大嫌いな君へ | ナノ
逆さまの日

翌朝。有里は教室にたどり着く直前に女の子の山に取り囲まれた。こちらが息をつく暇もなく、質問と会話が次から次へと飛んでくる。教室の前だから通りの邪魔になるかもしれないけれど、そんなことは今彼女たちの眼中にはない。


「越川さんって吉村くんと付き合ってるんじゃなかったの」

「ちょっと、どういうこと?日吉が嫌いって、嘘ってこと?」

「えっでもおかしくない?だって日吉くんってずっと笹本さんと付き合ってたじゃん、めっちゃ仲良かったじゃん」

「確かに。それに日吉も越川さん嫌いって感じだったのに」

「それも嘘だったってこと?両方とも、嘘?」

「ええー二股?ひっど」

「ねえ、どうなの?付き合ってる相手って、吉村なの?日吉なの?」


言葉に詰まって目を白黒させているうちに、話がどんどんとんでもない方向に転がって行っている。有里は焦った。そんなこと、勝手に言われては困る。きっと笹本さん経由で昨日のことがぱっと広がったんだろう。ただの恋愛関係のこじれだったらここまで言われないだろうに、なんせ、今回はあの綺麗な笹本さんと、なぜか人気のある日吉がからんでいるのだ。焦る気持ちの片隅で、芸能人ってこういう気分なのかなあと変な考えが浮かんでくる。


「いやいやいや、付き合ってないから!」

「嘘!」

「嘘じゃないから!吉村とも日吉とも付き合ってないから!っていうかそもそも日吉嫌いだって前から言ってるじゃん!」


そうだ、日吉なんて大嫌いなのにこんな風に言われるなんて。吉村ならまだいいけど……、あんなやつと付き合ってるって言われるなんて、鳥肌ものだ。だからきっぱりとそう宣言する。仲の良い吉村とでさえ付き合ってないんだ、日吉なんて論外だから。


「でも昨日、日吉とキスしてたんでしょ?」

「はあ!?」


どこでどうヒレが付いたのか、キスだって!?有里は青ざめた。もはや、抱き合ってたとかそういうレベルじゃない。未だに消えない歯形を見せれば違うって分かってもらえるかもしれない、ととっさにブラウスの襟に手を掛けたが、思い直す。嫌いな人間の歯形が付いているっていう状況が、そもそも意味不明だし怪しい。『越川さんが日吉に首噛んでもらったんだって!』……なーんて言われでもしたら、それはそれで目も当てられない。


「そんなことするわけないでしょ!勝手に人のファーストキスを日吉にしない!」

「でも笹本さんが、はっきり抱き合ってて、頭寄せ合ってるの見たって」


有里はぐっと詰まった。反論ができない。それは確かにそうだ。キスなんて甘いものじゃないし、むしろ睨み合っていたのに。黙った有里を見て、周りの女の子たちは大きくざわめいた。はっとして、慌てて口を開く。


「いやだから、違うから!ホントだって!嘘だと思うなら日吉にも聞いてみてよ!」


女の子たちは疑わしそうに、またざわざわしている。そのうち一人が教室の中を見、また一人、また一人と女の子が教室の方を向いた。彼女たちの視線の先では、日吉が私と同じように男子たちに詰め寄られていた。








気分は最悪だ。頑張って誤解だと主張してまわったけれど、全く解決にはならなかった。実は日吉が好きだったとか付き合ってたとか吉村と二股掛けてたとかものすごい噂が巻き起こっている。笹本さんと仲の良い男女からは心なしか冷たい視線も感じる。さすがに面と向かって罵倒されたりはしないけれど。今回の件の関係者は全員このC組。せめてクラスがばらばらならまだ救いがあったものを!有里は苦々しく思った。重苦しい雰囲気と、好奇心で心を躍らせた人たちのワクワク感が教室のそこらここらで混ざって漂って、妙な空気だ。当事者としてはとても居心地が悪い。
ゆっことしろちゃんにはきちんと説明したら分かってもらえた――歯形のことは言えなかったけど――から、まだ良かった。でも問題は、吉村。暗い顔をしていて、話しかけようにも授業が終わるとすぐどこかへ行ってしまう。明らかに、避けられている。メールにも返信がないし、待ち伏せしてなんとか捕まえようと思っても、するりとうまく逃げられてしまう。

最悪だ。誤解だけど、それでもあの優しい彼を傷つけてしまったのだ。

吉村とは話せないし、ゆっことしろちゃんとはおしゃべりしている間にも噂について口を挟んでくる人がいるし、笹本さん……は正直どうでもいいのだけど、日吉は気まずさも相まって前よりももっと会いたくないし。
そういう状況に耐えきれなくなった有里は、生徒会室へ逃げこんだ。幸い生徒会の人たちは大人っぽい人が多く、噂のことも否定したらちゃんと誤解だって分かってもらえた。それに何より今の生徒会は忙しいから余計なことにかまけている暇がない。ただのお手伝いの有里にも次から次へとやることが降りかかってくる。その忙しさが、嫌な噂の存在を忘れさせてくれた。


***


え、テニス部ですか。
うん。
電話では呼び出せないんですか?
うん、部活中には携帯には気がつかないからさ。
えっと、私がテニス部に行くんですか?
うん、どうしても跡部にこの書類の確認はとらなきゃいけなくてさ、今すぐに。
……。
おや、テニス部苦手かい?
ええと、そうではないんですが諸事情があってあまり行きたくないというか会いたくない人がいるというか。
そっか、ごめんね。



竹内先輩は強かった。俺たちは今手が離せないからさ、ごめんね、とすまなそうにしながらしっかりと私に書類を渡してくる。無理なお願いをしてごめんねやっぱり気にしないでね、ではなく、嫌なことをさせてしまってごめんねお願いするよ、なのだ。……全く。さすが生徒会の幹部だ。優しいだけじゃない。


生徒会のために急いでコートに行かなきゃという気持ちと、あいつと顔を合わせたくないという気持ちが相反して、結局有里はとぼとぼとテニスコートに向かった。他の運動部員たちの声や音に混ざって、テニスボールの音が徐々に大きく聞こえてくる。ああ、嫌だ。
今はあいつに対して、前のような憤りを抱いているというよりはもう関わりたくないという気持ちの方が強い。怒りや嫌悪が消えたり減ったりしたのではないのだけれど。自分の中で強い感情が渦巻きすぎてそれに翻弄されて、疲れてしまったのかもしれない。教室では、あいつは相当苛立っているようだった。

コートに着いて、フェンス越しに跡部先輩を探す。ちょうど休憩時間だったようで、部員達はコートの内外に散らばっている。このぐちゃぐちゃに入り乱れた200人の中から跡部先輩を探さなきゃいけないのか!こんな状態じゃあ部員さんに跡部先輩の居場所を聞いても分からないだろうし。有里はとりあえず、コートの周辺を歩き回ることにした。えっと、跡部先輩跡部先輩。きれい好きそうだから、水場で顔を洗ってる、とか?汗とか嫌いそうじゃないかな。とにかく、行ってみよう。



水道場に続く角を曲がるときに、嫌な予感がした。

そしてそれは正しかった。



さっさとすれ違えばいいのに、それもできない。あいつのせいだ。あいつが目の前で立ち止まるから。完全に逃げるタイミングをのがした。あいつは頭にタオルを掛けて、無表情でこちらを見ている。無言のまま。有里はそんな様子にイラついた。こうやって顔を合わせるとやっぱり強固に浮き上がってくる、憎悪の色。なんであんなことしたわけ。ホント、嫌がらせばっかりしてくるやつ。


「ふざけんじゃないわよ」

「それはこっちの台詞だ、邪魔ばかりしやがって」

「はあ?何言ってんのよ、邪魔ばっかりするのはアンタの方でしょ!?」


カッとなって声を荒げる。いつもだったら睨み合うような喧嘩になるのに、今日は感情の押さえが聞かなかった。これも全部、あいつのせいだから。その張本人も苛ついたのか、顔を歪めて口を開いた。そのときだった。


「お前ら、そのくらいにしておけ」


呆れたような声が私とあいつの間に飛び込んできた。後ろには、声通りに呆れたような顔をした跡部先輩が立っていた。彼は一つため息をついてから、ふっと笑った。


「お前らの仲が悪いってのは聞いていたが、ここまでとはな」


跡部先輩はつかつかと歩いてきて、私を見下す。怒りからはっと我に返って、慌てて手にしていた書類を差し出す。


「竹内先輩が、この書類の確認を取りたい、だそうです」

「どれ。……ここはこっちに変えておけ。後はこれでいい」

「分かりました」


もう日吉には関わりたくない、丁度良いからさっさとここを離れよう。きびすを返して一歩踏み出したところで、跡部先輩に肩を掴まれる。見上げると、彼はにやっと笑って耳に口を寄せてきた。






「お前、日吉が好きだろう」






私は突然のことに目を丸くしたが、その意味が分かったとたん、さっきのイライラがまた巻き戻ってきた。そして思わず跡部先輩相手に勢いよく食ってかかる。


「そんなわけないじゃないですか!ふざけないでください!」

「……ふん、まあいい。おら、さっさと行け、竹内をあまり待たせるな」


跡部先輩から言ってきたくせに、何気にこの人、勝手だ。私はむくれたがここで抗議しても始まらない。それに、竹内先輩を待たせるわけにはいかないっていうのは正論だ。私はやや気分を害したまま、その場を離れた。


***


残された俺の方を見ないまま、跡部さんは挑発的に言った。


「お前、女の扱い方も知らねえのか」

「あんなの女じゃありませんよ」

「どうだかな」


俺は気分が悪くなって、吐き捨てるように言った。跡部先輩は意味ありげな言葉を口にする。そして何がおかしいのか、小さくなっていくあいつの背中を見ながらくつくつと笑った。


(20110506)

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