アフターハーレム | ナノ
大人はいう。幼児はその純粋さゆえに残酷だ、と。
本当にその通りだ。物事の本質を見抜いて、ストレートにずばりと指摘する。

成長するにつれ徐々に物の言い方を覚え、どうやってオブラートにくるめばいいのか、どういうときに空気を読むべきか、分かってくる。嘘もお世辞も言えるようになる。

そんな自分に気がついて、ああ、私は汚れてしまった、純粋なあのころに戻りたいなんていう人がいる。大人の世界に疲れたとき、子供の純粋さを思い出しては感傷に浸ったりする。

けれど、純粋さは不器用さと紙一重であって。

どちらがいいのかなんて本当は分からない。







水面下は分からない




テニスコートで由紀を待っていたのは、噂を裏付ける現状だった。


コートでは、練習前の準備が始まっていた。仁王くんはまだ姿が見えない。藤川さんと高橋さんも、ドリンクの準備でもしているのだろうか、コートに姿はなかった。

練習開始の直前になってやっと、ジャージを着た仁王くんがするりとコートにやってきた。表情は、いつもと同じに見える。部員たちは、あからさまには反応しなかったものの、どことなくざわめいている。

真田くんが一声「練習を始める!」と宣言すると、ぎくしゃくした雰囲気は一掃されて、これまで通りの練習があっさりと開始した。

由紀は仁王くんを凝視した。

いつも通り、何もなかったかのように、一心に体を鍛えている。
男子テニス部はかなり精密でハイレベルな練習をしている。だから、もし集中が途切れたり気持ちに乱れがあれば、練習にすぐさま現れてしまうだろう。この立海大附属男子テニス部の中で、中途半端な気持ちのままでまともに練習がこなせるとは思えない。

おそらく、彼の集中は「ふり」ではなく本物だ。

普段通りの、ぴりっとした、ぴんと張り詰めたような緊張感の中、練習は進む。

藤川さんはどうだろう。
丁度、彼女が体育倉庫から荷物を運んできたところで、由紀の近くを通った。彼女の目は、赤かった。でも口をきゅっと引き結んで、いつも通り、きびきびと働いていた。高橋さんも沈んだ表情をしている。でも、高橋さんも藤川さんにくっついて慰めたりせず、自分の仕事を手際よくこなしていく。


練習中の様子は、表面的にはほぼ『普段通り』。再び『普段通り』が大きくゆらいだのは、休憩時間だった。


いつもは藤川さんが渡す仁王くんのドリンクとタオルを、さっと高橋さんが渡す。仁王くんもそれを普通に受け取った。藤川さんは懸命にいつも通りに振る舞って、仁王くん以外に、手早くドリンクを配っていく。

周りの部員たちはそれをちらっと見てから、何事もなかったかのように目をそらして、いつも通りに談笑する。その行動が、仁王くんと藤川さんを気遣ってのことだというのが、ありありと分かった。みんな、興味なさそうにふるまっているけれど、神経はその二人に集中させている。


表面的には穏やかに。でも、雰囲気が、不穏だった。


仁王くんはすました表情で藤川さんからさりげなく距離をとり、柳生くんにからんでいる。例の「冷たい目」はしていなかったが、さめた目をしていた。
藤川さんの笑顔が痛々しい。丸井くんと桑原くん、そして切原くんたちは前と変わらず彼女のそばにいる。高橋さんは、困ったような表情をして、でも藤川さんのところへも仁王くんのところへも行かず、他の部員達と話をしていた。

真田くんは、いつもと違う部員の様子に戸惑っているようで、首をひねっている。柳くんと幸村くんは、特に感情を表さないまま、部員達の様子をじっと見ていた。



藤川さんが振られたっていうのはどうやら、本当、みたいだ。



幸村くんや柳くんが言っていた「違和感」とは、このことだったんだろうか。私が見た仁王くんの目は、やっぱりこの前兆だったんだろうか。

仁王くんも大変だね、と、ある女の子が言っていたのを思い出す。藤川さんのハーレムみたいだよね、テニス部の男子みんなカッコいいしね、と。

もしかして、仁王くんのあの目は嫉妬だったのだろうか。男子テニス部員を大切にする藤川さんに、耐えられなくなったとか。
たしか、初めて仁王くんの冷たい目を見たのは、藤川さんが「みんなも一緒に帰ろう」と言った後だ。それなら嫉妬だとも思える。でも、仁王くんは丸井くんや桑原くんに対して牽制するようなそぶりは見せなかった。藤川さんと他の男の子たちが話していても、冷たい目をしていないときだってあった。

分からない。嫉妬が怒りやあきらめに繋がって、耐えられなくなって藤川さんを振った、と解釈するのが自然だろうか?



罵りあっているわけでもないし、喧嘩しているわけでもない。練習もきちんとこなしている。

でも、やっぱり不穏だった。

由紀はため息をついた。こんな雰囲気では、とても絵を描く気にはなれない。しばらくは、観察に徹するしかなさそうだ。


***


幸村くんと一緒に帰る気にはなれなくて、柳くんと顔を会わせる気もしなくて、由紀は最近、練習が終わる前にさっさと帰ることにしていた。今日はカウンセリングを受ける日だ。丁度いい。さらっとコートの様子を確認すると、由紀は病院に向かった。

住宅街を抜けて、商業区へ向かう。橋を渡ると、生暖かい南風がふきぬけてほほをなでる。河原からひらひらと白い蝶々がやってきて、不規則な飛び方をしながらまたどこかへ飛んでいく。
ひとつくしゃみが出る。花粉症、だろうな。



あれから1週間。藤川さんはもう泣きはらしたような目をしていなかったけれど、顔が暗い。高橋さんは反対に、必死でニコニコと笑って空元気を振りまいていた。

仁王くんは昨日、1時間ほど遅れて練習に来た。もしかしたら来ないんじゃないか、という部内のハラハラした雰囲気を散らして、仁王くんはひょうひょうとコートに現れた。その後は、真田くんの容赦ない鉄拳制裁が下って、すまん、寝過ごしたんじゃと素直に彼が謝って、それで終わり。

それ以外は男子テニス部は、相変わらずの雰囲気だった。



ここまで観察して、分かったことがある。

特に何の動きも見せていなかった柳生くん。彼は、かなり仁王くんを気にしているようだ。部活が始まる前も、休憩の時も、部活が終わった後も、さりげなく、仁王くんのそばにいる。

そういえば、と回想する。レギュラーの中で柳生くんだけは、藤川さんからどれだけ一緒に帰ろうと誘われても、すぐに断っていた。あの紳士の彼が、さらっとためらいなく、でも困ったような顔をして。用事があるので、と言って。

本当に用事があるのかもしれない。年をとったおばあちゃんの様子を見に行っているのかもしれないし、別に習い事でもしているのかもしれない。

でもそれが、もし、優しい嘘だったのだとしたら。仁王くんが、藤川さんが周りの男の子と仲良くするのに嫉妬していて、それを柳生くんが敏感に感じ取って、藤川さんと距離を置いていたのだとしたら。さりげなくそばにいるのも、実は何かに傷ついている仁王くんを気遣ってのことだとしたら。



由紀はいつの間にか病院に到着していた。テニス部のことを考えながら、無意識に診察カードを出して、巨大な待合室の隅っこに座る。



ここのところ、教室にいてもどこにいても、仁王くんと藤川さんの話でもちきりだ。噂の中心はだいたい、なんで仁王くんが藤川さんを振ったか、という内容で。中には、悪口も多い。仁王くんが直接的に嫌がらせをされているということはないだろうけど、勝手な批判がともかくひどい。

もてあそぶなんてサイテーだな。
あの藤川さんをフるなんて。
本気じゃなかったんじゃねーの?
藤川に原因があるとは思えないよな。

由紀は暗澹たる気分になった。嫌でも耳に入ってくる。仁王くんが何を思って振ったのか、藤川さんが何をしたのか、全然知らない人間が、偉そうに口を挟めるようなことじゃない。恋愛関係なんて事実は当事者にしか分からない。他の人からみたらたいしたことがなくとも、本人たちにとっては一大事ということだってあるのだ。



うつむいて沈思していると、隣に座ってもよろしいでしょうか、と丁寧な口調で声を掛けられた。反射的にああすみません、どうぞ、といってちらりと相手の顔を見る。

思わず息をのんだ。噂をすれば、影。
彼、だった。彼ははっとした由紀を怪訝そうな顔で見る。


「あの、立海男子テニス部の?」

「はい、そうです。ああ、見覚えがあると思ったら、最近私たちの絵を描いていらっしゃる方ですね。確か――」

「長崎由紀です」

「長崎さんですか、よろしくお願いしますね。私は柳生比呂士と申します」

(20101201)

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