アフターハーレム | ナノ
考えても考えても、彼の気持ちは分からなかった。最も、じっくり観察をして情報収集しさえすれば誰かの気持ちが理解できるなんて考える方が、傲慢だったのかもしれない。
人の考えなんて理解できない。人の気持ちなんて分からない。「あなたの気持ち、よく分かるわよ」って言ったところで、本当に相手の喜怒哀楽を一分の狂いもなく感じ取れるわけじゃない。それは、自分の経験や知覚を総動員して、あなたの気持ちを想像できます、と言っているだけなのかもしれない。

想像力が限界に達したら、そこで終了。

私にはまだ想像ができない。
とりあえずは一時休戦しかないようだ。







膠着状態




それにしても。


相変わらず憂鬱だ。たまには他の絵でも書こうと花壇に足を向けても、頭をよぎるのは男子テニス部のことばかり。ずいぶん私も毒されてしまったものだ。前は彼らの姿を見るだけで、あれほど心を痛めていたというのに。今や苦痛も無関心も通り越して、彼らと一緒に悩んでいる、なんて。

さして変わらぬように見えた男子テニス部は静かに、少しずつ、変形していった。崩壊していった、と言ってもいいのかもしれない。
あくまでも表面上は何事もなく。

もういっそのこと、喧嘩が勃発した方が楽だったかもしれない。喧嘩なら、堂々と割って入って仲裁すればいいのだから。根本たる原因が分からず、ただ徐々に連帯が崩れて言っている、今のこの状況。問題の所在がはっきりしていない分、対策のしようがない。あえて言えば仁王くんと藤川さんの問題なのだろうけど、それは個人の恋愛感情の問題であり、すでに恋人同士という関係も終わってしまっている以上、第三者が割って入るのもおかしい。

由紀は漠然とした不安を感じた。器に入った小さなひび割れから知らぬ内に水がもれて、少しずつひび割れを大きくしているような、そんな。いや、ひび割れなんて分かりやすいものじゃない。ひび割れというよりも、溶解、なのかもしれない。内部からじわじわと高熱が器を侵食し、どろどろに溶かして、ぷつぷつと空いた小さな穴からはじわりじわりと水がもれ、確実におかしくなっている。


最近、お昼御飯がちっとも美味しくない。作ってくれているお母さんには申し訳ないのだけど、どうしようもない。

はあ、と思わずため息をつくと、それにシンクロして、隣からもはあ、というため息が聞こえた。横を見ると、同じようにお弁当を食べているキコと目が会う。


「……由紀も?」

「キコも?」


顔を見合わせて、もう一回、ため息。彼女も何か悩んでいるようだ。


「キコ、あのさあ、仁王くんと藤川さんのことなんだけど」

「え、由紀も?」

「え、そっちも?」

「うん。正確には女子テニス部がらみなんだけど……、ほら、あれ」


ちょいちょいと彼女が指し示した先には、数人の女の子。結構な数がうちの教室に集まって、ご飯を食べている。彼女たちはいつものように、声が大きくてにぎやかだ。その口調は黄色い歓声ではなくブーイングに近い。

キコが指摘したのは、彼女たちの話の内容だった。


「てゆーかマジむかつくんですけど、何調子乗ってんの、って感じ」

「ほんとほんと、何仁王くんに迷惑かけてんのよアイツ」

「どうせ藤川が他のテニス部の男に手を出したんでしょ、浮気でもしたのよ」

「そーそー、振られてざまあみろって感じ、悲劇のヒロインぶってるんじゃないわよ」


口々に言われているのは、藤川さんの悪口。最近は打って変わって、仁王くんよりも藤川さんに対する悪口がひどくなってきていた。

由紀は顔を曇らせた。たぶん、嫉妬。分かりやすいものだ。今までは藤川さんのその人柄と人気から、その感情をあらわにする人は誰もいなかった。だがここにきて、小さな傷口を突き破ってあっという間に陰口は広がった。誰かの言った悪口が、誰かの心の奥底に眠っていたどろりとした感情をたたき起こして、それは静かに広がっていった。

もちろん、悪口を言っている人は一部だけれど。


「でもさー、仁王くんと別れてくれて超ラッキー!?あたし狙っちゃおうっかなあ」

「ちょっとお、抜け駆け?でもさ、すっとするわあ。藤川版ハーレムがついに崩壊!?みたいな」

「アハハ、ぴったり!テニス部のイイ男はべらしてたもんねアイツ」


由紀はやりきれない気持ちになった。人気があれば、不人気があるのは当然だ。でも、これはただの中傷であって。最初は仁王くんばかり心配していたが、今は、むしろ藤川さんの方が心配だ。彼女はこの悪口の嵐の中で、大丈夫だろうか。


「あれ、なんだけどね、由紀。なんかさあ、ああいうイヤーな雰囲気がね、微妙に女子テニス部にも移っててさ」

「え、どういうこと?」

「最初はさ、男テニも大変だね、まあ仕方ないかもね、くらいだったんだけど。だんだんね、何やってんのあいつら、みたいな」


そういえば4月に、女テニでマネ論争があった。あのとき、キコは男テニを見て、マネいれたら上手くいかなさそう、と言っていた。今なら彼女が何を思ってそう言ったのか、聞けるかもしれない。


「仁王くんも仁王くんだけど、藤川さんも目に見えて重苦しい雰囲気まとってるじゃん。もういいかげんにしなよ、っていう風潮なんだよね。大会に向けて練習しなきゃならないのにさ、何ゴチャゴチャしてんのよ、いいかげんにしなさいよってね」


キコは、頭を振った。まあ私も同意見なんだけど、と付け加える。


「それで、女テニもなんか雰囲気が暗ーくなっちゃって、ヤな感じなんだよ」

「なるほど。ねえ、キコ、どうしてこうなっちゃったんだと思う?私、いまだに分からないんだけど」


彼女は由紀の言葉に、箸をとめた。眉根を寄せて考える。しばらくして、キコは水筒のお茶をぐいっと飲んだ。


「きっとね、藤川さんは領分を侵しちゃったんだよ」

「領分?」

「うん、男子テニス部の、というか、男テニの選手の領分、かなあ」

「どういうこと?」

「選手のやることと、マネのやることって違うでしょ?どっちが上かとかそういう問題じゃなくて。『優勝!』って大きくくくったら目標は一緒だけど、なんていうか、目指す方向が違うというか」

「うん、そうだね。マネージャーは主役じゃなくて、あくまでもサポート役なんだしね」

「それで、男テニの選手は男の子で、マネは女の子。恋愛がからんだらさ、選手同士の友情よりもはるかに関係が危うくなるのは当たり前、っていうかね」


今度は由紀が眉を寄せた。選手・マネの領分と恋愛の話のつながりが、分かりそうでよく分からない。


「でも、男子選手同士で仲良くしているのと同じように、女子マネが男子選手に接したら、恋心が芽生えてごちゃごちゃしちゃうのは当たり前だよ。しょせん男と女だし」


キコは、ゆっくり目を伏せた。


「踏み込みすぎるとキケンなんだよ。たとえ自分の私情はコントロールできたとしても、相手の気持ちまでは操作できないわけだし。でも、彼女は覚悟をしないままに男テニ選手の領分に踏み込んじゃった。それで、恋愛がらみで問題になってる。そういうことじゃないかなあ」


***


由紀は急いで、高橋さんを探した。私はただの協力者で、観察するだけでいい存在だ。でも。高橋さんに、聞きたい。聞いてみたい、彼女はどう思っているのか。
キコの言った言葉が頭をぐるぐる回る。

男子選手と女子マネは同等じゃない。恋愛感情。領分。彼女は覚悟がないままに。

キコの言葉の真意は分からない。でも、彼女の台詞は確かに何かを言い当てていた。そういう気がした。恋愛感情で、ゴチャゴチャ。そう、藤川さんに関する「恋愛感情」がすべての問題の始まりかもしれないのだから。

それに柳生くんも言っていたじゃないか。仁王くんはけじめをつけた、と。そのけじめはつまり、恋を捨ててでもテニスに集中したいという「覚悟」だったとしたら。
仁王くんが持っていた覚悟が、そういうことなのだとしたら。


「た、高橋さん!」

「はい?あ、あれ、確か美術部の長崎さん、だよね?」

「うん、突然ごめんね。今、ちょっといいかな。その、かなり突っ込んだコトなんだけど」


藤川さんの問題があまりにも大きくて、高橋さんにはあまり注目していなかったけれど。でも、彼女は今の男子テニス部を変わらずに支えている人でもあって。私にはまだ何も分からない。でも、高橋さんは藤川さんの親友でもある、彼女の行動はきっと藤川さんに大きな影響を与える。


「いいよー、どうしたの?」

「高橋さん、あなたは、テニス部と藤川さん、どっちかを選ぶはめになったらどうする?」


高橋さんは目を大きく見開いた。

(20101226)

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