アフターハーレム | ナノ
感情だけでは人は動かせない。
ある程度はロジカルで説得的に、頭に訴えるものがないと、ダメ。
でも、論理だけでも人を動かせない。
感情に訴えて共感を呼び、心に訴えるものがないと、ダメ。

論理的で感情的で、矛盾した動機が体の中にいくつも転がっている。
私は今、あらゆる方向から心も頭も引っ張られている。







リーダーシップ論




日曜日の話し合いから、数日が経過した。放課後に、由紀は画材の入った鞄を持って、浮かぬ足取りでコートへ向かっていた。
男子テニス部を見たい。でも見たくない。見なきゃいけない。でも見てはいけない。彼らの様子が気になる、だから見たい。でも憂鬱になるから見たくない。協力を頼まれている以上観察しなきゃならない。でもこの問題はあまりにもテニス部に深く関わる問題で、踏み込んではいけないようにも思える。
自分をコートに引き寄せる動機と、男子テニス部から遠ざける動機が内心で激しくぶつかり会う。幸村くんに頼まれたからという事実だけが、かろうじて由紀をテニス部にやってこさせた。

由紀はいつもの位置に座ると、開いたスケッチブックと鉛筆を膝の上に置いた。といっても、格好だけ。一応観察はするけれど、こんな葛藤を抱えたまま絵を描く余裕なんて、とてもない。
由紀はうつむいて、指先で鉛筆をくるくるともてあそんだ。

けじめ。覚悟。焦り。嫉妬。恋愛。選手。……そして、マネージャー。

単語だけは頭に残っているけれど、その内容について今考える気力はない。でも、その単語は頭を離れない。



柳くんは、仁王くんと丸井くんはほとんど話をしていないと言っていた。確かに、この前、見たときもそれは分かった。でも、彼らはただ単に話をしていなかっただけ、のはずだ。由紀は目をこらして、二人を探す。彼らはお互いにくっついている相手が違うからすれ違っているだけで。ただ単に、いる場所の距離が離れているから離す機会が減っているだけで。

そう、思っていた。

でも今の二人は、たまたま近くで練習することになっても、全く会話をしていなかった。嫌っているわけではない、でもどうしたのか、二人の間には固い雰囲気がある。すれ違いでもあったのか。それとも、気まずくなってしまっただけなのか。

藤川さんは相変わらず、仕事はきっちりこなしていた。でも、絶対に仁王くんに近寄ろうとしない。よく見ると、目も合わせようとしていないようだった。それだけ傷ついたということなのだろうけれど、その彼女の行動もまた、不穏な空気を醸し出していた。

ただ一人、ほとんど態度が変わらないのは、藤川さんの隣で明るく笑っている切原くんだった。彼は、今のテニス部の状態にあまり気がついてない。少なくとも、そう見える。もしかしたら、めちゃくちゃ空気の読める演技派で、わざと明るく振る舞っている可能性もなくはないが……、おそらく素だろう。
彼は重苦しい雰囲気の上級生に混じって一人、けろっとしていた。

なんで切原くんは元気なんだろう。仁王くんと藤川さんの話は知っているはず、なのに。
由紀は、ぼんやりした頭を無理矢理動かした。
恋心がよく分かっていないから?入部したてで周囲の状況を把握仕切れていないから?実は藤川さんとかどうでもいいと思ってる?いや、それはないか。周りの雰囲気に鈍感、いわゆる空気読めないタイプとか?

切原くんは、入学式の日に、その足で真田くんと対戦して惨敗した、と聞いた。プライドの高い彼にはきっと、藤川さんがうんぬんという今の問題よりも、1ヶ月前の負け試合の方がはるかにインパクトがあったのかもしれない。


元気な切原くんが混じっていても、練習はじわじわと崩れていった。
それはまるで、常勝立海の男子テニス部員それぞれを固くまとめ上げていたネジが少しずつゆるむような。そのうちゆるみが進み、部員というパーツがバラバラになって、王者の姿は跡形もなくバラバラになってしまうのではないかと、そんな錯覚を由紀が起こしてしまうほどの。

そんな部員たちに、真田くんがどなることが多くなった。しょっちゅう、たわけが!という低い声が聞こえる。その声で一瞬、空気はぴしりと締まるけれども、それも長くは持たず、またすぐにゆるんでしまう。
真田くんの眉間には、深いしわが刻まれていた。


***


休憩時間になると、真田くんは真っ先にタオルを受け取って、早足でコートの出口に向かった。おや。由紀はそれを意外に思う。彼は、いつも他の部員達がタオルやドリンクを受け取った後で、自分の分を受け取る。自分への厳しさがそのまま現れたような態度とる。だが、今日は。

真田くんの表情は、いつも通りに見えた。

彼はまっすぐ歩いて、由紀のそばにある出入り口からコート外に出る。そのまま数メートル歩いたところで、彼はタオルをぼとりと落とした。しかし彼はそれに気がつかず、ずんずん先へ歩いて行く。
由紀は立ち上がってタオルを拾うと、真田くんの背中を追いかけた。




真田くんは、コートの外にある水道場の前で足を止めた。由紀は声を掛けようとしたが、彼はそれに気がつかず、蛇口を全開にして勢いよく水を出し、その中に頭を突っ込んだ。水はあっという間に彼を侵食し、水しぶきが回りにもはね飛んだ。

由紀はぽかんとした。あの真田くんが。こんなこと、するんだ。……冬に修行で滝に打たれるとかならやりそうだけど。言い方は悪いが、すごく中学生っぽい。男の子っぽい。

一分と経たないうちに、彼は蛇口を閉めた。そのタイミングで、由紀はタオルを差し出す。


「真田くん、タオル落としたよ」

「何?すまん、助かった。まったく、たるんどるな」


自分自身を強く責めるような口調で言って、彼はタオルで乱暴に頭を拭いた。ぽたぽたと、ぬぐいきれなかった水滴が髪の毛からジャージの肩にたれる。
真田くんもまた、いつもとはかなり様子が違う。いつものどっしりと構えた、大岩のような揺るぎない雰囲気がない。どちらかというと、やや不安定というか、自分の気持ちを持て余しているような感じに見える。


「大丈夫?」

「ああ。腑抜けた話だ。本来ならば鉄拳制裁を受けるべきだ」


彼は、自分自身にいらだっているようだった。口調の端々にもトゲが見られる。そのトゲが、由紀に向けられたものではないと分かってはいるが、それでもひやりとする


「そういう状態なのは、真田くんだけじゃないでしょう。だからいいって問題じゃないけど」

「そうだ、だからこそ、俺は自分を棚に上げてでも、部活の引き締めにかからねばならない。上手くいこうといくまいと、まともな対策を練るまでは、部員を叱って叱咤激励するしかない。俺が悪役になろうとも」

「……どういうこと?」


真田くんは髪を拭き直しながら、吐き出すように言った。


「俺たちは精市に重いものを背負わせている。精市は誰にも語ろうとはしないが」


真田くんは厳しい顔をして、テニスコートに顔を向けた。由紀もそれにつられて、コートを見る。コートの端では、部員達がドリンクを飲みながら休憩していた。彼はいつものようにまっすぐ背を伸ばして、まっすぐな目で仲間の姿を見る。


「精市はひそかに、最善の解決策を探しているのだ。たとえ最終的に全部員に非難されることになったとしても、すべての責任を一人で背負って」


真田くんは珍しく、饒舌だった。心の中に溜まった檻を外へ吐き出すように、言葉を放つ。
真田くんの視線の先には、コートの端で集まっている部員たち。以前と同じ位置に、同じなメンバーで同じように集まっているはずなのに、彼らのまとう空気は、以前のものとは明らかに異なっていた。少なくとも、今の由紀にはそういう風に見えた。
……もし由紀が、幸村くんたちに協力していなかったら、もし完璧な部外者だったら、そうは見えなかったのだろうか。


「精市は、部員一人一人の気持ちを知ろうとしている。その上で対策を練るつもりなのだろう。それは精市にしかできん。今の男子テニス部で、絶対の信頼を寄せられているのはあいつだけだからな」

「幸村くんは厳しくて、でも優しくもあって、人間としてバランスが取れているよね。安心できる魅力があるっていうか」


幸村くんは、不穏な雰囲気の中で、いつもと同じような穏やかな微笑みを浮かべ、部員達と話をしていた。
真田くんの言う通り、彼は自分の行っている行動については、由紀も何も知らなかった。言われなかったら、このまま観察していても気がつかなかったかもしれない。メールでも、一緒に帰ったときも、彼は何も言わなかった。何も。自分が焦っているとは言っても、部員のために何かをしているとは一言も言わなかった。
部員への思いを心に秘めて、最終的な責任をすべて一人で背負おう覚悟をして。由紀は心臓をぎゅうっと捕まれたような気になった。胸が痛んだ。幸村くんはどんな気分なのだろう。王者立海の看板を持つ男子テニス部を、誰よりも重いものを背負って、それでも彼は必死で前に進もうとしていて。二連覇が掛かった夏大会の前という、大事な時期に。その穏やかな微笑みの下で、いったいどんな思いをしているのだろう。


「真田くんと柳くんは、幸村くんと話し合ったの?」

「ああ。……部長が背負う覚悟をした以上、俺と蓮二にできるのは精市のサポートだけだ。だから少なくとも今は、精市がきちんと考えられるように、たとえ部員が不満を抱いていようともその不満は俺が引き受けねばならん」


遠くの方で、柳くんはノートを片手に、1年生を集めて何かを指導していた。身振り手振りも交えて、フォームの指導でもしているのだろうか。そうだ、問題を解決するだけじゃ足りない、それだけじゃ男子テニス部はやっていけない。問題の解決と同時に1年生選手の育成もしなければならないのだ。



早く、元通りになればいいのに。

そう思ったけれど、こんな状態では夢物語のような台詞に感じられる。由紀がその言葉を発することはなかった。

(20101220)

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