アフターハーレム | ナノ
我ながら薄情なものだとは思うが、一回吹っ切ると、優香のことは意外にあっさりと割り切れてしまった。あれほど好いた女の不在は、心が寂しくなる。だが、もう心が醜く揺れることはない。これで、テニスに集中できる。

そう思っていたが、その読みは少々甘かった。

廊下を歩くと、あからさまに眉をひそめるヤツがいる。数はそこまで多くはないが。非難めいた目つき、時々飛んでくる舌打ち。


おい、あいつ。藤川さんのこと、振りやがって。
どうせもて遊んでたんだろ、藤川さんもかわいそうに。
あんなやつと付き合うからだよ、仕方ねえな。


不快ではあるが、正直どうでも良い。興味もない。虫けらほどにも興味のそそらない奴らになんと言われようと、毛ほどにも気にならん。不快ではあるが、蚊のようなものだ。ここまで割り切って好き勝手に生きられるのも、今までの生き方のおかげかもしれん。



問題は、野次馬じゃない。テニス部だった。


テニス部ではさすがに、俺は悪くは思われとらんようじゃった。むしろ、俺を悪く言うヤツに突っかかっていってくれる部員もおる。今までたいした関係もなかった平部員にさえ悪く言われんというのは、これはなかなかすごいことかもしれん。それだけ、認められちょるとうぬぼれてもよかろうか。

だがなんとなく、心理的に孤立しているように感じる。普段の生活で孤立するのは問題ないが、部活中はまずいかもしれん。別に避けられとるわけでもないが、周りの部員は俺に気ぃつかっとるのか、何も言ってこない。マネの高橋は、いつもと違ってさっと俺にドリンクとタオルを渡してくる。ああ、気、遣われとる。気を遣われるということは、逆に言えば、壁を一枚隔てて、オブラート越しに接せられるということで。

優香は、俺とは目を合わせようとはせん。寂しい気もするが、これも仕方ない。俺の勝手で振ったんじゃ、俺が悪い。今まで比較的ようしゃべっとった丸井は、優香のそばにいる。丸井、落ち込んでる優香のこと、慰めてくれとるんじゃな。


「仁王くん」

「なんじゃ、やーぎゅ」


かわりに俺は、柳生によう話しかけられるようになった。柳生とは、たまに話をしてた程度の仲じゃ。紳士とペテン師なんて、正反対なタイプかと思っちょったが、意外と近いタイプかもしれん。柳生はその二つ名の通り、紳士的で、自ら進んで人をペテンにかけたりはせん。じゃが、その鉄壁の敬語の後ろで常に何かを考えていそうなやつ、じゃ。丸井や赤也みたいな、ストレートに考えや感情を表す直情型じゃない。腹にイチモツ抱えてそう、という意味では親近感を覚える。じゃが、まだどんなやつかは見極め切れておらん。大丈夫、だとは思うが。


「っつ」

「どうしたんじゃ」


柳生は顔を少ししかめて、1回、2回、ラケットを振った。


「少し右手に違和感がありまして」

「まあ、無理は禁物じゃ。さっさと病院に行ったほうがいいぜよ」

「そうですね、そうします。明日は休業ですから、明後日の放課後にでも行ってきます」


柳生は柔らかく微笑む。なんとなく、柳生は俺よりも上手な気がした。いかにもペテンにかけそうなやつよりも、何を考えているか分からぬ紳士の方が怖いと思うのは、俺だけじゃろうか。


***


今日は、練習に行く気がせん。なんとなく、だるい。俺はため息をついた。優香と別れてからずっとたまっとった疲れがどっと押し寄せた気分だった。せっかくけじめをつけたんに、これではどうしようもない。

放課後に屋上に忍び込んで、貯水タンクの裏に寝っ転がる。ぷかり、ぷかりとちぎれた白い雲が青空に浮かんで、ゆっくりと流れていく。気持ちが良さそうだ。あんな風に何のしがらみにもとらわれず、好き勝手に浮いてられたらさぞかし愉快だろう。

真田に、怒られるじゃろうな。

頭の隅でそんなことを考える。でも今はこうしていたい。夏の大会に向けたレギュラーはもう決まったものの、ダブルスのペアはまだ決まっていない。俺が1日休んだくらいでは、そこまで迷惑はかからんじゃろ。立海男子テニス部は、もちろんチームワークは大切にするものの、個人主義的なところがある。わざわざ今の俺を探しにくるやつもいないだろう。

ひゅう、と2、3羽、ツバメが空を飛んでいった。

丸井とは、あれから話しとらん。ジャッカルとも、ほとんど。喧嘩をしたわけじゃない。丸井は、俺を責める気もないだろう。でも、丸井が優香のそばにいる以上、話しかけることはできん。そうこうしているうちに、なんとなく、話しにくいような雰囲気ができてしもうた。

幸村と柳は、まだ様子見のつもりなのか、何も言ってこん。言ってこられたところで、恋愛事のごたごたなんざ、どうにもならんが。真田はただ、困惑しとるようじゃった。まあこの反応も真田らしくて良い。


テニスのためにけじめをつけたつもりじゃった。公私混同をしてしまう前に、嫉妬とテニスを切り離すために、別れたつもりだった。
でも実際は、テニス部を混乱させただけじゃないだろうか。俺がじっとしていれば良かったものを、俺がもっと頑張ればよかったものを、俺の勝手な決断のせいで。

青い光が目にしみる。俺は目を細めた。

これで良かったんか。
どうするのが正解だったんじゃ。
このまま俺のせいで、俺たちは壊れてしまうんじゃなかろうか。

一回走り始めた思考回路は止まらない。考えても仕方のないことだとは、十分に理解しているたが。仮定の話をしても仕方がない。もう自分は選択してしまった。選択肢が間違っているかどうかなんざ、考えても後の祭りじゃ。それでも。



ぼうっと考えていると、ギイ、と屋上のステンレスの扉が開く音が聞こえた。そのまま、規則正しい足音が、ぐるりと屋上を歩き回る。ぐるっと一周して、足音は扉の前で止まった。そしてしばらくしたのち、こちらへまっすぐ向かってきて、ギ、ギ、とはしごを登る音が聞こえた。


「ああ、やっぱりここにいたんですね。仁王くん」


やってきたのは、柳生だった。

(20101216)

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