アフターハーレム | ナノ
俺は優香と夏美を目指して、放課後のテニスコートに走った。先に赤也や他の部員たちが二人に詰め寄っているようだった。赤也が目に涙を浮かべている。俺は叫んだ。
「優香、夏美!なんでだよ、」
言葉尻は小さくなって口の中で消えた。なんでだよ、なんでだよ。マネージャーやめるなんて言うなよ。言うなよ、そんなこと。
「ごめんね、ブン太。家庭の事情ってことにしといて」
「うん、優香に同じくそういうこと」
仁王に振られてから、優香はやせた。時間が経つにつれ元気にはなっていったけど、相変わらず悲しそうな目をしていたように思う。今も似たような感じだったけれど、彼女の目には強い意志が見て取れた。
俺は顔が歪むのを感じた。なんでだよ。結局優香も夏美も、仁王みたいに何にも言わずに終わらせようとするんじゃねえか。
「ごめん、中途半端に投げ出して」
「ちげえよ、そういう意味じゃねえ」
謝って欲しいんじゃない。責めたいのでもない。理由が聞きたかった。違う、やめないでほしいんだ、俺は。
優香は抱きついてきた赤也をなでながら、俺の目を見る。自然な表情をしていた。
「私ね、テニス部のみんなが大好き。それで、とても大事に思ってる」
「だったら何でなんスか!夏美先輩もなんか言ってくださいよ!」
あまり言葉を発していなかった夏美が、かすかに微笑んだ。夏美独特のほがらかな笑顔。なんの無理も感じさせないその表情に、胸が突かれた。
「赤也、丸井。私たちはね、これがベストだって思ったんだよ」
***
部活が終わった後に、一人でストリートテニス場に行って、俺はがむしゃらにラケットをふるった。次から次へとやってくる挑戦者をのして、やがて、人がいなくなった。
むしゃくしゃするような落ち込むようなやるせないような、そんな気分だった。なんだっけ、この気分。前もこういう気持ちになったことがある。空を見上げると、闇夜にぽっかりと満月が浮かんでいた。雲がかかってきている。明日は雨かもしれない。ああ、月がお好み焼きに見える。めちゃくちゃ腹減った。時計を見ると、もう9時だ。いつもなら部活直後には何か食いにいくのに、それもすっとばしてずっとテニスをやっていたんだ、そりゃ腹も減るわな。こんな重い気分でも、腹は減る。
まだもやもやするが、仕方がない。俺はタオルで適当にラケットをぬぐって、ラケットケースに納めた。相手もいねえし、帰るとするか。俺、なんか変だ。
荷物を持ち上げたところで、思い出した。そうだ、失恋したときの気分に似てる。どっちも優香じゃねえか。俺、二回も振られたことになんのか。情けねえの。
ぼうっとしながら階段を降りようとしたとき、下の方に黒い頭のようなものが見えた。
「ジャッカル?」
「何っ、ブン太か?」
黒いものは、ジャッカルだった。なぜかこんな時間に、ジャッカルは階段に腰掛けて、ぼんやりしていた。ジャッカルは制服のままで、学生鞄とラケットケースを持っている。
「何やってんだよぃ、こんな時間に。家に帰ってねーのか」
「それはこっちの台詞だ。……ブン太、ファミレスにでも行かねーか」
「ジャッカルのおごり決定だな」
「ったく、容赦ねえな」
誘いに便乗していつものようにタカるが、反応が弱い。俺だけじゃなかった。ジャッカルも変だ。
並んで歩くと、刺すような月の光に二人の影がくっきりと落ちた。あたりはだいぶ静かになっていて、ほとんど人に会わない。静かな住宅街の中に、二人分の足音が響く。
「ジャッカルは何してたんだよ、あんなところで」
「なんつうか、ボーっとしてた」
家に帰る気がおきなかった、とジャッカルは言う。俺と似たような気分らしい。
夜にもかかわらずファミレスには人が結構いた。忙しそうなウェイトレスをつかまえて、食べたいだけありったけ注文する。
斜め向いの席には部活帰りらしい高校生が集まって、騒いでいた。狭いテーブルにこれでもかというぐらい押し合いへし合い詰め合って、じゃれている。くだらないことを話していて、なのに全員が笑っている。
俺はそれを見て、思わずつぶやいた。
「俺ら、また戻れんのかな」
「さあな。……もうあいつらはいない」
そうだ。もう、元には戻れない。優香も夏美もいない。前と同じようにはなれない。
「仁王も優香もいいやつだろ。幸村くんだってそうだろ。どーなってんだよ。なんで俺ら、こんなことになってんだよ」
「分かんねえ。でも、そういうこともあるってことなんだろ」
「もやもやすんだけど」
「そう思うしかねえだろ。良いとか悪いとかで決められる問題じゃねーんだよ、たぶん」
続々と料理が運ばれてくる。腹をすかした俺はそれにがっついた。うめえ。どんどん口に食い物を入れていく。ほかほかの湯気が顔中に当たる。肌をじりじりと温める熱にあてられて、俺はなんだか泣きたくなってきた。俺は顔を伏せて料理にくらいついたまま、ずずっと鼻水をすすった。ちくしょう、目がうるんできやがった。違う、これは湯気だ湯気。
ぽん、と向かいの席からポケットティッシュが飛んできた。目だけあげると、ジャッカルもティッシュで目をふいて、それから鼻をかんでいた。
「ジャッカルのくせに、食事中に鼻かむなんて生意気だろぃ」
俺の声は震えていた。俺も口に食べ物を詰めたまま、ティッシュを引きずり出して、乱暴に目と鼻をぬぐう。ジャッカルは赤い目をこちらに向けたが、何にも言わなかった。
なんでだよ。上手くいってたんじゃなかったのかよ、俺たち。あんなに仲良かったじゃねえかよ、俺たちだって。なんでこんなことになってんだよ。どこで、なんでおかしくなっちまったんだよ、俺たちは。口ん中にはうまい味がいっぱいに広がるのに、体はほかほかしているのに、気持ちは冷えた空洞がぽっかりと穴をあけているようで、いつまでたってもそれはふさがらない。何をやってもふさがってくれない。
俺とジャッカルは何も言わず、ときどき鼻をかみながらひたすら食べた。食って食って食いまくって、ありったけ、足りないものを満たそうとした。だんだんと腹は満たされていく。それなのに、気分ははまだどこかに置き忘れられたような状態でちっとも満たされなかった。
しばらく黙々と食べ続けて、やがて料理の9割方は俺たちの胃の中に消えた。
ジャッカルが水をおかわりして、ぐいっと一気のみする。ぷはっと息をはいてから、ジャッカルはぽつりと言った。
「前と同じにはならねーだろうけど、まずは仁王と話してみたらどうだ」
俺は口を動かしながら、黙ってそれを聞いた。
結局、分かんねえことだらけだ。でも、そのまま進むしかないのだろう。仁王も納得して、優香も納得して、幸村くんも納得して、俺だけがいつまでも同じところでダダこねてるわけにもいかねえ。あと数ヶ月したら、大会もある。
「……おう」
俺が小さい声で返事をすると、ジャッカルは再び黙って料理を食べ始めた。
時間が経って、この気持ちが落ち着くのを待つしかないのかもしれない。それでも心はちくちくと痛みを帯びて、鉛のように重い。
ただ、その気分を、ジャッカルと共有していることが何よりも有り難かった。
Another Story2, Fin
(20110428)
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