しい時期だ、だが俺様が練習中にいちいち生徒会に行くわけにはいかねえ。つまり、テニスコートと連絡係をあいつにやらせる。だからだ。
あーん?直接言え?……仕方ねえだろ、俺様も生徒会のやつもあいつの連絡先を知らねえからな。


そう前日に命じられて、俺は気が重いながらも越川に話しかけた。よく考えろ、という跡部さんの言葉がぐるぐると頭をまわって、そのせいか何の感情もこもらない普通の声が出た。目が合う。あいつはいつものような憎たらしい顔はせず、まっすぐに俺を見た。こうして向き合ったのはどれぐらいぶりか。笑ったり怒ったりしていた、幼いころは。


「跡部さんからの指示だ。早くしろ」


そういい放つと、俺はあいつに背を向けていつものように歩き出した。後ろから小走りの足音が聞こえてくるのを無意識に確認する。昔からあいつは、俺が早足で歩くと走ってついてきた。それでもときどき、俺はあいつの手を引っ張った。早く先に行きたくて。でもそれも昔の話だ。今はそんなことをしてやる義務はない。あいつを連れて行くのは俺の意志じゃない、跡部さんに頼まれたからにすぎない。







「鳳くん」

「越川さん!どうしてここに?」


部室に着くと、俺は二人が話すのを尻目にさっさと更衣室に入った。いつものようにジャージに着替える。薄い扉を一枚隔てただけのこの場所に、二人の会話は聞こえてくる。そういえば、鳳が越川のことを何とかかんとか言っていたな。鳳は楽しそうに会話を続ける。あいつもまた、嬉しそうに鳳に声をかけた。……そうだ、思い出した。すごくいい子だと言っていた。あいつのことなんて何もしらないくせに。
俺はだんだん苛立ってきた。鳳は悪くない、だが鳳は吉村に似ていて、二人の会話は以前のような吉村と越川を思い起こさせる。ぐだぐだぐだぐだと、つまらないことで時間をつぶす。


「おい、鳳。さっさとしろ、コートの整備にいくぞ」

「え、ああ、そうだね。じゃあ行くね、越川さん」

「うん、頑張って」


そうだ、こいつはこんなにもくだらなくて嫌な女だ。男の時間ばかり食っていく。
よく考えろ、だって。考えるまでもないじゃないですか。考えるまでもなく嫌な女だ。だから嫌うのは当然のことだ。望むのは、越川の存在を気にしなくてもよくなること。






本当か?
気にしなくてもよくなって欲しいなら、何故わざわざつっかかった。
無視すればいいだろうが。そうすれば少なくともかかわらなくてすむ。
「嫌なやつだから」というのは、本当に本当の理由なのか。





頭の片隅でそれまでの自分の考えに対する疑念が生まれてしまったのを、俺ははっきりと理解した。


(20110603)

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