se_チェス用語で氷帝 | ナノ
努力が足りないのよ、とまたお母さんにあきれられてしまった。怒られるのを通り越してあきれられるなんて、重傷だ。

なんでかなあ。努力、しているつもりなのに。

自分のどこかに重大な欠陥があるんじゃないかと思えてくる。いやいや、体のせいにしちゃだめだ。努力努力努力。
でも、やっぱり効果はイマイチだ。あっさりこなしていく友人がうらやましい。
普通にしてちゃだめ。努力してもだめ。さあこれからどうしよう。
つまり、行き詰まっている。







エンドゲーム・スタディ




「ゆっこーー!」

「おはよう礼。英語の辞書?」

「うん。ごめん、貸して。忘れちゃった」

「やっぱり。はい、今日はうち英語ないから返すの遅くてもいいよ」

「ありがと、ホント助かる」


忘れ物が多いことは自覚済み。なのになんでか忘れ物が減らない。隣のクラスのゆっこは私の神様だ!……迷惑かけてごめん。しょっちゅう物を借りに行くのに、ゆっこは快く貸してくれる。私はだいたい、お礼としてお菓子をあげることにしている。


「礼か、おはよう。なんだあ、また忘れものか?」

「あ、亮、おはよ!うん、まあ」

「はは、変わってねえなあお前。あんまり斉藤に迷惑かけんなよ」


礼は眉尻を下げた。これでも頑張ってるつもりなんだけどなあ。
亮は氷帝学園の中ではかなり庶民派で、一見、物の扱いが乱暴でやんちゃそうな普通の男の子に見える。でも実は、むしろ几帳面なのだ。物は丁寧に扱う。それでも彼の持ち物がぼろぼろなのは、ただ単に使いこんでいるってだけ。
そして、私と違って忘れ物をめったにしない。

宍戸くんおはよう、と、ゆっこは亮に言う。微笑むのにあわせて、ゆっこの長い髪がふわりと揺れた。亮もそれに返事をして、彼の髪もさらりと肩から流れる。

ちくりと心が痛む。ああ、嫉妬してるんだな、私。だってこの二人はこんなにお似合いなんだもの。二人とも真面目で、努力家で、失敗は繰り返さない。それに比例して成功してる。私は、いつまでたっても進歩しない。

亮と私のうちは近所で、母親同士の仲が良い。私たちも活発な子供同士として仲が良くて、そのままここまで来ている。お母さんには「あんたも亮くん見習ってもうちょっと頑張りなさい」とか「亮くんは忘れ物なんてしなのにねえ」とか、比べられてばっかりだ。
普通、比べられたら嫌になるものだ。私だって嫌だ。負けたくないとか、亮よりも褒められたいとか、そういう気持ちもある。でもそれでも亮のことは好きなのだ。これが恋かどうかは分からないけど、亮に彼女ができたら悲しいと思う。

とりあえず授業が始まっちゃう。礼は見なかったふりをして、じゃあ借りるね、と一声かけてその場を去った。





部活を終えて家に帰る。ただいまー、と玄関で叫ぶと、間髪入れずにお母さんのおかえりーが聞こえた。いつも通りの私の家。ふはー、と息を吐いてリビングに入る。部活は楽しいけど、疲れたなあ。


「母さん、今日さー……うおっ!」


リビングの入り口で、礼はフリーズした。違和感がある。というか、なぜか見慣れた長髪がいる。制服と学生鞄、ラケットケースを持って。長髪がこちらを向いた。


「おう、お帰り。お邪魔してるぜ」

「あらやだ、亮くんはうちの息子みたいなものなんだから遠慮しないでちょうだい」

「はい。ありがとう、おばさん」


亮は少し照れたような顔をしている。この表情をすると、少し幼く見えるんだよね彼……、じゃなくって!


「え、え?どうしたのこんな時間に」

「亮くんね、今日は家に泊まるのよ。ご親戚の用事でね、お父さんもお母さんも――」

「ああ、そっか、なるほど。じゃあちょっと客間片付けてくる」

「悪ぃな、俺も行くわ」

「あーーーーっ亮にぃだ!家に泊まるの!?やった!」


二階からどたどたと弟が降りてきて、亮にとびついて、ぐちゃぐちゃになった。亮は顔をくしゃっとさせて、まるで本物の兄のように弟の頭をなでている。


「こら、はしゃぎすぎだ。ちょっ、こら!」


昔からよく見慣れた風景。遊びに行っても、お互いの家族に溶け込んで。こんな関係が、ずっと続けばいいのに。礼は今朝の気持ちを思い出して、少し憂鬱な気分になった。




弟がハイテンションのまま亮にくっついていたから、結局あまり話せないまま寝てしまった。ため息がでてしまう。せっかく、久しぶりにゆっくり話せると思ったのに。朝起きて一階に下りると、亮はすでにいなかった。たぶん朝練だろう。

ダイニングテーブルの上には、お母さんが作った亮と私の分のお弁当がのっていた。
持って行かせるのに間に合わなかったのよ、あんた持って行ってねと、お母さんはさらっと言ってのけた。


***


授業が終わると同時に、鞄からお弁当の包みを引っ張り出して隣のクラスに向かう。亮は、教室にはいなかった。遅かったか、急いだんだけどな。


「お、礼、昨日はありがとな」


……いた。廊下から教室に入ってくる。


「おい、礼?大丈夫か?」

「ああ、うん。これ、うちの母さんが亮にって」

「おっ、サンキュ。久しぶりに一緒に食うか」


うん、とうなずいてから、礼は硬直した。


「あ。あーーっ!自分のお弁当持ってくるの忘れた!」

「ぶっ」


亮が吹き出した。それと反比例して、自分のテンションはだだ下がりだ。


「お前、ホント変わってねーな。ほら、これやるよ」


亮は鞄から購買のやきそばパンを出して、礼の手にぽんと乗せた。パンはなぜか暖かい。


「え?これ。いいの?」

「おう。ホントはさっき、購買で買ってきたんだけどな」


ちょっと笑って亮は言う。そうか、私がお弁当持ってきたから気を遣って、とっさに鞄に買ったパンを隠したのかのか。こういう細かな心遣いができるところも亮らしい。
あれ?デジャ・ビュ。前も、こういうことがあったような気がして、もやもやする。


「亮はさ、全然忘れ物しないよね。テニスとかでも失敗を繰り返さなそう」

「んなこたねーよ。繰り返してるぜ、練習中にな」


亮はご飯をもぐもぐ咀嚼しながら言う。


「練習中、訓練中に嫌っていうほど失敗して、本番で失敗しないようにしてるだけだ」

「私、何回やっても忘れ物しちゃうんだけど」

「そりゃ、工夫が足りないんじゃねえか?忘れやすい物をリストアップして、でっかく部屋に張っとくといいぜ」


やっぱり既視感がある。絶対前もこういう会話をした。私が忘れ物をして、亮に助けてもらって、何かを相談して、アドバイスしてもらって。


「ねえ、前もこういう会話、しなかった?」

「ああー…したな。中1のころじゃねーか」


亮はあっさり応える。そうだ、中1のころ。あのときは、どんなに頑張っても歴史の年号が覚えられなくて、あがいていたんだ。そのときも一緒にお昼御飯を食べて、私がお弁当を忘れて、亮にもらって、そして彼は的確なアドバイスをくれた。


「そっか、そうだね。よく覚えてたね、亮」

「まーな」


亮はちょっとぶっきらぼうに言ってから、ぽつりとつけ加えた。


「なんかなあ、忘れられねえんだよな。つい手を出したくなるっつーか、なんつうか」


一気に気分が急上昇する。私がどれだけマイナス思考におちいっても、あっという間に亮は私を舞い上がらせてしまう。
ああ、負けた。いっつもそうだ。どれだけ何をやっても、いつも私は亮に負けてしまう。
でもそれはそれで、幸せだ。

エンドゲーム・スタディ:練習問題の一種。詰め将棋や詰め碁のチェスバージョン。作られたあるチェスの局面で、一方が他方のどのような手に対しても勝つ(または引き分ける)手順を解答として求めるもの。

(20101204)

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