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最初の会話(跡部)

ただの気まぐれなのだろうか。なんで私たちが。そんな抑えられない疑問が顔に表れていたのか、彼は口元を緩めると「たまには若い人の話を聞きたいと思ってね」と柔らかく笑んだ。どう反応していいのか分からない私は曖昧に笑って隣を見たが、先輩は私以上に緊張していたようで笑顔が引きつっている。こっそり先輩を肘で押したが反応はナシ。気持ちは分からないでもない。だって、私たちが対峙しているのは会社の代表取締役社長、要するに一番偉い人なのだ。夕方に取引先でばったり出会ったと思ったら、突然声を掛けられ料亭に連れて行かれ。ただの気まぐれなのか、なんで万単位の従業員を抱えるこの大会社の社長としがない平社員の私たちがプライベートで食事をしているのか。全くわけが分からない。
先輩は緊張してお冷やをぐびぐび飲んでいる。私の分まで飲みやがった。じろりと睨んだけれど先輩はそれにすら気がつかないようだった。

「君、夏目くんだったかな。新入社員なら22歳くらいかね」
「はい、そうです」
「そうか。私にも同じ年の息子がいてね」

社長は一呼吸おくと、口を開いて、それから言葉を選ぶように再び黙った。言葉に含みがある。若者から見た会社の様子が知りたい、なんて彼は最初に言っていたが、どうやら別のことを話したくなったらしい。息子さんのことなのだろうか。
先輩はその沈黙でようやく我に返ったのか、おそるおそる話を促した。

「社長のご子息は、素晴らしく聡明であると評判です」
「どうだろうな。確かに頭もいい、努力もする、運動もできる。親ばかながらよくできた息子だと思うよ。しかし、しかし――どうして君たちとこうも違うのだろう」

そう言って彼は憂いと苦笑いと疑念が入り交じったような表情を浮かべる。
私は先輩と顔を見合わせた。そんなに良くできた青年なら私たちと全然違ってもおかしくはない。むしろ、凡人な私たちと一緒なはずがない。それは誇るべきことなはずだ。なのに、社長は何を考えているのか。
先輩は困惑しながらそっと尋ねる。

「違う、とは?」
「その、なんだね。私も妻も息子には普通に接してきたつもりだ。普通の家族と同じように。いや、私の思う『普通』はもしかしたら普通ではなかったのかもしれない、だが私や妻が自分たちの親にされてきたように、育ててきたつもりだ。友人の家庭の話を聞いても、特別自分たちのやり方がおかしかったとは思っていない。しかし」

社長の携帯が鳴った。彼は「失礼」と言うとスマートフォンを確認しなにやら操作をする。きっと退社後も会議資料やらなにやらが絶え間なく次々送られてくるような毎日のだろう、社長ともなれば。
穏やかで柔和、しかし敏腕だと名高い目の前の彼をぼんやり眺めながら、私はようやくくだんの「社長の息子」に思い当たった。会ったことはおろか見たこともない。だが眉目秀麗、リーダシップとカリスマ性を備え、その上テニスのヨーロッパ大会で子供のころ優勝したこともあるとか、ともかくそんなスーパースターみたいな人だと聞いたことがある。既に自分で会社を起業し成功しているその「社長の息子」は次の日本を率いる若手リーダーとして経済誌に特集されたらしく、一時期社員の中で話題になっていたんだっけか。同僚の女の子がキャーキャー言っていた気もする。しかしあまりにも現実とはかけ離れた華々しい話だったものだから、私にとってはテレビの中のアイドルかヨーロッパの王族かという程度にしか現実味がなくて、それ以来すっかり忘れてしまっていた。
用事が済んだらしい社長は顔をあげて話を続けた。

「私や妻は地位こそあれど普通の人間だ。君たちと同じようにね。しかし私の息子は少し変わっているのだ。派手で傲慢でプライドが高く負けず嫌いで王族のような……私にも妻にも似ていないのでね、それが不思議だ」
「社長のご子息が派手、ですか。確かに想像できません」

思わず本音が出てしまった。社長はシックで、すごくダンディだ。派手な上等さとは別の上質さがある。たとえば服装一つにしても、ぱっと見は地味で普通だけれども実は洗練されたとても良いスーツを着ているような、そういう上質さだ。社長の息子が派手、というのはどうも想像できない。しかしちょっとくらい派手で傲慢な人なんでとこにでもいそうじゃないか、そんな性格の男は。私はなぜ社長がそこまで考え込むのか分からなくて首をひねった。
先輩は腹をくくったようで、さっきの緊張はどこへやら身を乗り出して親身に尋ね始めた。

「何か思い当たることもないのですか」
「強いて言えば、帝王学を学ばせたくらいか。本人がやりたいと言ったものでね」
「では、身近な誰かから影響を受けているとか」
「いや、息子は私の身辺でも特殊だ。それが人を惹きつける理由にもなっているようだから決して悪いとは言えないのだが、少々心配でね」
「心配?」

社長はくしゃっと表情を崩して苦笑した。ひらりと手元の杯を傾け清酒で喉を潤す。そんな仕草ひとつひとつも優雅で、育ちの良さがにじみ出た彼はまさに貴族だった。

「もういい年をした息子を心配するなんて過保護だとは分かっている。だが息子は人を知らなさすぎる」
「人を知らない?カリスマ性のある方だともっぱらの噂なのですが」

何が問題なのか未だに分からない。私の言葉に彼はひとつ唸った。

「そう、それも原因の一つだ。だからこそ、息子は多少不満を持つ相手でも強引にひっぱって思いのままにすることができた。少なくとも今までは。もちろん息子なりに人と衝突して学んできたことはあるのだろうが。だが恵まれすぎるが故に知らないことも人一倍多い」

私と先輩は、黙って耳を傾ける。社長は饒舌だった。

「ヨーロッパならあれでもやっていけるだろう。だがここは日本だ。あちら流のやり方、そして氷帝学園で彼が培ってきたやり方で今後もやっていけるわけではない。それには息子自身も気がついている」
「ならば、問題はないのでは?」

先輩が首をかしげると、社長は唐突に話すのを止めて困ったように微笑んだ。沈黙が落ちるが、彼は微笑んだままだ。
冷や汗が出る。なんだか、嫌な予感がする。それは先輩も同じだったようで、先輩は硬直して視線だけを私に投げかけてきた。
しばらくして社長は静かに話し出した。

「勉強のために、息子に我が社をしばらく見学させようと思ってね。身分を隠した状態で。そこで息子の面倒を君たちに見てもらいたいのだ」
「は」
「は」

ハモった。だがそんなことはどうでもいい。いやいやいや、まさかそんな。
社長は慌てて「いや、社員として働かせるわけじゃないから教育まではしなくていい」などと見当違いのフォローを始めた。そこじゃない。どこぞのカリスマ王子を私たちが面倒?なんで?入社1年目と3年目の普通の平社員二人が?いや、敢えて言うなら私と先輩は同期の中でも評価されている方だと思うが、それでもずば抜けて仕事ができるなんてこともない。いやしかし秀才な社員に息子の面倒を見させたら仕事が回らなくなるから逆にまずいのか?むしろ私たちが仕事ができないから面倒を見させようと?しかし面倒って何を?
先輩はあっけにとられてぽかんと口を開き、ぐるぐる疑問にとらわれた私も同じく固まっていた。しかし、その沈黙は今いる個室の扉が開かれることによって破かれた。

「入るぞ、親父。……こちらは」

言葉が、違った。普通によく聞く言葉、しかしその口調の端々から自信が満ちあふれて強い光を放っている。
薄青の瞳。鼻筋の通った、性格のきつそうな色白の美青年。静かな光沢をたたえるスーツ、スーツの胸元にのぞく真っ赤なチーフ、そして首元のシャツには豪華なフリル。まるで少し昔の王のような。

社長を「親父」と呼ぶ彼はゆったりとした足取りで社長に近づき、立ったまま私たちを見下ろした。

「夏目優くんと浅井正幸くんだ」
「ふん。――ずいぶん間抜けな面してやがる」

傲慢で、不遜で、どうしようもなく何かの足りない跡部財閥の御曹司。

これが、私と跡部景吾の最初の会話。


(20130428)
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案外、お父さんは普通だったりして。

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