アフターハーレム | ナノ
やらなければならないのに、ついためらってしまうとき。
どうしても踏ん切りがつかないとき。

そんなとき、どうしたらいいものかと途方にくれてしまう。

友達に「慎重だね」とよく言われるくらい、なかなか新しいことを始められない性格で。
どうしようかと、迷いに迷って、結局やれないままになってしまうこともある。

でも、もう、逃げ初めてから1年経つのだ。
それに、今回ばかりは逃げ回るわけにはいかない。


彼らから見たら私はただの協力者で、ただの観察者で、『主役たち』からは離れた部外者なのだけれど。でも、だからこそ、私は今度こそ立ち向かえるかもしれない。


私は、彼らを観察することで、現実を直視する。異質な自分を直視する。

この世界にいる、自分自身を受け入れるために。







見えぬものへの不安




翌日、さっそく由紀は男子テニス部のコートに出向いた。
頼まれた通り観察もするが、こちらの本当の目的は絵を描くこと。まずはデッサンをしようとスケッチブックを片手に、フェンス側のベンチに座る。

すでに幸村くんから部員たちに、私についての説明はされたらしい。美術部員で、男子テニス部をモデルに絵に描いている、と。俺が許可を出した、練習の邪魔はしないから気にするな、と。

コートにやってきた男子テニス部員たちは由紀を、ものめずらしげにじろじろ見た。だがやがて興味は尽きたのか、あっさりと視線をそらした。

写真を撮るわけでもないから、集中の妨げにはならないだろう。スケッチブック片手に、コートの外からじっと見てるだけだしね、私。


まずは状況を把握しようと、コートをぐるっと見回す。
さすが常勝立海大、コートの面数が多い。氷帝ほどでないにせよ、部員数もかなりのものだ。柳くんにおおざっぱに部員について教えてもらっておいて良かった。この人数を、全く情報がない状態から観察して人間関係を把握するのは、はっきり言って私には無理だ。

部員は、三つに分かれ練習していた。入部したての1年生、2、3年生の平部員、そしてレギュラー。「世代交代」がもう起きているらしく、見覚えのあるモジャモジャわかめ頭がレギュラーの練習に混ざっている。切原赤也。彼はもう活躍しているのか。

見回しても、顧問の姿は見えない。ヘタな大人よりも、三強の方がずっと強いだろうし、ね。

それにしてもレギュラーたちの若いこと。私がよく『知っている』レギュラーとは微妙に髪型が違い、やや幼く見える。いや、本当に幼いのだろう。中学生の成長はすごい。たった1年で、びっくりするくらい成長する。


じっと練習を見ていて、由紀は突然、ゾクッとした。

一糸乱れぬ練習風景。これは、異様だ。

女子テニス部の練習も、普通の中学生とは思えぬほどレベルが高かったけれど、桁違いだ。1年生は一心に素振りをしている。ときどき幸村くんに指導されているが、遠目だとラケットを振る角度でさえほとんど揃っているように見える。レギュラーや他の2、3年生はラリーをしているが、レギュラー以外も、ほとんどミスをしていないことが、すぐに分かった。ミスをしないから、ラリーが長く続いている。スパン、スパンとラケットからは快い音がして。

これが、立海なのか。騒がれるはずだ。
入部試験でもあるのか、それとも厳しい訓練でこうなるのかは分からないが、とにかくレベルも気迫も違う。

彼らは一心に、前を見つめラケットを振る。真田くんの声と、それに答える部員の声、遠くのコートから聞こえるラリーの鋭い音が、熱気をはらんでコートから立ち上っていた。まるでコートからわき上がった熱が、コートの外へ、グラウンドへ、校舎へ、そして敷地の隅々まで侵食し、立海全体を包み込んでいるかのうような。由紀は一瞬、そんな錯覚に陥った。



圧巻だった。



これは、描きがいがある。

そう思うと同時に、心がふと揺れた。ときどき聞こえる、私が『知っている』声。ときどき見える、私が『知っている』姿。丸井くんであり、柳生くんであり、幸村くんであり。そう、私は彼らを『知っている』。それも、普通ではない方法で。
紙面上の彼らと、同じ顔をした、現実の彼ら。でも、私が知っている彼らとは違う。髪型や、顔つきに残る幼さが。

――違う?そもそも、知らないだけじゃないか。知らない?確かに知らない。私が『知っている』のは、レギュラーの簡単なプロフィールと、大会の話と、ちょっとした彼らの人間関係だけで。その他のこと、クラスでの交友関係とか、平部員との関係とか、そういう、『テニスの王子様』の外側にあった彼らの生活については一切知らないのだ。異常なのは、私だ。


――いけない。ちゃんと見なければ。

沈みかけた思考をむりやり奮い立たせて、目の前に戻す。
柳くんは、確かにこの前、マネがらみで何かあると思っている、と言った。そう肯定した。ならば、マネージャーも観察対象、ということか。


コートを見回しても、マネージャーの藤川さんと高橋さんは、なかなか見つからない。オペラグラスでも持ってくるべきだったか、予想外に見つけにくい。

しばらくすると高橋さんが、うっすらと寒さの残る春だというのにジャージの袖をまくり上げて、重そうな籠を運んでいるのを見つけた。その近くで、もう一人のマネージャー、藤川さんが大量のコーンをコートに運び込んでいるのが見える。二人ともそれを終えると走って部室に戻り、ストップウォッチとノート、そして何かの計測器らしきものを持って再びコートに戻ってきた。

次から次へときびきびと走って行動し、私語の一つもない。マネージャー同士でも、必要なこと以外は話していないように見える。

理想的なマネージャーだった。


由紀は、デッサンをしていた手を止めた。

もし彼らを一枚の絵に仕上げるとしたら、マネは描くべきなのだろうか?

普通、チームとしては、マネージャーやトレーナーも含めて一つ、なのだろうけれど。強くなるために、選手は自らを鍛え、それを周りがサポートするという意味では、彼らは一体なのだけれど。

はたして私は、彼女たちを描きたい、だろうか。






由紀がぼんやりしている間に、いつの間にか休憩になったらしい。

二人のマネと1年生数人が大量のドリンクとタオルを部室から運びだし、それを部員が次々と受け取っている。

頭からタオルをかぶった仁王くんが、藤川さんのとなりで口の端をきゅっと上げて、笑っている。その近くに丸井くんや桑原くんもいて、彼らも笑っている。そこに、遠くから切原くんが走り込んできて、何かを叫んだ。彼は丸井くんにぼこりと頭を叩かれ、藤川さんに泣きつく。藤川さんはニコニコ笑いながら切原君の頭をなでている。お姉さんみたいだ。

高橋さんも彼女の近くでほがらかに笑っていて。柳生くんや他の2年生と談笑している。

運動部だから上下関係は厳しいだろうが、いい意味で実力主義なのだろう、1年生と3年生の仲も悪くはなさそうで。


三強はそこからちょっとだけ離れたところで立っていて。
休憩中の部員を見る真田くんは、顔は厳格なままだけれど、視線も表情も、心なしか柔らかく見えて。
柳くんはノートを片手に、何かを幸村くんと真田くんに言っていて。
幸村くんも、少なくとも私に見せたような不安や悩みはおくびにもださず、いつものように穏やかな表情で。


なんてことのない、風景。

良い部活の、普通の光景。


スケッチブックを広げて、様子をざっと、鉛筆で描く。

部員、マネージャー、笑顔、ドリンク、タオル。

脱ぎ捨てられた芥子色のジャージの上着、汗で色が濃くなったTシャツ、濡れてひたいに張り付く髪、レギュラーの足首に巻かれたおもり。

ネットをかすかに揺らす風、コートにわずかに散る桜の赤いがく、真っ青な空にわずかに浮かぶ雲、静かで暖かい春の午後の光。


練習中は怖いくらい真剣で、でも休憩ではこんなにリラックスできて。
部員は連帯意識も強くて、仲も少なくとも悪くはなくて。
2人のマネージャーも、話に聞いたとおり真面目で、仲もよさそうで、お互いに心から信頼していそうな雰囲気があって。
彼女たちと部員の仲も良好で。


圧倒されるような練習だけど、これほどにも平和で。




――これで一体、何があるというのだろうか。こんなに素晴らしい、少なくとも素晴らしく見える部で、一体幸村くんと柳くんは何を思っているのだろうか。

私は、特に才能があるわけでも、特技があるわけでも、熱意があるわけでもない。それでも、私が言ったたったの一言、マネージャーと何かあったのというたったの一言で幸村くんの顔色は変わり、私は協力を頼まれた。

幸村くんはまだ子供だけど、大人だ。すぐに人に心を許すタイプでも、困ったら突っ走るようなタイプでもない。それなのに、初対面の私に、大切なテニス部について、協力してくれと頼んできたのだ。

彼がそこまで思い詰めるということは、隠してはいるものの、それだけテニス部に「何かがある」ということだ。


じゃあ、彼が感じている違和感、不満は、一体なに。

テニス部で変なのは、なに。


静かな水面に小石が投げ込まれたように、ふいに由紀の心がふっとゆらいで、波紋が広がる。少し不安になった。これで本当に、何かが分かるのだろうか。幸村くんの助けになれるんだろうか、本当に。



いや、まだ1日目だ。焦ることはない。

そう自分に言い聞かせて、由紀は鉛筆を握り直した。

(20101123)

[back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -