アフターハーレム | ナノ
単なる悪口と批判の違いはなんだろう。根拠もなく感情的に相手を悪く言っているのが悪口で、論理的に指摘をしているのが批判だろうか。そう定義したとしても、その二つを区別するのは難しい。

だから、ご立派で建設的な批判をしているつもりで、実はただ偉そうに中傷しているだけだった、ということもありうる。
負の感情はときに、喜びや感謝などよりも他人と共有しやすい。元々はその相手に対して、わずかにしか抱いていなかった嫉妬や怒りでも、他人の負の感情に刺激されて、それらは爆発的に膨張する。こうして負の感情を共有し連帯感を強めた集団は、しばしば行きすぎた行動をおこす。どろどろとした巨大な感情の塊を抱えて。

悪口か、批判か。
どちらにせよ、行きすぎた攻撃を一身に受けるのはつらかろう。







ある男の選択




「体調が悪いのですか?大丈夫ですか」


柳生くんは初対面の由紀に、ごく自然にいたわる言葉をかけた。さすが紳士。でも正直に、カウンセリング受けてるんです、なんてとても言えない。重たすぎる。ここは話をそらそう、と心の中で思う。


「う、うん、大したことはないんだけどね。柳生くんは、怪我?」

「ええ、手首を少し痛めてしまったようで」


長崎さーん、と受け付けから名前が呼ばれる。さっさと精神科の棟へ移動しなければ。
でも、柳生くんから話が聞きたい。ストレートに仁王くんのことを聞くのはまずいだろうか。でも柳生くんなら、答えたくない質問は上手く流してくれるような気もする。時期も時期だしデリケートな話だから、無神経な女だとは思われてしまうかもしれないが。これはチャンスだ。


「柳生くん、お互いに診察終わったらさ、ちょっと話をしない?ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


……なんか逆ナンしているみたいだ。微妙な沈黙がおおう空気がいたたまれない。恥ずかしくて、最後の方の言葉は口の中で消えた。
柳生くんは不思議そうな顔をしたが、そこはさすが紳士。快く了承してくれた。







「すみません、お待たせしました」

「ううん、私も今終わったとこだから」

「それで、何のお話でしょう?」


柳生くんは由紀が座っているベンチに近づいてきて、隣に座った。目の前は病院の中庭で、芝生が広がっている。車いすを押された子供が数人、目の前を通っていった。
由紀は大きく息を吸って、柳生くんの顔を正面から見据えた。


「差し出がましいかもしれないんだけど、仁王くん、大丈夫?」


こんな質問にも柳生くんは表情を変えず、手の甲をこちらに向けて眼鏡のブリッジを押し上げた。少し頭を傾けて、答えあぐねているように見える。


「その、今、仁王くんは結構ひどい陰口叩かれてるよね。その、藤川さんをもてあそんだとかさ。それで、その、」

「……長崎さんからは、仁王くんはどういう人に見えますか?」


彼は微笑んで、優しい口調で言う。質問を返されて、由紀は一瞬詰まった。


「えっ。えーと、冷静であまり手の内を見せない、というか」

「ええ、そうですね。仁王くんは冷静沈着で、器用な人なのです」


柳生くんは由紀から顔をそらして、空を見上げた。


「近しい人にでさえ自分を上手く隠してしまう。苦しくても、他人にはまるで何もなかったかのように見せてしまう。平気な顔をする。……でも、だからといって苦しんでいないわけではないんです」


空高く、薄い雲が泳いでいる。キャーッと、甲高い子供の笑い声が響いた。柳生くんの話に、由紀はうつむいた。


「……仁王くん、ときどき冷たい目、してた。藤川さんと一緒にいるときに。笑っているのに笑ってないというか、そういう風に見えたよ」

「おや、よく気がつきましたね。てっきり私だけだと思っていたのですが」

「絵のために、観察してたから。ある程度客観的に見られたのかもしれない」


柳生くん、やっぱり気がついていたんだ。


「今仁王くんが何を考えてああいう行動に出たのか、詳しくは、私には分かりません。でもおそらく、けじめをつけたのでしょう」

「けじめ?」

「ええ。おそらくは、テニスに集中するためだと思います」


由紀は黙りこんだ。仁王くんはテニスのために、けじめをつけるために、藤川さんと別れた。嫉妬ではなかったのか。しかしそれでは、『冷たい目』の説明がつかないのではないか。


「テニス、か。今、男子テニス部内の雰囲気もちょっと微妙だよね。ぎくしゃくした空気がときどき流れるっていうか」

「部内では、仁王くんは悪くは言われていません。仁王くんが一方的に悪いことをしたとも思われていないでしょう。問題の内容が内容ですから……、二人ともつらいでしょうが、時間が経つのを待つしかないのかもしれませんね」

「そっか。ごめんね、柳生くん。いきなりこんなデリケートなこと聞いちゃって」

「いいえ、いいんです。あなたが、ただの好奇心から聞いているわけじゃないということが伝わってきましたから。彼を心配してくださって、ありがとうございます」


日が暮れかけている。病院の四角い建物が強い橙色に染まる。柳生くんの柔らかそうな髪が暖かな色を放っていた。


「あの、ごめん、あと一つだけいいかな。――柳生くんが一緒に帰ろうっていう藤川さんからの誘いを断っていたのって、……仁王くんのため?」


由紀の言葉に、柳生くんは少し目を見開く。それからにっこりと微笑んだ。


「幸村くんがあなたを気に入った理由が、分かる気がします」







疲れているのになかなか寝付けない。せっかくカウンセリングに行ったというのに、柳生くんの話が頭から離れない。布団に潜り込んでも一向に眠気は襲ってこなかった。

ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ。サイドテーブルに置いた携帯が鳴る。


『from: 柳蓮二
 Sub : 今週日曜日
 本文: 今週の日曜日、空いているか?俺たちの部について意見が聞きたい。精市も来る』


大丈夫だよ、と端的に返す。柳くんからはすぐに返信がきた。


『from: 柳蓮二
 Sub : Re:Re:今週日曜日
 本文: では11時に駅集合で。もう一人くるかもしれないが、あまり気にしないでくれ』


柳くんからのメールをぼんやり見て、由紀はもう一度顔からベッドにダイブした。ついに『結果報告』か。柳くんと幸村くんからは、何が見えたのだろう。

けじめ、と柳生くんは言った。テニスと藤川さんを天秤にかけざるを得なくなって、どちらかより大事な方に絞らざるを得なくなって、彼は選んだということか。
選択。幸村くんは、柳くんは、もし仁王くんと同じ立場に立ったらどうするのだろうか。もし、大事なものが二つあって、でもどれだけ頑張ってもどちらか一つを捨てねばならなくなったとしたら。


大事なものを一つ捨てる、ね。私はまだどちらも捨てられていない。前の私も、今の私も。


***


俺たちは、確かにうまくいっていた。確かに、そのはず、だった。だが、いつの間にか、それが狂い始めた。仲が悪くなったわけではない。練習もうまくいっている。ただ油が切れた機械のように、人間関係がきしみをあげているように感じた。

まったく、たるんどる。

そう思ったが、果たしてたるんでいるのはどちらの方か。
最近、精市と蓮二は何かを感じていたようだ。俺は「どうかしたのか」と聞いたが、二人とも、お前自身で気がついて欲しい、と言った。おそらく、このことだったんだろう。



渋い顔をしたまま、真田弦一郎は、幸村精市と柳蓮二の元へ向かった。

(20101204)

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