se_チェス用語で氷帝 | ナノ
コミュニケーション力が大切だっていう人は多い。多くの場合、コミュ力とはつまり、「いかに上手く話をするか」を指していると思う。人気のあって目立つ人は、だいたい話が上手いから。

でも、隠れた最強のコミュニケーション能力は、「人の話を聞けること」だと思うようになった。彼と仲良くなってから。







セオリー




時にタイミングは非情である。


「ううーなんで今日に限ってえええ……」


礼はうめいた。目の前には、3種類の分厚い資料集。それがクラスの人数分。これを全部、職員室から教室まで運ばなければならないらしい。進学したばかりだもんね、そりゃこういうこともあるよね。
ようやく放課後になり、やっとわずらわしい日直も終わりだ!と思ったとたんにコレだ。


「ふ……ふふふ……持ち上げて落とすなんて、やるじゃない岡崎先生……」


いや、勝手に私が舞い上がって落っこちただけだけど。
もう一人の日直、樺地くんはもう部活に行ってしまった。というか、後は日誌を先生に提出するだけだと思って、「テニス部の練習あるでしょ?後は大丈夫だから、先に部活に行って」と、カッコよく言い放ってしまった。
見栄っ張りの自分のばかやろう。だがもう遅い。最近、樺地くんとちょっとだけ仲良くなりつつあって、それが嬉しかったのだ。だからなおさら親切にしたかった。


***


樺地くんは妖精さんみたいな人だ。なにせ全然しゃべらないし、表情も分かりにくい。すごく大柄なのに音もなく移動。だが人を驚かせることなくさりげなく。実はこれって結構すごいんじゃないか。変な比喩だけど、働き者で人前に現れないおとぎ話の小人さんが大きくなったら、樺地くんみたいになるんじゃないか、と礼は密かに思っている。

1年2年と続けて樺地くんと一緒のクラスになった礼は、なぜか彼と席が隣同士になることが多かった。最初に席が隣になったときは、ぶっちゃけ、大丈夫かなあ、と思ったものだ。ちゃんと意思疎通ができるのか。そもそもマトモな人なのか。

おそるおそる話しかけてみると、彼はつぶらな瞳でこちらをじっと見た。


(よっしゃ、こっち見てる、反応アリ!……いや、これって反応アリ?)


何も言わず、表情も変えず、こちらを見ている。仕方なく礼も彼を見つめ返す。

沈黙。

何この雰囲気。失敗したコントみたいだ。なんかいたたまれない。
聞こえなかったのかな。いや、でもこっち見たってことは聞こえてたはずだし。礼は沈黙に耐えかねて、適当に話をした。一方的だけど、ええい、もうどうにでもなれ。仲良くなるにはとりあえず自己紹介だ!樺地くんに痛い人だと思われるかもしれないけど、彼なら友達に言いふらしたりもしないだろう。頑張れッ、私!

つっかえつっかえ自分のことを言葉に紡いでいると、ゆらっと樺地くんが動いた。気恥ずかしくなってそらしていた目を彼に戻すと、彼はおもむろに口を開いた。


「いい趣味だと……思い……ます」


低い声でゆっくりと、でもきちんと彼はそう言った。


「あ……ありがとう」


ちゃんと聞いてくれてるんだ。私の一方的な話なんか、聞いてもさして面白くもないだろうに。それから、彼はぽつり、ぽつりと自己紹介に対して感想を述べた。
樺地くんはコミュニケーションのとれないタイプなのかと思ったが、全然そんなことはなかった。人よりも、言葉に出すタイミングやスピードが遅いだけ。理解が遅いわけじゃない。きっと、じっくり考えて、慎重に返事をする人なんだ。

結局、その日に樺地くんから聞けた言葉はさして多くなかった。ほとんど、自分がしゃべっていた、というのもあって。でも、あまり言葉を発しない分、ぺらぺらしゃべる私なんかよりもずっと、ひとことひとことが的確で、重みがあった。

だからだろうか、「いい趣味だ」なんて、ありきたりな言葉なのに、すごく嬉しくなった。


***


目の前にある資料集の山。普通に運べば、たぶん6往復くらいかかる。今日は部活がないから時間はあるんだけど、6往復は面倒くさい。それなら、大変でも一気にいっぱい運んだ方がいい。腕に山盛り抱えれば、3往復くらいで行けるはずだ。


うし、と気合いを入れて一山、抱え上げる。重い。でも、教室までは階段も扉もないし、これならツラいながらもなんとかいけそうだ。
礼はえっちらおっちらと歩き出した。お腹の前から鼻の先まで、自分の目の前には資料集が積もっている。新しいインクの香りがほのかに香ってきた。新学期とか新しい授業の始まりを感じさせるこの香り。ああ、もう2年生になっちゃったんだなあ。


教室まであと半分くらいまで行ったところで、大きい手がにゅっと横から伸びてきて、腕をぎしぎしいわせていた本の重みがふっとなくなった。


「え、部活は?」


樺地くんが、音もなくそこにいた。黙って私から資料集を受け取ると、横を並んで歩く。
あっけにとられてそう聞いたが、彼は何も答えない。


「えーっと、もしかして、他のクラスの日直を見て気がついたとか?」


横目で彼を見ていると、かすかにウス、と肯定したのが分かった。


「そっか、ありがとね。でも、私に運べない量じゃないし、気にしないでもよかったのに。レギュラーだし、練習忙しいでしょ?」


沈黙。彼は何も答えなかった。

いったん資料集を教室に運び終えて、再度職員室へ向かう。残りの資料集を見て、樺地くんは何を思ったのか、それをまとめて抱え上げた。残った資料集はほんのわずか。これなら私でも運ぶのはたやすい。


「ええっと、無理しないでね?樺地くん、力持ちだし大丈夫だと思うけど……」


無言。彼はいつものようにつぶらな目でこちらを見てから、ゆったりとした足取りで歩き出した。慌てて後を追うと、途半ばで、ようやく彼は言葉を発した。


「気になり……ました」


気にしないでもよかったのに、という言葉に対する返事のようだ。礼が部活に行っていいと言った以上、来なくても問題なかったのに。それでも彼は大仕事の存在に気がついて、助けに来てくれた。

やっぱり彼は、善良な妖精さんだ!


そっか、ありがとう。そう言うと、彼はまた、ウス、と返事をした。





教室にようやく運び終えた丁度そのとき、がらっと後ろのドアが空いた。こんな時間に誰だろう、と思って視線をやると、そこにはなんと、跡部先輩がいた。


「ここにいたのか。オイ樺地、何やってんだ」


あの生徒会長が……指パッチンのキング様が……目の前に、いる!礼は固まった。


「日直だったんだろうが、それにしても遅え。もう練習はじまってんだぞ。連絡も入れねえで、どういうつもりだ」


跡部先輩のビリっとした声色に、フリーズしかけていた頭が反応した。跡部先輩、かなりイラついている。きっと、普通に練習にいくはずだったのに、急に私の手伝いに戻ってきたから、連絡を入れられなかったんだ。


「あああ、あの!」


そう思うといてもたってもいられなかった。


「すいません、私が樺地くんに迷惑かけちゃって、その、急に手伝いに来てもらったから、その」


緊張のあまりしどろもどろになった。イザというときに役に立たない私のおしゃべり。ええいもう。跡部先輩はそんな私をちらっと見ると、フン、と鼻で笑った。


「分かっている。いくぞ、樺地」


樺地くんはちょっとだけ私に頭を下げると、ウス、と返事をして跡部先輩の後をついて教室から去っていった。跡部先輩の機嫌は、直っているようだった。





あれ、なんだったんだろう。
最後には跡部先輩はもうイラついていないように見えた。それに、私のあの説明で、彼はちゃんと理解できたんだろうか。分かっている、とは言ったけれど。

校舎から出ると、グラウンド越しの遠目にテニスコートが見えた。体の大きな彼は、キングを守るように付き添っている。

ああ、信頼しているんだな。お互いに。私がちょっと迷惑掛けたくらいじゃ、ちょっとすれ違ってしまったぐらいでは、ぴくりとも揺るがないほど固い絆なんだ。
跡部先輩の理解と信頼。樺地君のやさしさと信頼。

でも樺地くんは、損はしなくとも特もしないにもかかわらず、私にとっても最善の道を選んでくれた。じゃあ、私が彼に対してとった態度とか、跡部先輩に弁明したことは、樺地くんにとって最善だったんだろうか。

樺地くんはきっと、全部考えた上で最善の道を選んだんだ。私の行動が正しかったかは分からないけれど、少なくとも今後は、最善の道を選べるように、気を付けよう。そうしたら、彼ともっと、理解しあえるような気がした。



まずは明日、彼にお礼を言うことからだ。

セオリー:両プレイヤーが最善の手を打ったときに生じる、ある型にはまった一連の流れのこと。

(20101109)

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