アフターハーレム | ナノ
たまには、問題から離れて頭を冷やすことも必要だ。普通のリフレッシュ方法じゃダメだというならば、思い切ってグレードアップさせてみよう。

普段着ないような服を来て、普段行かないような場所を冒険してみたり。
ローカルな各駅停車に揺られて隠れた名所を巡ってみたり。
思い切って遠征してみるのもいい。

さあ、同じ世界の中にある、小さな異世界へ。








東京ヒートアイランド




人の波が縦横無尽に流れていく。幸いにも天気は快晴で、夏至に近づくにつれ強くなってきた日差しが目にささる。由紀は腕をひたいにかざして、空を仰いだ。
東京に来たのは久しぶりだ。いや、初めてか。前の世界とこの世界では、微妙に地名が違う。現に、今降りたばかりのこの駅名、全く聞いたことがない。


「いい天気になってよかったね。長崎さん、もしかして、東京に来るの初めて?」

「うん、地元から出たことないんだよね」


へえ、じゃあ俺とが初旅行か、と幸村くんが笑うのに応えて、由紀は小さく笑い返した。あまり初旅行という感じはしないが、『大学生の時にはよく東京へ遊びに来ていた』なんて言えない。


「あ、植物園って、あれ?」

「うん。はい、チケット。代金はいらないから」

「払うよ、自分の分くらい」

「俺だって男なんだから、これくらい払わせてよ」


いつもお世話になってるしね、とにっこり微笑む彼に由紀は押し切られた。幸村くんは結構がんこなところがあるかもしれない。ありがと、と素直に甘えたものの、なんだかデートみたいで恥ずかしい。
気がつけば、由紀は幸村くんに手をとられて歩いていた。一回彼の手を認識してしまうと、カッとしてきて手があつい。周りからの視線が痛い。恥ずかしさのあまり、由紀はテニス部の問題のことをすっかり忘れた。






「すごい!私、バニラの生木なんて初めて見た。こんなに大きいんだ」

「俺も、乾燥させたやつは見たことがあるけど」


巨大な温室の中で、2人は並んで上を見上げた。4メートルはありそうな人工の崖にちょろちょろと水が伝っていて、そこをバニラの蔓が力強く、上へ上へとのびている。
植物園は、興味がない人と来たらあまり楽しめない。お花畑を見て奇麗だね、という感想は共有できるかもしれないけれど、この木を育ててみたいだの、あの植物に葉の感じが似てるだの、そんなマニアックな話はできないからだ。いろんなところに植わった植物を同じペースでじっくり見て回れる幸せ。やっぱり幸村くんは、いい。

手のことは、あまり考えないようにした。園内でもたまに幸村くんに手を引かれるが、まあそれは犬を目的地に引っ張っていくようなものだ。うん、平気平気、私は犬、私は犬。何度もつながれると案外慣れてしまうのは早い。手をつながれただけ、と言ってしまえばそれまでだ。


「長崎さん、ほら、あそこでクレマチスの変わり種が咲いてるみたいだよ。行ってみよう」

「え、どこどこ?」


幸村くんはまた、由紀の手をとって歩き出す。平気だけど、大丈夫だけど。こうやって誰かに手を引かれて歩くのは久しぶりだ。なんでもない表情をとりつくろうけれど、心拍はいつもより早い気がする。
彼の手はテニスプレイヤーらしく硬かったけれど、暖かくて、心地よかった。


***


植物園に着いたのは昼だったのに、夢中で見ているうちに夕方になってしまった。幸村くんはぴんぴんしていたけれど、さすがに由紀は疲れてきた。幸村くんは気を遣ってくれて、駅のそばにある喫茶店で一休みすることにした。

ずいぶん夏に近づいてきたようだ。まだまだ外は明るい。
お待たせいたしました、と紅茶が二つ、テーブルに運ばれてきた。


「あ、幸村くん、あれ見て、道路のわき」

「なんだい?」

「ほら、街路樹の代わりにエンジェルストランペットが植わってる。すごいね、地植えで冬越せるんだ。うちだったら、冬は室内にいれないと枯れちゃうのに」

「へえ、ほんとだ。低温には強いらしいけど、それでも熱帯植物なのにね。ヒートアイランド現象の効果かな」

「そうかも。建物からの排熱でもあったまりそうだし。あっ、サボテンもある!」

「ウチワサボテンだね。あれも寒さに強いけど、露地植えでここまで大きくなるなんて、すごいものだね」


紅茶を飲みながらも、植物トークが弾む。由紀は、ここ最近の鬱々とした気分がすっかり吹き飛んでいるのを感じた。
幸村くんの笑顔に、由紀はほっこりとした気分になる。自分が楽しめて、相手にも楽しんでもらえるなんて、最高だ。


「ここまでこういう話ができる人は美化委員にもなかなかいなくてね。今日は楽しかったよ」

「うん、私も。幸村くん、ありがとね」

「それはこちらの台詞だよ」

「なんか、土日はいつもちゃんと家で休んでいたのに、ここまでゆっくりリフレッシュできたのって久しぶりなんだよね。誘ってくれて、ありがと」


幸村くんは表情を曇らせた。


「それって、俺たちのせいだよね」

「え、えっと……」


由紀は慌てて言葉を探す。実は指摘のとおりなのだが、そうとは言えないし、でも他の言葉を継ぎ足すには既にタイミングを逃してしまっている。


「突然の申し出だったのに気持ちよく引き受けてくれて、俺たちのために動いてくれて、本当に長崎さんには感謝しているよ」

「ちょっと、やめてよ、幸村くん。私、何にもしてないじゃん。絵を描いてるだけだよ」

「でも、長崎さんは真剣に俺たちのことを考えてくれているじゃないか」


由紀は沈黙した。男子テニス部に関わったのは、もともとは自分のためだ。前の自分を忘れて、この世界で生きていく決心をするため。当たり前の現実としてレギュラーたちのことを考えられるようになった今、私はトリップしたという事実を乗り越えたことになるのだろうか?

もう心は痛まない。こうして目の前に幸村くんがいても、自然に話すことができるし、紙上のキャラクターではなく一人の人間として接することもできる。

でも。

彼らを見ているとたまに思うのだ、私はここにいていいんだろうか、と。私はすでにこの世界を受け入れている、でも、この世界は本当に私を受け入れてくれるんだろうか、と。一対一ならともかく、レギュラー複数人に囲まれると、どうしても自分が異物のように思えてしまう。

幸村くんは、真面目な顔をした。


「長崎さんの言ってたこと、蓮二と弦一郎の言っていたことを考えたんだけどね。まだ分からないことだらけだ。どうすればいいのかも、まだ分かっていない。でも」


幸村くんと目が会う。それは、まるで柳くんと二人で観察を頼んできたときのように、強い意志を持っていた。


「今の状況を打開するには、俺が動くしかないと思うんだ」

「幸村くん……」


最も、自分の気持ちをちゃんと解明することが先だけどね、と彼は苦笑する。


「何か、部内にルールでも設けるとか?」

「難しいね。別に悪口言い合ってるわけじゃないし、『恋愛禁止』だとか、感情の機微までルールで縛っても仕方がないだろう」

「そうだね。……これからどうなるのか、先が見えないと不安になるね」


由紀は、ゆっくり瞬きをして言う。


「うん。でも、どうなったとしても、俺は諦めない」


穏やかな表情の下で誰よりも熱い意志を燃やして、幸村くんの黒い瞳が強く輝いた。

(20110106)

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