大嫌いな君へ | ナノ
半分の進展

薄暗い外、蛍光灯で無機質に浮き上がった机、光を反射させて教室を鏡のように写した四角い窓、そして、目の前のあいつ。放課後の1−Cの教室は、私にとって呪われているのかもしれない。
いつもは生徒がおしゃべりをしながら通ったり、遠くから運動部員たちの声が聞こえてきたりするのに、何故か今日は静かに聞こえる。まるで、この教室だけが異世界に隔離されてしまったかのように。

その異質な雰囲気が、私の感情リミッターを外してしまった。それは、あいつも同じだったらしい。気がつけば、いつもより激しい調子の言い争いになっていた。



なんなのよあんたは。
なんなんだよお前は。


ムカつくのよ。
ムカつくんだよ。


よくそんなに無神経でいられるよね、最低。
粗雑で無神経なのはお前の方だろ。


なんで私の目の前に出てくんのよ。
お前こそテニス部にまで入ってくるんじゃねえよ。


どっかいってよ、目障りなの。
消え失せろ、顔も見たくない。


あんたなんて嫌い。
お前なんて嫌いだ。



日吉につかみかかる勢いで詰め寄る。それを避けるようにあいつは動き、乱雑に動いた椅子に引っかかって、私はバランスを崩した。足で踏ん張りきれなくなって、思わずあいつの腕をつかむ。あいつも予想外だったのか、ぐらりと体が傾いた。2組の足がもつれる。
チッと舌打ちする音が耳元で聞こえて、そのまま押し倒されるように床に転がる。しこたま背を打ち付けて一瞬気が遠くなりそうになるが、幸い頭は打たなかった。
あいつに押さえつけられるようになっている現状に気がついて、暴れる。


「あんたなんて嫌い、大嫌い」


見上げれば昔からよく見慣れた顔があって、でも逆光になっているせいで表情はよく見えない。なんでだろう、なんで上手くいかないんだろう。日吉が絡むと何もかも上手くいかなくなる。吉村はしゃべってくれなくなるし、みんなからも誤解されるし、それに、日吉とだって今こんな状態だ。顔も見たくないのに、どうして上手くいかないんだろう、こんなの、私は全く望んでいなかったのに。足も手も体も全部動かして抵抗しているのに、力が上手く入らない。どうせ入ったとしても、鉄の杭みたいに強固な日吉がどけられるとは思わないけれど。


「奇遇だな、俺もお前が大嫌いだ」


全身で感じるあいつの重さがリアルに感じられて、私は泣きそうになった。どうして。どうして邪魔をするの。放っておいてよ、お願いだから。
あいつの目だけがぎらりと光ってはっきりと見えた。らんらんと輝く鋭い目は猛禽類のようで、獲物を追い詰める捕食者のような狂気を帯びていた。




喰われる。




そう思った瞬間、また首にきつい痛みを感じた。


「った、い」


前と全く同じところに鋭い歯がぐいぐい食い込んでいく。肌も神経もちぎれてしまいそうで、私は顔を歪めて声を漏らした。

私、本当に何やってんだろう。仰向けにひっくり返えされて、日吉に押さえつけられて、首をかみちぎられんばかりに食いつかれて。私はこのまま黙って日吉に食い尽くされるんだろうか。足の自由も腕も自由も利かずに、このまま翻弄されて。

私はかろうじて動かせる右手の肘から先を曲げて、あいつの腕を掴んだ。そしてそこに、思い切り、ガリっと爪を立てた。日吉のざらりとした肌に爪をぶつりを食い込ませる。精一杯の、力ない抵抗の証。



***



倒れる。俺まで巻き込みやがって、とつい舌打ちが出る。無意識のうちに頭を打たないようにする。怪我をされると面倒だ。いや、心配するほどのことではないか。そんな自分に再び舌打ちをする暇もなく、体の下であいつが必死で暴れる。


「あんたなんて嫌い、大嫌い」


女の扱い方を知らないだって。知ってますよ、跡部さん。ただこいつにそんな扱いはいらないんです。こんな明らかな劣勢でも、どうやっても勝てない状況でもこいつはばたばたとあらがい続ける。全く、滑稽で馬鹿な女。


「奇遇だな、俺もお前が大嫌いだ」


自分の体の下にいるあいつの体の小ささと柔らかさがリアルに感じられて戸惑う。こんな男女、どうなったって構わないだろうに。
あいつの目がキラリと光った。いつも通りの気の強そうな、うざったい目。それなのに、涙でも溜まっているのか、十分に潤ったそこはきらきらと光を反射させていた。他に何も写してはいない、ただきつい表情をした俺だけが映っている、まるで追い詰められた獲物のような目。あいつが暴れるたびに、縄のように俺の腕があいつの腕にぎりぎりと食い込んでいく。




喰ってやる。




苛立ち、憤怒、加虐心、支配欲、何かマグマのようにどろりと熱い灼熱が俺を突き動かして、俺はあいつの首に噛みついた。あいつは抵抗して、ガリッと俺の腕に爪を立てる。自分の肉体に食い込んでくるあいつの指。それが俺を更に高ぶらせた。



***



生徒会室へ向かって俺は歩いていた。仕事はできるだけ竹内の裁量に任せていたが、それもそろそろ限界だろう。今日は俺が直々に仕事をする必要がある。
早足で歩いていた俺は、校舎の妙な雰囲気に気がついた。確実に人は校舎内にいるのに、しんとしている。普段のような話し声や物音といった喧噪が聞こえず、まるで音だけがどこかへ吸い取られてしまったかのようだ。

1年生の教室の前にさしかかったところで、その静寂が突然ぶちやぶられた。

どん、と鈍い音。しばらくすると、男女の低い声。何を言っているかまでは聞こえない。どうも、この先の教室から聞こえたらしい。俺は眉をしかめた。机でも蹴倒したのか。全く、学校の備品を何だと思ってやがる。無駄に傷つくだろうが。一言言ってやろう。そう思った俺は、音のした教室に向かった。1−Cか。ったく、何やってんだ。
薄暗い廊下から、蛍光灯のついたやや明るい教室をのぞき込む。




俺は、驚愕した。

男女が教室の床の上でまぐわっている。




……いや、よく見たらもつれ合っているだけだ。だがその体勢、髪を床に散らして体を動かす女、それに覆い被さり喰らい付く男、乱れた息づかい、粘着質で緊張と弛緩の間をいったりきたりするような、激情に支配された情事のようなその様子。
男の頭と女の顔がうすぼんやりと見えて、しかしそれが誰なのかがはっきり分かって俺は軽く息を飲んだ。日吉と、越川。

日吉は越川を押さえつけ、まるで吸血鬼が血をむさぼるかのように女の首筋に口を付けている。茶色の髪が女の顔に被さるようにして乗っている。その表情は見えないが、狂気に犯されたかのように、まるで獣が餌をむさぼるかのような生臭い雰囲気がある。日吉の指はぎりぎりと、女を逃さないかのように、自分の所有権を主張するかのように女の柔らかい二の腕を締め付けていた。
押さえつけられた越川は、目に涙を溜めて顔を苦しげに歪めていたが、その目尻から誘っているかのような微妙な色気が出ていた。少し開けた唇が湿っている。乱れて床に散らばった髪が、激しさを表す。まるで捕獲された獲物が、最後に命乞いをするかのような、終わりを思わせるような美しさがある。日吉の二の腕に立てられた女の爪が、まるで絶頂に達していることを物語っているようで、濃い精液の臭いでも纏っているんじゃないかと思わせられる。


初めてこいつらの様子を見たときから直感的に思っていたことが、確信に変わる。

こいつらは背中合わせだ。見つめ合うのではなく背中を向け合っていて、何よりも自分を雄弁に語る顔をお互いに見ようとしない。だがもっと別の場所、例えばそう、背中がくっついて、気が付かないうちに体のたぎらせる熱を共有している。ある意味、見つめ合うカップルよりもはるかに距離は近く。だが、顔を見ないから相手のことも、ひいては自分のことも分かろうとしていない。そういう関係だ。遠いくせに近く、近いくせに遠い。

ったく、ややこしいやつらめ。二人を見ながら、俺は心の中でつぶやいた。本当はもっと単純になるはずだ。簡単なことだ。顔を会わさせりゃあいい。


「ほどほどにしておけよ」


俺の声を聞いた二人はがばりと飛び起きた。越川の髪はそれこそ情事の後の女のように乱れ、日吉の早い息も殺し切れていない。愕然とした表情でこちらを見る二人に、俺は唇を歪めた。


「なぜ相手をそう思うのか、どうしてこうするのか、よく考えることだな」


すっぱりと言い切ると二人に背中を向けて、俺は再び生徒会へ歩き出した。
面白い。セックスを親に見られたガキみてえだ。
言葉もない二人の様子を思い出して、俺はククッと笑いを漏らした。
















「ふうん、そんなことがあったんやなあ」


忍足はタオルで汗をぬぐいながらつぶやいた。日吉が笹本さんと別れたとか、浮気したとか、生徒会の子ぉとキスしたとかいろいろ言われとったけど、そういうことやったんや。俺も手を動かして着替えながら、まあキスのことは推測だがな、と返事をした。


「全く、奥手なやつらだ。ようやく半歩ってところか」

「半歩っちゅうより0.1歩くらいに見えるんやけど、それ。大丈夫かいな」


忍足は呆れたような顔をしている。段取りをきっちり決めて好きな女を落とす策士タイプの忍足から見れば、驚くべき不器用さなのだろう。


「それに、好き同士でそこまで罵り合うってどういうこっちゃ。ツンデレなんてもんやないやないか」

「俺様にあいつらの感性が分かるわけねえだろ。敢えて言うなら嫉妬か何かだろうよ」

「……ちょい跡部、二人の間に介入してる割には適当すぎるんちゃうか。本当は本当に嫌い同士やったらどないすんねん」

「さあな」


ブレザーのボタンを留めながら考える。忍足はそうは言うが、間違いない。確信がある。


「まあ、ええけど。俺も何かあったら一肌ぬぐわ。下手な恋愛映画よりおもろそうやし」


妙なところで協力者が釣れて、俺はああ、と生返事を返した。あとはあいつらがどうするかだが、どのみち普通の恋人同士になるまでは相当な時間がいるだろう。背中を押してやるのも悪くない。


(20110530)

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