アフターハーレム | ナノ
どんなコミュニティにもルールがある。
社会には法律が、会社には就業規則が、学校には校則がある。家庭にはその家庭のルールがあり、部活や委員会でもまたしかり。法律や規則のようにきちんと文章化されているかどうかは別として、どこにでもルールはある。

しかし勘違いしてはならない。ルールがまず先にあって、それに沿うようにコミュニティが形成されるわけではない。コミュニティが先にあって、その不都合を解決するためにルールが作られるのだ。
ルールが新たに設けられれば、たいていの人はそれにしたがって動く。こうして問題は解決される。







高らかに宣言を




最近、雨が降ることが多い。そして、じわじわと湿度も上がってきている気がしてならない。そりゃあそうか、もうそろそろ梅雨がやってくる季節だ。空気の含む水分がまとわりついてきて、髪がぼわっと広がったり逆にぺしゃんとつぶれたり。髪型が決まらないとどうも気分がさえない。

雨がふりそそいで、植物はぐんぐん成長する。たくさん水を吸って栄養分を蓄え、暑い夏に向けて葉を精一杯茂らせる。雨で人が家にこもっている間に、木も草もあっという間に生長するものだから、久しぶりに景色を見たら濃い緑が暑苦しいほどにしげっていた、なんてことがよくある。生命力を感じるときだ。どの季節よりも。冬を越えて蓄えたエネルギーが一気に爆発する。
でも人間にはそんなことはあんまり関係がなく、むしろ悩ましい。外で活動する運動部員たちにとっては、特に。テニス部だって、走るにも体育館やジムに行かねばならないし、テニスは屋内テニスコートを借りるしかない。

そんなこんなで結局、私はまだ絵を描き上げられてない。彼らがあんまりテニスの練習をしないからデッサンできるわけもなく。
でも、あと少し。
今のテニス部はまだ人間関係がぎくしゃくしたままで沈鬱な雰囲気だったけれど、由紀は前ほど憂鬱ではなかった。もう大丈夫だろう。彼らはきっといい解決方法を見つけるはずだ。だって何でこうなってしまったのか、一応分かったのだから。

だから今は絵に集中できるはずなのに、由紀はまだ絵が上手く描けなかった。どのシーンを絵にしたらいいものか、迷ってしまうのだ。どのシーンを描けば立海大附属男子テニス部のことが伝わるのか、いまいちよく分からない。一枚の絵ではおさまらない。


「集合!」


真田くんの力強い号令を聞いて、コートにちらばっていた部員たちは走って集まってきた。場所は、コート入り口のそば。由紀がいる場所のそばでもある。男子テニス部は、練習の開始時と終了時、それから何か話し合いをするときはいつもここに集まる。部員たちが集まるときに、彼らを横からフェンス越しに見るように由紀は座っている。少し影になっている場所にいるから、彼らからは見えにくい場所だろうが。

今日は、久しぶりに外で部活のできる快晴だった。コートは相当いい設備になっているのか、水はけが良いらしく、水たまりもない。フェンスを支えるために等間隔で立っている緑の柱には水滴がついていて、きらきらと光をはね返していた。

由紀はいつもの練習開始時の号令だと思っていたが、よく見ると真田くんが何か白いものを手に持っている。あれは、紙だろうか?目を凝らしてじっと見ていると、部員たちの前に立っている三強がいつもよりも真面目な、少し緊張の混じったような顔をしていることに気がついた。幸村くんがちらっとこちらを見た気もする。


「今日は、練習を始める前に部長からみなに話がある。心して聞くように」


イレギュラーな真田くんの言葉に周りはざわついたが、幸村くんが一歩前に出ると静まり帰った。幸村くんはおもむろに口を開くと、ゆっくりと落ち着いた声で、しかしはっきりと言う。


「俺たちはずっと、全国制覇だけを夢見て今まで頑張ってきた。『常勝』の二字を掲げて、雨の日も風の日も、大会が終わった当日でさえかかさず練習をしてきた」


みな一様に真剣な表情をして、幸村くんのことを見つめている。


「だがその当たり前に行ってきたことが、最近、できなくなってきている。みんなもうすうす気がついているんじゃないか。部員同士のコミュニケーションも悪くなってきているし、連携も悪くなってきている。集中も乱れがちになった」


きまりが悪いのか、無言で顔を見合わせる部員たちもいる。かすかに仁王くんの頭が揺れた。


「集中しろと怒るのは簡単だ。ちゃんと連携しろと言うのも簡単だ。でもそれだけで解決できることでもない。全ては気持ちの問題だからね。そこで俺から一つ、提案がある」


そこで一旦口をつむぐと、幸村くんはぐるっと部員達を見渡した。

ああ、幸村くんが、ついに何かをしようとしている。ここのところずっと、彼らを悩ませていた問題を打開しようとしている。彼は一体どうしようというのだろうか。この、全て異なる「気持ち」から始まる問題に対して。フェンス越しでも伝わってくる幸村の気迫、覚悟。
由紀はごくりと唾をのんだ。握りしめた手のひらが少し汗ばんでいる。


「今あるもの以外にもう一つ、部内にルールを設けようと思う。俺の部長としての責任と権限に基づいて、独断で決めさせてもらった」


真田くんが手にしていた白いものをぱらりと開いて、高く掲げた。それは長い書道用紙だったようで、筆で何かが書いてある。由紀のいる位置からはほとんど文字が見えない。
その紙を見て、ある者は隣と顔を見合わせ、ある者はぽかんと口を開けた。


「『私情を持ち込むことなかれ』。これだけだ。たとえテニス以外のことについて部員同士で喧嘩をし、相手と口をききたくないと思ったとしても、コート内にその感情を持ち込んではならない。――テニスの練習において余計な私情は挟むな」


幸村くんは一気に、そして高らかに宣言した。

一瞬の沈黙があって、それから、ぽかんとしていた丸井くんがくってかかった。


「それ、どういう意味だよぃ」

「どういう意味って、何を聞きたいんだい、丸井」


丸井くんは一瞬詰まったが、すぐにムッとしたような顔で詰め寄った。


「余計な、ってどういうことだよ。何が余計なんだよ」

「どこからが『余計な感情』であるかは各自の判断に任せるよ。そこまで細かく部員を縛るつもりはない。でも、『余計な感情』のせいで練習に支障があっては困るんだ」

「そんなん、幸村くんはっ」

「おい、ちょっと落ち着けブン太」


桑原くんが、相手をなじるようにかみついている丸井くんの肩に手をかけて、なだめる。突然の宣言と勃発した口論に驚いたのか、高橋さんはあっけにとられた顔で彼らを見ている。藤川さんも同じような感じで、困惑している様子だ。

騒然とした雰囲気になった部員達を見て、それまで微動だにせず黙っていた柳くんが口を開いた。


「最近はデータ上でも練習の質の低下、特に集中力の低下はゆゆしきほど明確に表れている。このままでは我々が全国二連覇を達成する可能性はかなり低下するだろう」


柳君は感情を込めず、ただ淡々とデータを述べる。その発言の平たさが逆に説得力をうんでいて、丸井くんはぐっと押し黙った。切原くんは、事態をよく飲み込めていないのか、三強と丸井くんを交互にきょろきょろと見ている。

参謀の言葉に沿うように、幸村くんは静かに言葉を発した。謝るような口調でも説得するような口調でもなく、事実をそのまま述べているかのような口調で、言う。
冷たい。思わず由紀がそう思ってしまうほどの静けさをたたえて言う。


「突然のことだ、驚くのも、反対する気持ちも分からなくはない。でもみんなも、このままではダメだと分かっているはずだよ」

「……仁王は、それでいいのかよ」


丸井くんは歯をくいしばって、押し殺したような声で言った。さっきまで勢い良かった彼の腕はだらりと下にたれて、そのくせ拳をにぎっていた。

由紀はおや、と思う。丸井くんから仁王くんの名前が出た。彼らは最近ぎくしゃくしていただろうに、このタイミングで彼から仁王くんの名が出てくるとは思わなかった。でも仁王くんを呼ぶ丸井くんの感情を殺した声が、二人の距離を表しているような気がした。


「……俺か?俺は別にいいぜよ。反対する理由もなか」


仁王くんはひょうひょうと言ってのける。仁王くんの隣にいた柳生くんは表情を全く変えず、眼鏡のブリッジを押し上げた。仁王くんの返事に、丸井くんは完全に黙りこむ。桑原くんはなだめるように、ぽんぽんと丸井くんの背中を叩いた。


「丸井、それでいいな?」


真田くんが聞くと、丸井くんは小さな声で、分かった、と言った。







その後、部活はいつも通りに始まった。部活の雰囲気は相変わらずぎこちないけれども、部員達がお互いに周りの様子をうかがっているような感じがある。新しいルールについてどう思うのか。幸村くんが指摘した部内の問題についてどう思うのか。そんなお互いの考えを様子見しているような、そんな。腹を割って話す前にタイミングを見計らっているような、そんな雰囲気になった。

彼は一つ決断を下した。そして今日、それを実行した。彼は男子テニス部員の誰もが触れられなかった問題に切り込んだ。確かに彼は一歩、前に踏み出した。

吉と出るか凶と出るかは分からない。でも彼は、足を進めることにしたのだ。全てを背負う覚悟で。

幸村くんに比べて私は無責任だなあ。画材を指先で触りながら由紀は思う。私は見て考えて伝えるだけだ。彼みたいに背負う覚悟なんていらなかった。こうじゃないかななんて偉そうにアドバイスしているけれど、それに対して何にも責任を負っていない。考えてみればおかしな話だ。自由には責任がつきもので、それはつまり発言にも言えることで、何かを言えばそれに対して責任を負うのは当たり前のことなはずだった。
でも、じゃあ、私が発した言葉の責任はどこへ行ってしまったのだろう?


もうそろそろ部活が終わる。荷物を片付けて、彼らの練習が終わる前に帰ろう。もう必要以上に接触すべきじゃない。
夕空にはもくもくと白い雲が浮いていて、奇麗な橙色の夕日に染まっていた。街中が、光を受けた橙色と光の当たらない影の黒に塗り分けられている。立ち上がると自分の全身にも光が当たって、道に一つの長い影が落ちた。

初めて彼と一緒に帰ったのも、こんな美しい夕方だったな。そんなことを考えてしまう自分に、由紀は小さく笑った。

(20110124)

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