アフターハーレム | ナノ
両思いになるというのは、なんと難しいことなのだろう。まず、自分が相手を好きにならなければいけない。さらに、相手にも自分を好いてもらわなければいけない。自分が好きになるのはともかく、人の気持ちなどコントロールできないのだから、好きな相手に好かれるというのはこれほどにも難しい。
ああ、もう。両思いなんてくそくらえだ。
私がこの世界を肯定することができるようになっても、世界が自分の存在を肯定してくれるとは限らない。







盆に帰る水




それから徐々に、男子テニス部は姿を変えていった。

まず最初に変わったのは、入部したばかりの1年生だった。それまでマネージャーがこなしていた雑用が1年生の仕事となった。キコに聞いたところによると、藤川さんと高橋さんが入部するまでは、すべて1年生の仕事だったらしい。1年生たちにとっては、入部してたったの2ヶ月足らずで、やらなくてよかったはずの雑用が降りかかってきたことになるのだから、災難だったろう。自分たちが部活中に練習する時間が急に少なくなったのだ。それでも、誰も文句をいう者はいなかった。
1年生たちは、少しでも多く練習がしたいと、積極的に仕事の分担やローテーションを自ら考案して、柳くんに伝えた。それはよく考えられたものだったらしく、柳くんの手による修正はあまり入らずに、そのまま採用された。

彼らは必死で雑用をこなして、必死で練習をした。同学年に切原くんがいたのも大きかったのだろう。自分たちよりもずっと高い場所にいると思っていた3年生のレギュラーをあっさり倒してしまうような天才児がすぐそこにいるのだ。刺激を受けないはずもない。
そして彼らは何より、藤川さんや高橋さんたちと会ってから、2ヶ月しか経っていなかったのだ。もちろん、切原くんのように悲しむ1年生も少なくなかった。しかしそれでも、1年以上も一緒にたたかって大会を勝ち抜いてきた上級生たちよりも、マネージャーがいなくなったときのショックは少なかった、らしい。

先輩を元気づけるつもりなどはなかっただろうが、1年生たちの奮起によって、2、3年生も、徐々に昔のようなぴしりとしまった雰囲気に戻っていった。


目の前では、いつも通りに三つに分かれて、部員達が練習をしている。ラリーをする音がパーン、パーンと高くコート中に鳴り響いている。

由紀は、イーゼルをコートのそばに置いて、カンバスに色をおいていた。今描いているのは、練習中の風景だ。一糸乱れぬ集中で練習をするこの風景はまさに、王者だった。結局由紀は、王者立海の姿を1枚に納めるのは不可能だという結論に達した。今描いているのは、2枚目。もう1枚ぐらい書きたいがどうしようか、やっぱり試合の風景がいいだろうか。まあ、焦る必要はない。
パレットにつけた油壺からペインティングオイルの香りがただよってくる。テニス部に不穏な空気が流れていたころは、今のように、きちんとテニス部の絵を描ける日が来るとは思ってもいなかった。ずっと不穏な雰囲気のままだとは思わなかったけれど、悩みの出口が見えなくなるくらい、気持ちが落ち込んでいた。でも、もう、大丈夫だ。

由紀は、顔をあげて練習する様子を確認した。そして、思わず独り言を言う。


「ああ、ダブルス、やってるねえ」


遠いコートで、丸井くんと桑原くん、そして仁王くんと柳生くんがペアになってダブルスの練習しているのが見えた。夏の大会に、彼らがレギュラーとして参加するのは初めてのことだ。柳くんがオーダーを発表したのは最近のこと。ダブルスのペアは試合によっても変えるようだが、基本はこのペアになった、らしい。
由紀は改めて、ぴったりだな、と思う。この四人の中で話したことがあるのは柳生くんだけだが、なんというか、気が合いそうだ。テニスの相性が良さそうというだけじゃなくて、底に他のメンバーたちよりももっと強い信頼関係があるように見える。それは、由紀が初めて男子テニス部を見たときよりもはるかに強く。


藤川さんと高橋さんは、もういない。彼女たちの不在は、いつ見ても心が痛む。それでも、彼らは前に進む。最初はぎこちない雰囲気がもろに表れていた休憩時間も、今では、三強をはじめとするレギュラーたちを中心に、笑顔が広がるようになった。


そして、もう一人。切原くんのことだ。彼は自分の中にある向上心から、また、あの日藤川さんに宣言したことを達成しようと、以前よりも必死で練習をするようになった。聞くと、オフの日にも、率先して柳くんの組んだ特別メニューをこなして自主練習をしているようだ。相変わらず、遅刻は多いらしいけれど。


由紀は、汗を流す切原くんの様子に目を細めた。
さすが、エースと自称するだけのことはある。本当にこれからが楽しみだ、幸村くんが言っていたように。

そこまで考えて、由紀はまた、心がじわじわと痛むのを感じた。今日も、こうやって練習を観察しているときも、できるだけ、幸村くんの方は見ないようにしていた。話しかけられたら言葉は交わすが、話すたびに、心の中に罪悪感がうまれる。私なんかが話していいの、という気持ちがある。私はここにいていいの、と。ちょっと、怖くなるのだ。

柳生くんに述べられた感謝。柳くんに知る権利があると言われたこと。本来だったら嬉しかっただろうけれど、なぜか、困惑の感情しかわいてこない。お礼なんて言われることをしていない、むしろ、謝りたいくらいだ。知る権利なんて、ない。もう、私がすべきことは終わったのだから。

由紀は頭をふった。考えても、仕方のないことだ。由紀はカンバスに目を戻して、また、筆を動かし始めた。


***


「由紀先輩ーっ!たのもーっ!」

「え、名前呼び?」


休憩時間中に、コートの中から手に何か白いものを持った切原くんが飛び出してきた。なぜか、名前呼びになっている。柳くんたちがこちらを見ている気がする。というか、部員ほとんどに見られている気がする。切原くん、声が大きいです。


「え、突っ込むところそこなんスか?」

「違うの?」

「突っ込むのはこっちにお願いします!」


切原くんは、白いものを私に手渡してきた。勢いに押されて、由紀はそれを受け取る。白いものは、折りたたまれた紙だった。


「実はこれ叩きつけて喧嘩売んの二回目なんスけど。最初の時は、字が結構間違ってたみたいで、真田副部長に『たるんどる!』って怒られたんスよ。だから、由紀先輩に間違ってないか、見てもらおうと思いまして。へへ」

「うん?字を見てもらうなら、桑原くんとかでいいんじゃないの?」


由紀は頭にハテナマークを浮かべながら、渡された紙をくるりとひっくりかえす。そこに書いてある字を見て、由紀は目を点にした。


「だめッスよ、レギュラーに対する挑戦状って感じなんで、ジャッカル先輩じゃダメなんス!」


そこには、これでもかと言わんばかりに曲がったへたくそな筆文字で『果たし伏』と書かれていた。果たし『伏』?


「ど、どうっすか!?」


ぱらりと中を開くと、同じようなきたない字でこう書いてあった。

『真田強一郎 殿
 今日午後四時
 テニスコートで侍つ
 今日こそは倒してやる』

由紀は無言になった。……ああ、果たし『状』、ね。


「ふっふー、まさか、完璧ッスか!?やりーっ」

「待て待て。果たし状の状が『伏』になってる。真田弦一郎の弦が『強』になっとる。ある意味あってる気もするけど。最後のトドメに、待つが『侍』になってる」

「ええーっ!そんなに間違ってました!?」


愕然として由紀から果たし状を奪い取って中を見る切原くんに、唇の隙間から思わず笑いがもれた。一回笑い始めてしまうとどうにも押さえられなくなって、最初は小さかった笑いがどんどん大きくなって、ついに、思わず声を立てて笑ってしまった。


「ふっ、ふふふ」

「なっ、ちょっ、笑わないで下さいよ!こっちは真剣なんスよ!」

「くっ、ごめん」

「まったく、……あ、由紀先輩、幸村部長がこっち見てますよ」


ぎくりとして、顔を上げると、幸村くんと目があった。由紀は彼に軽く手を挙げて見せた。彼も手を軽く挙げて、にっこりと微笑んでくれた。ズキ、とまた心が痛む。なんでだろう。テニス部の次は、自分の分析をしなきゃなあ。


「ねえ、切原くん。この試合ってさ、藤川さんに約束したやつ?」

「そうッス!俺、強くなったッスよ!前は1ポイントも取れなかったんスけど」

「ええっ、切原くんでも取れなかったの!?」

「そうッスよ。つうか、三強の強さは化けモンですから」


切原くんは悔しそうな顔をして、そう言った。それから突然ぱっと顔を明るくして、にっと笑う。


「この試合、たぶん明明後日にやることになるッス。優香先輩も呼んだんで、由紀先輩も絶対来て下さいね!今度こそは副部長倒してみせますから!」

「うん、ありがとう。楽しみにしてるよ」


切原くんのやさしさに、由紀もにっこり笑い返した。


(20110505)

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