se_チェス用語で氷帝 | ナノ
周りの人には、お人好しだとよく言われる。自分でもそう思う。頼まれたらなかなか断れないし、困っている人を見るとつい手を差し出してしまう。
お人好しって、あんまりプラス評価の言葉ではないんじゃないか。何度も言われるうちに、ぼんやりそう思うようになった。どっちかというと、仕方ないなあ、とか、もうちょっとしゃきっとした方がいいよ、とか、マイナス評価でないにせよ、多少の心配とかお説教を込めた表現なんじゃないか。
結局は、自分で勝手に重い荷物を背負い込むことになるんだから。
スマザードメイト
報道委員の夏のヤマは、6月の下旬にやってくる。礼の所属する課では、月1で発行する機関誌の年間行事レポートを作る。一番大変なのが、7月分の記事を作成するこの時期なのだ。
偏差値テストの結果を分析しなきゃらないし、7月はじめには期末考査もある。運動部の人に至っては、夏の大会も近づいてきている。
……この時期には様々なドラマが生まれる。忙しくてんやわんやして、ある意味祭りのようになる報道員も例外ではなく。高い目標を掲げて奮起する人から、重圧に押されてどよーんとする人まで、いろいろな人がいた。
「山本さん、頼むーっ!成績優秀なキミにしか頼めないんだあっ」
目の前には、土下座せんばかりに頭を下げた天野くん。
朝登校したとたん、報道委員で同じ課の彼にばったり会った。どうやら礼を探していたようで、礼を見つけたとたん必死でしがみついてきた。
なんか、嫌な予感がする。でも聞き間違いではなさそうだ。
「俺は中間考査が赤点祭りだったんだ、あんなに頑張ったのに!期末はもっと頑張らないと、補講になるし、補講になったら部活の練習時間が削られるし。だから委員の仕事が」
「ええっとー」
つまり、自分の分の委員会の仕事をやってくれ、ということなのだろう。でも、正直、礼にもきつい。やりたくない。文化部で時間がある分、偏差値データ打ち込みという面倒な仕事を担当している。この仕事と勉強で手一杯だ。
「たーのーむー。今年こそは俺たちバスケ部も全国に行きたいんだ。そのためにずっと頑張ってきたんだ」
困ったなあ、でも最近どこかで似たようなセリフを聞いたな、とちょっと現実逃避をしてみる。誰だったっけ。同じ課の日吉くんだったかな。テニス部は去年も全国に行ったから、プレッシャーは強いんだろう。
新館や交友棟に行くたびに、グラウンドやテニスコートで練習する、運動部員の姿が見える。氷帝は部活動のレベルが高く、大会で活躍する人も少なくない。好成績を残せていない部員も、周りの熱気に刺激されて、日々練習に励む。特に大会前は皆、必死だ。
生徒会の各委員会もある意味、必死ではあるけれど。
そう思うと、必死の様子に礼はかわいそうになった。
「わかった。それで、私は何をやったらいいの?」
ああ、また引き受けちゃったよ。ちゃんと締め切りに間に合うかな、これ。
礼の内心とは反対に、天野くんはぱあっと顔を明るくさせた。
***
仕事量に危機感を覚えた礼は、昼食を早々に切り上げて、昼休みも委員会活動に当てることにした。放課後だけじゃ、締め切りに間に合う気がしない。
委員会室では、同じ課の子が何人かいて、必死に作業をしていた。特に必死なのが、私と同じデータ入力担当の鈴原くん。声を掛けようかと思ったけれど、邪魔になりそうだからやめておこう。礼は鈴原くんの隣に座って、黙ってパソコンの電源をいれた。
「おい、鈴原」
黙々と作業を進めていると、いきなり側で声がして、集中がふっと途切れた。横を見ると、話しかけられた鈴原くんはびくっとしてコーヒーをこぼしかけている。彼のすぐ側には、日吉くんが立っていた。
「お前、例の約束、覚えてるな?」
日吉くんはニヤリと笑った。鈴原くんは微妙に挙動不審だ。
「うっ、まさか、アレ?覚えてる……けど……」
「けど?」
「何も今の時期にそれ言わなくなって。……。ああもう、分かったよ、やる、やるよ。気が重いけど」
「ふん、分かればいい」
再び、日吉くんは嫌な笑みを浮かべた。なんか嬉しそうだ。
それにしても、久しぶりに見た日吉くんは相変わらず、かっこよかった。アイドルのような完全無比の美形ではないけれど、キリっとした顔つきが男らしい。それに、体を酷使しているのか、体つきがシャープになった気がする。コレが話題の細マッチョってやつか。シャツからのぞく腕の筋肉と鎖骨に萌える。運動部の男の子ってやっぱり……
いやいや、何を考えているんだろう。きっと頭が疲れてるんだ。
当の日吉くんはちらっと礼を見て、さっさと委員会室から去っていった。どうやら、鈴原くんは日吉くんの分の仕事もすることになったらしい。こういう時、空気を読まない日吉くんはたくましい。
ご愁傷様です。鈴原くんは自分と同じ運命をたどりそうだ。役に立たないなぐさめを込めて、礼は彼の背中をぽんぽんと叩いた。
***
6月も末になり、もう明日が締め切りだ。同じ課で仕事がここまで切羽詰まっているのは、私と鈴原くんぐらいだろう。
放課後、授業が終わると速攻で委員会室に駆け込んだ。最近なら、鈴原くんしかいないのに、今日はなぜか日吉くんがいて、鈴原くんに何か迫っていた。この二人って実は仲良かったりするんだろうか。日吉くんが一方的に振り回してそうだけど。
私の姿を見ると、鈴原くんがぎょっとしたような顔をした。
「えと、どうかした?」
「いやいや、なんでもないなんでもない」
「うん?それならいいけど。日吉くんがいるって、めずらしいね」
挙動不審な鈴原くんとは逆に、日吉くんはまっすぐ礼を見た。
「なんだ、まだデータ入力終わってないのか。お前がこんなに無計画だとはな」
「うっ、厳しい言い方。つい、天野くんの仕事も引き受けちゃって」
「無計画に引き受けるからだろ」
「だってさ、うう、言われてしまえばそうなんだけど」
「ちゃんと終わらせられもしないのに引き受けたのか」
礼はむっとした。確かに大風呂敷を広げたかもしれないけど、ちゃんと責任は果たすつもりだ。
「意地でもちゃんと終わらせるよ、今日中にね」
「よくやるよ……天野をたきつけたり、僕にこんなことさせたり……」
鈴原くんは、大きなため息をついて、小声で何やらつぶやいたようだが、よく聞こえなかった。
カーテンから見える外は、すっかり暗くなった。部活動の音や掛け声はもうほとんど聞こえない。
あの後、日吉くんはさっさと部活へ向かった。鈴原くんは6時ごろに突然、また挙動不審になって、おばあちゃんの入院見舞いにどうしても行かなければならないとか言い出した。礼は、ほんの少しではあったが残っていた彼の作業を引き受けた。そして、ぽつんと一人でパソコンと向き合うはめになったのである。
ああ、なんでこんな性格なんだろう。もうちょっとだけど、これが手こずりそうだ。お腹は減ってきたし、腕ももうカチカチだけど、あと1時間くらいは掛かりそうだ。
はあ、とため息をついて、伸びをする。腕をもみほぐそうとしながら、なんだか情けなくなってきた。もう帰りたい。あとちょっとだって分かっているけど、なんだか泣きたい。二人で作業をするならまだ救いがあるけれど、一人だと疲れるだけじゃなくて寂しい。体が痛い。
「ふん、まだ終わってないのか。だから言ったろ」
いきなりガチャッとドアが開いて、テニス部のジャージを着た日吉くんがいた。さっきといい、何しにきたんだろう。今度は私を笑いにでも来たんだろうか。
礼のむすっとした顔が面白かったのか、軽く笑みを浮かべている。なんだっていうんだ、このキノコが。かっこいいなんて思ったのは撤回だ。
「まあ、手伝ってやらないこともない」
「え、いいの!?」
「ただし、俺のいうことを聞くんならな」
もう帰りたい。意地を張っていた部分もあったけど、腕の痛みがつらいし、何より、ここで拒んだらまた一人で作業することになる。それは嫌だ。
うなずいた礼を見て、日吉くんは交渉成立だな、と言った。意地悪なことを言っておきながら、結局は助けてくれるんじゃないか。実は結構やさしいのかもしれない。日吉くんは、ぽん、と私の頭に手をおいた。
「覚悟しておけよ」
日吉くんは、ますます笑みを深めて凶悪な顔つきになっている。
あれ、私、選択肢を間違えた?
***
約束通りお膳立ては手伝ったんだから、後は自分でなんとか頑張ってよね、日吉。
スマザード・メイト:味方の駒で逃げ道がふさがれたキングを、ナイトでチェックメイトすること。
(20101110)
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