アフターハーレム | ナノ
「どうしたんじゃ、もう練習はじまっとるじゃろ」

「まだ病院に行っていないので、今日の練習は見送ろうと思いまして」


ひょうひょうと紳士は言ってのける。放り投げた自分の足の横に、柳生は座ったようだった。
ピピピピ、とどこかで鳥が鳴いている。


「あなたを探しにきたんですよ、仁王くん」


その言葉に目を閉じて、深呼吸をする。物好きがいたものじゃ。他のやつなら、良い子ぶらんでもいい、と返したくなるところだが、柳生にいたってはそうじゃなかろう。柳生は、例え何を考えていたとしても、骨の髄は紳士じゃ。きっと柳生は、俺を探すべきだと思い、実行に移したまでなのだろう。


「それは、すまんかったな。今日はサボるつもりじゃきに、もう帰ってくれてええ」

「そういうつもりはありません」

「真田に怒られるぞ」

「今日は休むともう連絡を入れましたから」

「プリッ」


やっぱり一筋縄ではいかんやつじゃ。抜け目がない。だが、なんだかふいに、体の奥がぎゅっとした。帰って欲しいのに居て欲しいような、妙な気分だ。寂しいんじゃろか。まあ、恋人と別れた後は寂しいモンじゃって言うきに、仕方ないぜよ。

パーン、パーンとテニスコートの方から音がする。今はあまり聞きたくない音だが、これだけが今の逃げたい気分と現実をつないでいるような気もする。


「仁王くん、苦しいですか?」


柳生は、静かな静かな声色で言う。なぜか、ごまかす気にも無視する気にもなれなかった。


「分からん。すっきりしたが、悲しいような、つらいような、どうしたらいいか分からん」

「仁王くん、私は、苦しいです」


柳生の声色に、わずかに絞り出したような響きを感じて、俺は目をあけた。目の端っこに、柳生の後ろ髪が映って見える。


「やーぎゅ」

「なんでしょう」

「優香のこと、好きか?」


沈黙が訪れた。びゅう、と風がふいて、白い自分の前髪がゆれてひたいをくすぐった。遠くから、真田の気合いの入った声が聞こえる。しばらくののち、ふ、と柳生が詰めていた息を吐いた。


「……分かりません。でも、好きなのかもしれません」


今度の柳生は、淡々と言った。


「あれだけ真面目で、まっすぐな女性はなかなかいないでしょう」

「ならどうして、一緒に帰ろうという優香の誘いをいつも断わってたんじゃ。用事があるっていうの、嘘じゃろ」

「ばれていたんですか」

「ばればれぜよ」

「まったく、仁王くんにはかないませんね」

「ピヨ。それはこっちの台詞じゃ」


俺は体を起こした。そして、柳生の隣にあぐらをかいて座る。柳生は、水平線、校舎の上からずっと先を、校舎の周りにある住宅街を抜けたもっと先を、優しい目で眺めていた。


「そうですね、好き、でした。でも、いいんです」


柳生は、ゆっくり笑った。


「冷たいと思われるかもしれませんが、私にとっては今は、彼女よりも……、恋愛よりもテニスの方が大切なのです」

「そうか」


パーン、パーン。テニスをする音は途切れない。


「俺もテニスの方が大事じゃと思って、でも、振ったんが正しかったのか、もっと別の方法があったのか、それが分からん」

「ちゃんと考えて、決めたことなのでしょう。仁王くんが真面目に下した選択なのですから、きっと間違ってなんかいませんよ」

「今の状況、よくなると思うか?」

「ええ、もちろん。時間はかかると思いますが」

「ぐちゃぐちゃじゃろ、今のテニス部は。俺も周りに気ぃつかわれとるのがありありと分かって、なんだか情けない気分ぜよ」

「仁王くん、」


柳生は顔をこちらに向けた。


「私はあなたを大切に思っています。だから、あなたがどう言われようと、私はあなたの側にいようと思います」


柳生の言葉が、こんがらがって行き詰まっていた自分の心にじんわりとしみた。まるで、こごえるような寒い冬空の下で暖かい飲み物を差し出されたかのように。
俺はゆっくりうつむいた。素直な言葉がなかなか出てこなくて、片ほほをゆがめる。


「男に愛の告白とは、やるのう」

「……仁王くん」

「プリッ」


冗談の分からんやつじゃの、とぶつぶつ言うと、柳生は立ち上がって、さっさとはしごを下りた。


「仁王くん、テニスコートで待ってます」

「やーぎゅ、」


まだ心は重い。もうしばらくは、この重りはなくならないだろう。でも、少しだけ、気分は晴れた。


「さんきゅ」

「いいえ」


柳生はまた、規則正しい足音を鳴らして去っていった。

真田の鉄拳制裁は痛いじゃろうな。だが仕方ない。教室で寝坊したとでも言っておこうか。
俺は背筋を伸ばして、ゆっくり立ち上がった。


Another Story1, Fin
(20101216)

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