short | ナノ

楽しみは宴の前に(伊武)

雀の声が聞こえる、冬の朝。クリスマスイブを通り越した住宅街は静かだ。遊び疲れた子供達が目を覚ましてプレゼントに歓声を上げるのはもう少し日が昇ってからだろう。

橘家のガレージには車はなく、外へ出かけたのか大人の姿は見えない。だがガチャガチャと食器や調理器具の音がキッチンから聞こえ、換気口からは湯煙が白く漂っている。中にはおかっぱの女の子と額にほくろのある男の子がいる。


「これ、皮をむいてからサイコロに切ればいいの?」

「ああ、頼む。カボチャは堅いから怪我をしないように気をつけ……ああっ、いや、それは力がいるから俺がやろう。杏はニンジンの皮をむいてくれ」


女の子の手つきはいかにも危なく、しっかり包丁を握りしめてはいるもののどうもおぼつかない。カボチャに包丁を立てるもののその緑の皮の固さにふらふらしている。隣の男の子、桔平はハラハラと見守っていたが、たまらなくなったのか手を出した。


「お兄ちゃん、ニンジンの皮むきって包丁をこう当てればいいんだっけ」

「ピ、ピーラーがあるぞ、ほら」

「ありがと」


桔平は杏が怪我しないように、失敗しすぎないように注意しながら手際よく調理を進める。不動峰中・男女テニス部のクリスマスパーティーが始まるまで、あと数時間。


***


「夏目ー、こっちこっち。メリクリ!」

「メリークリスマス!おはよ、神尾。早いね」


駅前の広場でそわそわしていた神尾アキラは、私の姿を見とめると手を挙げて叫んだ。彼の艶やかで長い前髪は、今日は一層輝かしく見える。


「あれ、シャンプー変えた?いつもより綺麗じゃん」

「気合い入れてきたぜ、なんせ今日は杏ちゃ……橘さんの家に行くんだからな」

「いや、ごまかさないでいいよ知ってるし」


思わずブハッと吹き出す。神尾は杏ちゃんに夢中だ。杏ちゃんの部屋に入れるわけでもないだろうに、彼女に少しでもよく見られたいらしい。恋する人なんて、そんなものか。
彼は私と落ち合うなり、先立ってウキウキと橘家への道を歩み始めた。いかにも早く到着したく、待ちきれないようだ。私は疑問を抱いた。


「ねえ、料理の準備手伝う人も直接家に来て、って話じゃなかった?なんでわざわざ一緒に行こうって私のこと誘ったの」

「そんなん当たり前だろ!女の子の家に男が一人で行けるわけが」

「いや橘先輩、いるじゃん」

「あ」


この男、相当浮わついているようだ。思考が支離滅裂である。
私は大笑いしながら、伊武のことを考えた。料理の準備をするのは橘さんと、杏ちゃんと、神尾と私と伊武。他の男女テニス部員はパーティーグッズやら何やらを買い出しに行ってくれている。伊武、もう橘さんの家かな。杏ちゃんと一緒に料理してるんだろうか。
胸がぎゅっとする。神尾だけじゃない。私も早く杏ちゃんの家に行きたい。


***


伊武はすでに来ていた。黒いエプロンをして手に鍋を持ち、大皿に器用に盛りつけをしている。テーブルの上には、空っぽの大きな皿、小さな皿、箸、フォークやスプーン、そしてまだ盛りつけてない料理の入った鍋がたくさん置いてあった。


「二人とも遅いよ……なんだやっぱりなあ、二人で仲良く来たりしてさぁ……俺は早く来て準備してたのにいちゃいちゃしちゃってさぁ、別にいいけど」

「美味そう!うお、杏ちゃんが料理してる」

「神尾、感動のあまり人の話聞いてないね」

「なんなんだよ、いいよなぁ神尾はお花畑で」


ダイニングで騒いでいると、台所から橘さんが顔をのぞかせた。


「おっ来たな、神尾、夏目。じゃあ、神尾は伊武と一緒に盛りつけとカトラリーのセッティングを頼む。夏目は杏と一緒にケーキのスポンジを作ってくれ」


私は神尾と顔を見合わせた。神尾は杏ちゃんと一緒にいたい。私は伊武と一緒にいたい。だから本当は逆がよくて、しかも二人ともお互いにそれを知っている。伊武は何を勘違いしているのかとんでもないことをぼやいた。


「なんだよ、目の前で見せつけるようにいちゃついちゃってさ……本当は俺が邪魔で二人で盛りつけやりたいとか言うんだろ、人の気も知らないで」

「いやいやいや!違うから!!」


伊武に杏ちゃんのところへ行かれるなら、自分が行った方が絶対にいい。それは神尾も同じだったようで、彼も慌てる。橘さんがもう一度、台所から顔を出した。


「ん?なんだ、違う役割の方がいいか?」

「いえ、俺やります橘さん!」

「じゃあ私エプロン借りますね!」


伊武とはパーティーの最後まで一緒だし、それに杏ちゃんや橘先輩と料理するのも楽しみだ。神尾には後で杏ちゃんと一緒にわいわい料理できたことを自慢してやろう。伊武には、ぼやきが止まるくらい美味しい料理を作って見せよう。内村くんやら加藤さんやら他の部員たちにも美味しい料理を食べてもらいたい。
料理は苦手だけど、料理上手な橘部長の指導があればどうにかなるに違いない!


「橘先輩、私、料理苦手なんですけど大丈夫ですよね?ご指導お願いします」

「あ、ああ、問題ない」


変な間があったのは、気のせいに違いない。


***


香ばしい香りがオーブンから漂う。チン、と短い音がして光が消えた。杏ちゃんはにっこり笑って鍋つかみを手にはめた。


「いい香りするわね、どうなっているか楽しみ……あっ」

「ん?一体どうし……あっ」


オーブンの扉を開けたとたん杏ちゃんは固まる。どうしたんだろうとのぞき込むと、何が悪かったのか、さっきまで膨らんでいたスポンジはみるみるしぼんでいってぺっちゃんこになった。さっきまでのわくわくした空気はどこへいったのか、私と杏ちゃんは顔を見合わせて無言になった。どうしよう。せっかく作ったのに、失敗してしまった。クリスマスパーティなのにケーキなしなんて嫌だ。でもこんな、ぺっちゃんこのスポンジでケーキなんて作れない。
心配したのか、更に私の後ろから橘さんが中をのぞき込む。彼は鍋つかみも使わずに器用につぶれたスポンジを取り出した。どう言われるだろう。どう思われるだろう。彼だって期待したに違いないのに、ケーキが。そう思ったのに、彼はごく普通の様子だった。


「ふむ、これは混ぜすぎたな。ちゃんと言っておかなかった俺が悪かった、すまない」

「いえ、すみません、すみませんごめんなさい」

「お兄ちゃんのせいじゃないよ、ごめんね」

「二人とも気にするな。料理に失敗はつきものだし、材料はまだあるから作り直せばいい。そうだ、失念していたが簡単なレシピがあったな。それで作ってみてくれ、きっと今度は大丈夫だ」


彼は杏ちゃんと私の頭をぽんぽんと叩いて、微笑んだ。
しょんぼりした気分に彼の言葉が染み込む。優しいなあ、橘先輩。私たちが失敗したのに、責めるようなことなんて一切言わないし。どぎついことばかり言う伊武とは大違いだ。なんで私は橘先輩じゃなくて伊武が好きなんだろう。我ながら謎だ。
キッチンの沈んだ静けさを感じ取ったのか、伊武と神尾が並べるフォークを持ったままこちらへやってきた。


「橘さんどうしたんで……あ」

「あーあ、夏目は料理下手だからなあ、夏目に任せなければこんなことにはならなかったんだよなあ」

「……ごめん」


伊武の言葉がぐさぐさと胸に刺さる。いつもなら慣れたものであっさり言い返せるけど、今日は本当に自分が悪い。言い返す言葉もなく、私はしょんぼりした。もっと伊武から言葉が飛んでくるかと思いきや、彼はそれ以上は何も言わなかった。


「うむ、まあこれは後で俺が食べておこう」

「たっ、橘さん!これ杏ちゃんが作ったんですよね!?俺実は今腹がペコペコで昼のパーティを待ちきれないくらいなんで俺に下さい!」


神尾はフォークを握りしめて勢いよく叫んだ。杏ちゃんと橘さん、そして私はあっけにとられる。このぺっちゃんこなスポンジを、食べたい?
彼のキラリと光った目を見て私は悟った。……そうか、杏ちゃんの作ったものは何でも食べたいのか。さすが神尾だ。私が作ったものでもあるのだけれど、喜んで食べてくれるならありがたい。


「それは構わないが、しかしただのスポンジだぞ、味もあまりついていな」

「いいんですそれでも美味そうです、いただきます!」


神尾はテーブルに並べていたはずのフォークを持ち直すと、勢いよくスポンジに突き刺して食べ始めた。あまり美味しくもないはずなのに、彼は食べるのを止めない。それを見た杏ちゃんが、嬉しそうに楽しそうに笑った。


「あーあ、また一人でいいかっこしちゃってさ、いいとこどりだよなあ、ほんと……」


なぜか伊武もフォークを持って、反対側からスポンジを食べ始めた。文句を言いながら、しかもあまり美味しくなさそうに。私はあっけに取られた。あの正直な伊武が、しかもたぶん伊武は杏ちゃんのことが好きというわけでもないだろうに、なんで食べてるんだろう?橘さんへの忠誠心?


「杏ちゃん、確かにつぶれてるけどこれ美味い」

「昨日はさんざん俺のことをクリスマス伊武の日だのなんだのって言ってきたくせにさあ、ほんと止めて欲しいよね、イブ、イブって言われると発音が違っても鬱陶しいんだよなあ……ようやくイブが過ぎたと思ったのにさあ、神尾は夏目にしてもコレにしてもいいとこどりばっかりするしさぁ」


神尾は美味いを連呼しながら、伊武はぶつぶつと普段の三倍くらいぼやきながら食べている。伊武、なんで食べてくれてるんだろう。不味いはずなのに。
どうしたらいいか分からなくなって橘さんを見上げると、彼は小声で「よかったな、夏目」と言った。


(20111225)

--
ツイッターで生まれたネタ。ちゆみさんありがとうございます!

[back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -