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100%の確率(柳)

しゅんしゅんと小さな音がして、やかんの口から湯気が登り始めた。調理室の机に頬杖をついていた私は、ぼんやりとそれを眺めていた。誰もいないこの教室でお湯を沸かすのはこれで何度目か。調理部でも何でもないのにここに居座り本を読むようになってから、もう1年は経つ。最初は読書のお供に温かいお茶が欲しいという単純な理由で調理室の使用許可を先生からもらったんだ。最初は。事情が変わったのはつい3ヶ月ほど前のこと。呑気にお茶をすすりながら本を読む私の姿はどうやら外から丸見えだったらしい。そして興味をそそられたらしい彼は、ノートを片手にやってきた。

私はおもむろに椅子から立ち上がってコンロの火を止めた。お湯をまずは湯飲み二つに注いで、そこからポットに移しかえる。前はこんな面倒なことをしなかったのに彼に教えてもらってからは手間を掛けるようになった。こうやって丁寧にいれれば煎茶だって美味しくなる。と、思いたい。ポットの蓋に手を置いて、私は再び椅子に座り込んだ。ここ最近はどうも彼が来るまで落ち着かない。髪の毛や服が乱れてないかとか彼は今日も来るのだろうかとか何を考えているのだろうとか、心は揺れるがままで。

要するに、恋なのだろう。

ガチャリと扉が開く。「今日は寒いな」と言って彼は中へ入ってきた。「うん、そうだね」と返事をして、綺麗に微笑もうとしたけれど嬉しさのあまり失敗して結局へにゃりと笑う。彼はすうっと長い腕を伸ばして、棚からお皿を一枚取り出す。真っ白なカッターシャツの袖口から彼の骨張った手首がちらりとのぞいて、私はドキリとした。ばれてなきゃいいんだけど、と目を反らす。
全く、彼の一挙一動について今の私はこんな調子になってしまう。嫌になる、と思いながら浮かれてる自分に頭の隅っこで呆れる。五感全部で彼を知ろうとして、彼の行動に一喜一憂し、同時にそんな自分を押し隠そうと必死なのに。

私の正面に座った彼は片手に持っていた茶色の紙袋を開く。中からお菓子を三つ取り出し丁寧にお皿に並べた。彼はここへ頻繁に来るようになってから毎度お菓子を持ってきてくれるのだけれど、二人しかいないのになぜ三つも持ってきたのだろうかと私は頭をかしげた。彼は、そのお菓子を指さした。

「夏目、これが何か知っているか?」
「ううん、見たことないや」

それは円く伸ばした生地を二つ折りにし、更にくの字に折り曲げたような格好をしていた。三つとも色が微妙に違う。生地は硬そうだ。

「これは、フォーチュン・クッキーというものだ」
「フォーチュン・クッキー?」

聞いたことがない。おうむ返しに問い返すと彼はうなずいた。

「アメリカやカナダの中華料理店でよく出されるお菓子だ。中国ではなく日本の文化に由来するものらしい」
「へえ、知らなかった。珍しい、よく見つけてきたね」

お茶を差し出すと彼は鼻を近づけて香りをかいだ後、口を付けた。美味い、と褒められてほっとすると同時に気分が急上昇する。

「いや、昨日姉が作ってみたいと言い出してな。なんでも今度のパーティーに持って行きたいから練習をするのだと」
「お姉さんの手作りなんだ!名前から言っても縁起がよさそうだよね」
「縁起、というよりも……このクッキーの中には紙が入っている」
「紙?おまじないか何かなの?」

彼は少し口の端をあげて笑った。

「その紙には通常、運勢が書いてある。だから運試しの意味でフォーチュンだ」
「おおっ!上手く使えばパーティー盛り上がりそう」

私はもの珍しさから飲んでいたお茶を置いて、しげしげとクッキーを見つめた。焼かれた生地がつやつやと光を放っている。この中が空洞になっているということか。紙には運勢ではなく別の言葉を書いておけばゲームにも使えそうだ。
実は、と落ち着いた声色で続ける彼を見上げると、笑みをひっこめたクールな表情でこちらを見ていた。彼は長い指で皿をこちらへ押す。

「この三つは、俺が作った」
「へっ」

私は緩むほほを彼に見られまいと、わざと真面目な顔をして柳くん作だというクッキーを見つめた。柳くんが作ったんだって。いいのかな。いいよね。薦めてくれてるんだし。それにしても、なんてラッキー。まさか彼がこういうものを作るとは思わなかったけど、器用そうだからひょいひょいと簡単にこなしてしまうかもしれない。だめだ、あんまり考えるとニヤける。
私は自分の不審な挙動をごまかそうとして慌てて彼に質問をした。

「中には何が書いてあるの」
「さあな、自分の目で確かめてみろ。夏目から見て右、緑がかっているのは抹茶味。真ん中はプレーンで、左はココアだ。好きな物を選んでくれ」

一瞬、どれを選ぼうかとためらう。ココア味よりも抹茶かプレーンの方が好きだ。どちらかというと抹茶の方が好きだけれど、でも柳くん、前に抹茶味が結構好きだとかなんとかって言ってなかったっけ。いや間違いない、言ってた。だからと言ってこの三つの中で彼の一番好きなものが抹茶だとは限らないんだけど……それでも彼が好きなものをできるだけ避けたい。バレンタインにはいっぱいチョコレートをもらっていたらしいからカカオが嫌いってこともなさそうだし。結局、私は真ん中のプレーンに手を伸ばした。

少し力を込めると、ぱきりと二つに割れた。中には彼が言っていた通り、細長い紙が入っているみたいだ。アルファベットが見える。あたりだといいな。彼にもらったクッキーで大凶が出たらものすごく落ち込みそうだけど。心臓がドキドキしている。楽しくて好き、こういうの。
私はメッセージを読もうと、それを指でつまんで破らないようにそっと引っ張る。

目の前にもってきた紙が、へにゃりと曲がった。気がした。自分の心臓は死んでしまったのではないか、と思うくらい音が聞こえない。

『I love you.』

恐る恐る顔を上げると、彼は顔色を変えないままに言った。

「本気だ」
「本当に?」
「疑い深いな」
「だって」

私は残りのクッキーを指さした。言いたいことがあるのに言葉が出てこない。跳ね上がって音をなくしていた心臓がちょっとずつ下に下りてきて、今度は大きな音を立て始めた。それが余計に思考を混乱へと誘う。

「残り二つ、割ってみろ」

慌てて二つとも割ってみる。うまく動かない指を無理やり操作して紙を引き出す。二枚とも、何も書かれていなかった。どういう、こと?

「何で?罰ゲーム?だって、偶然?」

上手く言えないで物騒な言葉が飛び出すのに、彼は顔色を全く変えなかった。

「告白が本気なら、なぜこのような不確かな罰ゲームのようなやり方をしたのか。私が選ぶ偶然に任せていたのはなぜだ。本当に本気なのか。……と聞きたいのだな」

勢いよく頷くと、彼はずっとそばに置いていたノートに視線を落とした。

「人の気持ちは分からない。行動だって分からない。いつだって確率が100%になることはない。だが今回、俺は100%の確率が欲しかった」

彼が再び私の目を見た。私は恥ずかしくて目をそらしたいのに、そらせなかった。

「俺のデータによると、お前はココア味をそれほど好んではいない。だからもし夏目がココア味を選んだのだったら、俺がお前の好き嫌いさえまともに理解できていない、告白するにはまだ早いと考えた」

私、彼にココアの話なんてしたことがない。一体どうやって知ったのかと思ったけれど、さっき見た『I love you.』の文字が脳内を駆け回っていてそんな細かなことはどうでもいい気がした。

「夏目の性格から考えて、もしお前が俺に好意を抱いているなら俺が抹茶味を好むといったことを高確率で覚えているだろうと思った。そして、だから俺のために抹茶味を避けるであろう、と」

全く、その通りだ。ああ、もうだめだ。顔が絶対赤い。

「夏目がプレーン味を選んだとしても、俺に好意を抱いていない可能性だってある。100%告白を受け入れてもらえるとは全く言えない。だが俺は、賭けることにした」

柳くんの声が、ワントーン下がった。

「どうあがいたところで、データ上、100%の確率が得られることなどない。だが言わなければ先には進まないからな。それで、夏目は俺をどう思っているんだ」

ぽろりとクッキーの欠片がスカートの上に落っこちたけれど、もうそれだってどうでもよかった。

「違う、100%、だよ」

彼は目を伏せて、静かに笑った。


(20120228)


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(もしお前が抹茶を選んだら、もっと好きになってもらうべく努力しようと思った。)

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