大嫌いな君へ | ナノ
捕食

俺が押さえつけた越川は、誰かに助けを求めるかのように俺から目を反らした。きっとこいつは、吉村が来るのを待っているんだ。前と同じように。吉村、吉村、吉村。こいつは吉村に依存している。俺はあざ笑うように言ってやった。


「誰かが助けてくれる、なんて甘いんだよ」

「そんな馬鹿なヒロインみたいなこと考えてないわよ」


越川はなんてことないような顔をして、気を取り直したかのようにこちらを睨んでくる。だが、確実に焦っている。
俺は笑い出したくなって口を歪めた。じわじわと、心が加虐的な優越感に支配されていく。嫌いなやつが、自分の手のひらの中で、どう足掻いても無駄なのに足掻いて、翻弄されていくのを上から眺めているような快感。じっくりとなぶり殺されて死んでいくのを、安全なところから楽しんで眺めていられるような快感。今頃自分の非力さに気がついたところで遅い。もっと焦って、腹を立てればいい。もっと無駄に足掻けばいい。俺の領域を侵すというのは、そういうことなんだよ。めざわりなんだよ、お前は。消え失せろ。

それなのにあいつは、俺から目線をときどきはずして、扉の方を見る。吉村を、待っている。
俺は、段々苛立ってきた。都合良く助かろうとしやがって、反省もしない。それに前回睨み合った時は、確かに吉村は越川を助けた。こんなどうしようもない女、放っておけばいいにもかかわらず。


「おい」

「……何」


越川はキッとこちらを睨み付けてくる。今度は視線を外さない。俺はもう一度、強くあいつを壁に押しつけた。痛かったのか、越川は小さく息をのんだ。こくりとあいつの喉が上下する。制服と髪の間から覗く首。このぬるい教室の中で高い温度を放つそこの空気が俺に絡みついてくるようで、柔らかいそこをぐちゃぐちゃにしてやりたくなる。痛めつけてやりたい、消し去ってやりたい、もう二度と熱を帯びられないように、そのくせ自分の命を主張するかのようにかすかに空気を振動させてそこは俺に訴えかけてくる。まだだ。まだ。まだ足りない。苛立つ。うざい、目障りだ、むかつくんだよお前。

俺は無意識のうちにすうっと越川の首に吸い寄せられた。唇を寄せて。俺は文字通りそこに噛みついた。

ぷつり、歯に柔らかい感触。
あいつの髪が俺の上に流れる。
シャンプーの香り。
肌と心にこもる熱。
俺を嫌うこいつとこいつを嫌う俺。
やり場のない苛立ち。

越川は小さく声を上げて、全身を硬直させた。


「う、あ」


ぎゅうっと噛みつくと、我に返ったらしい越川が焦って、喘ぎ声にも言葉にもならない声を上げる。手足を動かして抵抗してくる。俺は更に腕を壁に押しつけ、足を足で押さえつけ、更にざくりと歯を立てた。濡れた俺の舌にも柔らかく暖かい感触が伝わってくる。

目障りだ。うざい。大嫌いだ。



喰い尽くしてやる。お前のことなんて。




***


私のあごのすぐ横に日吉の頭がある。どうしてこんなことになったのだろう、いや、それは私が怒らせたからなのだろうか。今、自分でも混乱して焦っているのが分かる。あいつの体ごと押さえつけられている私の体、服越しに日吉の体と熱が伝わってくる。怒り、憎しみ、私だって、私だって嫌いだ。

思わず声を上げる。痛い、痛い、痛い。ぶつけた頭の鈍痛なんて気にならなくなるほどの鋭い痛み。ぎゅっと歯を立てられて、ぬるりとあいつの舌が首筋に伝わった。

なんでそこまで日吉が嫌いなわけ。呆然とした頭にゆっこの言葉が響く。私はぎゅっと唇を引き結んだ。そうしないと心が弱くなってしまいそうだった。なんで嫌いか、だって。そんなこと私だって知りたい。分からない。でも、大嫌いなんだ。今全身全霊が目の前のこの男に集まっている。大嫌いだ、あんたなんて。











ガラッとドアのあく音がけたたましく響いて、日吉はすっと私から退き、私は慌ててその場から離れて体勢を整えた。不意打ちの乱入者に、心臓がせり上がる。


開け放たれたドアの向こう側にいたのは、笹本さんと、吉村だった。
二人とも愕然とした顔をしていて、笹本さんは手で口を押さえていた。きっと、私と日吉も同じような表情をしていただろう。

数秒なのか、数分なのか、沈黙が長く感じる。笹本さんは、青ざめて、声は震えていた。


「若、いま」


見られた。飛び上がったまま降りてこない心臓が、どくどくと音を立てる。私と日吉のいざこざなんて日常茶飯事だ。だから、問題ない、はずだった。でも、今回はどう見えただろう。壁で体を密着させて、男が女の首に顔を埋めていて。しかも、人に見られたと分かったら慌ててその二人は離れて。いちゃついていたように思われたかもしれない。いや、たぶんほぼ間違いなくそう思われた。
その証拠に、笹本さんの様子と呆然とした吉村の顔。笹本さんは日吉の彼女だし、吉村は、なんで日吉嫌いの私が日吉といちゃついてんだって思っただろう。

私も、自分自身の行動に呆然となった。私、日吉に何させてんだろ。たとえ力負けしたとしても暴れれば良かったのに。そうすれば、少なくとも、首筋に口を付けられることなんてなかったはずなのに。そもそも、なんであんなこと。噛むなんて普通じゃない。私は日吉が大嫌いだ。近くに寄ってほしくないくらい嫌いだ。それなのに、怒りと驚きがないまぜになって、あの時とっさに動けなかった。

カランと音がして、笹本さんの手からペンが転がり落ちた。全く、ややこしいことになってしまった。違う、そんなんじゃないと否定すればいいのかもしれないが、こういう時には否定をしても、慌てて嘘で取り繕っているようにしか見えない。誤解を解くには、私の首にくっきりと残っているであろう歯形を見せるのが早いか。しかしそれはそれで、なんだか恥ずかしいし悔しい。


「いま、越川さん、と……」


彼女は嘘でしょ、と縋るような目で日吉を見ている。私と同じく呆然としていた日吉が、彼女の言葉に動揺した。働かない頭の片隅で、ざまあみろと思う。笹本さんに誤解されてやんの。愛する彼女がショックを受けて、せいぜい後悔すればいい。

しかし、私も吉村にちゃんと説明しないといけない。あれだけ日吉の愚痴を聞いてもらったんだから、私と日吉がいちゃついてたって勘違いしてたらそれはそれで驚きだろう。
ちらりと視線を動かすと、吉村と目があった。同じく呆然としていた彼は、目が合うとぎゅっと唇を引き結んで、身を翻すと走り去って行った。


「ちょ、ちょっと、吉村!待って!」


私も廊下へ飛び出して、小さくなっていく吉村の背中を追って走る。でも彼はあっという間に廊下の角を曲がって消えた。なんとか角までたどり着いたけれど、そこにはもう誰もいなかった。
どうして走っていっちゃったんだろう。そこまでショックだったのだろうか。もしかして、実は私と日吉がデキてたのに、それを隠すために吉村に嘘の愚痴を言ってた、みたいに思われてしまったんだろうか。吉村が知っているのは、本音の私なのに。

私は廊下のど真ん中で立ちすくんだ。


吉村は、行ってしまった。



***


笹本の大きな目が俺をじっと見つめている。その瞳は十分に潤っていて、蛍光灯の光できらりと輝いた。


「いま、越川さん、と……」


抱き合ってたの。音にはならなかったが、確かに彼女の唇はそう動いた。嘘だよね。冗談だよね。そう言いたそうな青ざめた顔で、彼女はその場に立ちすくんでいた。

その言葉に俺は動揺した。激情がくすぶっていた体内に一気に冷や水を浴びせかけられた。俺が、越川と、何だ?俺は、一体何をした。何故あんなことをした。いくら嫌いなやつでも女に手を出した時点でずいぶんまずいことをしてしまったが、それにしても何故俺はあいつの首を噛んだりしたんだろう。なんでわざわざ、嫌いな女の首に、そんなこと。
硬直している笹本の横で、見る間に吉村が真っ白になっていった。


「ちょ、ちょっと、吉村!待って!」


走り去った吉村をあいつが追いかける。吉村もたぶん、笹本と同じで俺とあいつが抱き合っていたとでも思ったのだろう。吉村とあいつがどんな関係かには興味が全くないが、愕然としていた吉村と吉村を追いかけていったあいつの行動から見て、相思相愛の仲だったんだろう。
ざまあみろ。俺はあいつの後ろ姿を見て、心の中で嘲笑した。どうだ、お前が慕って頼っていた男がお前を置いて去っていくのを見る気持ちは。せいぜいこじれればいい。そうすれば、吉村だってもっとまともな女といられるだろう。


「越川、さん、のことは、気にするんだね」


笹本が切れ切れながら、はっきりとそう言う。何のことだかさっぱり意味が分からない。俺は眉をひそめてそちらに目をやる。彼女の目からはぼろぼろと涙がこぼれていて、俺は突然のことにぎょっとした。


「わた、私たちって、付き合ってたんじゃないの?」

「……は」


付き合ってた?俺と、笹本が?

俺は唖然として、無意識のうちに口からはやけに冷たく響く変な音が出た。付き合っているっていう噂が流れているのは本当だ。笹本を悪く思っていなかったのも本当だ。だが、俺は笹本を好きだと思ったことは一度もない。そう言ったことはおろか、そういうそぶりを見せたことだってないはずだ。

笹本は教壇に駆け寄ると鞄をさらうように掴んで、うつむいたまま教室から走り出ていった。
一人残された教室で、俺は一連の出来事に呆然としていた。


(20110504)

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