short | ナノ

思うがままに(幸村)

凍り付くような朝だった。駅から学校までの短い距離を歩く間でもすっかり体は冷え切って、手袋をしているのに手はかじかんでいた。教室にはまだ誰もいない。すでにストーブがついていて、教室内はほかほかと温かくなっていた。私はコートと手袋、ブレザーを脱ぐと、手をすりあわせながらストーブに近づいた。まだ上手く動かない手に熱を感じながら、カーディガンをそっとなでて乱れた裾を整える。
ずっと欲しかったあのブランドの、新品のカーディガン。自然と顔が綻ぶ。これを着るのが楽しみで、冬だというのに珍しくも早起きしてしまった。その柔らかな茶色は彼の瞳を思わせる。まるで、彼からもらったみたいな。……そんなこと、人には絶対言えないけれど。たとえ親友にであろうとも。

ぼんやりと物思いにふけっていると突然がらりと扉が開いた。この時間なら当分一人だろうと思っていたのに。意外に思って顔を上げると、幸村精市がいた。

思わず顔が引きつる。よりによって、こんな日に。幸村は意地悪だから苦手だった。いつも私を落とすようなこと言ったり、言われたくないことをあざ笑いながら指摘してくる。明らかに馬鹿にされている。それは仲がよい者同士のじゃれあいなんかじゃなくて、ストレスのはけ口にされてる。そうでもなければ、親しくもないクラスメイトの女にいきなり嫌みを言いはなったりなんてしない。他の女の子には優しくしてるんだから。
幸村と二人っきり。最悪だ。でも同時に、自分の心臓がドキドキ脈打っていることも分かっていた。憂鬱だけど、心が躍っている。
言えるわけがない。叶うはずもない恋の話なんて。

幸村のことは無視していたのに、よりによって相手の方から近づいてきた。ストーブの前で立ち止まると、私を上から下まで査定するようにじろじろと見る。恥ずかしさと不愉快さが混ざった気分でにらみ返すと、彼は鼻で嗤った。

「そのカーディガン、流行りのだね」
「……なんで知ってんの」
「妹が騒いでたからな。彼氏にもらったカーディガンってコンセプトなんだろ」

レディースなのに、メンズと同じように合わせの左が上に来るようになっているカーディガン。彼氏からもらったカーディガンを着るのが流行っているのだけれど、彼氏がいない子は代わりにこのブランドのものや本当に男物のカーディガンを着ていたりする。私だって、ずっと欲しかったんだ。流行ものが欲しかったっていうだけじゃなくて、これを着ていれば、少しは痛む気持ちがましになるんじゃないかと思ったから。
私は舌打ちをしたくなった。絶対何か言われる。似合ってないとか、ダサいとか。幸村に嫌みを言われたり意地悪なことをされることには慣れたけれど、それでも腹は立つし心の隅がちくちくと痛かった。

「ふーん、夏目が、ねえ」
「別にいいでしょ」
「恋人なんてできないくせに、よく恥ずかしげもなく着られるね」
「うるさい」

綺麗な顔のこの男は、私のことなんてただのゴミみたいにしか思ってない。叶うはずもない。分かっているのに、弾む気持ちと落ち込む気持ちがないまぜになって気持ち悪くなってきた。

「他の女の子が着たら可愛いけど、夏目が着ても可愛くないね。その茶色似合ってないし、君にはせいぜい灰色がお似合いだよ」
「あんたには関係ないでしょ、このブランドが好きなの」
「おや、どうして怒るんだい。本当のことを言ってあげてるのに」

私は幸村から目をそらした。もう顔を見ているのも嫌だ。せめて話し掛けられることもないくらい遠い存在であれば良かったのに。わざわざ会話をして、二重の意味で傷つけられる。

「嘘つきだね、ホントはブランドが好きなんじゃなくて彼氏のカーディガンが欲しいんだろ?どうせ君には無理なのにね。ボーイフレンドからもらった設定だなんて、しょせん作り物だろ。それが似合うのは可愛い子だけで、夏目みたいな可哀想な子には全然似合わない。自分では似合ってるつもりなのかい?まさかね」

ぎゅうっと心が締め付けられる。無理だなんて、分かってる。あんたに何が分かるっていうの、何も知らないくせに、いい気になって。いつの間にか、拳をぎゅっと握りしめていた。腹立たしさと、悔しさと、悲しさ。
黙って耐えていると、突然、幸村はとんでもないことを言った。

「脱ぎなよ」
「は?」
「いいだろ、どうせ夏目には似合わないんだから」

彼は距離を詰めるとにゅっと腕を伸ばしてきた。ボタンを器用に外し始める。私は何をされるか分からないという恐怖と好きな相手に服を脱がされているという恥ずかしさでパニックになった。幸村の腕をつかんで抵抗する。

「ちょっと、何すんのよ変態!やめてよ!」
「うるさいなあ」

彼は構わずボタンを外そうとする。近くにいるという嬉しさでごまかされそうになったけど、これはとんでもないことだ。だって、意地悪な幸村のことだ、カーディガンやブレザーを私から奪って寒い思いをさせようとしているとしか思えない。それか、まさか、水でも掛けられたりするんだろうか。どちらにせよいいことなんてあるはずがない。
私は力の限り暴れた。ばたばたと動かした足がストーブに当たってわずかにストーブが揺れる。でも、幸村はびくともしなかった。どんどん恐怖が募っていく。

「やめてってば!」
「夏目ごときが俺に抵抗するなんていい度胸だね」

彼は無理矢理ボタンを全部外す。どん、と押されて視界が一回転した。器用に回された私は、カーディガンをはぎ取られた。彼の手の中で丸められた茶色のカーディガンを見て冷や汗が出た。そのままカーディガンをどこかへ持っていきそうな様子だ。もしかして私のカーディガン、捨てられる?

「ふざけんな、返せ!」
「断る」

夢中で幸村に詰め寄る。取り返そうとカーディガンに手を伸ばす。いきなり、幸村の両腕が後ろに回った。ぎょっとして身を引くと、腕を捕まれて引っ張られる。

「君にはせいぜい灰色って言っただろ」

いつの間にか、幸村の灰色のカーディガンを着せられていた。
ぬるく体温の残るカーディガン。独特の、幸村の香りに包まれる。幸村はいつの間に脱いだんだろう、というかどうやって着せられたのかさえもよく分からない、どういうことなのこれは。君には灰色とか言っていたから、私が地味だの何だのと言いたくてわざわざ私に着せたのか、でも、なんで、そんなこと。好きな人の、服。今着ているのは。予想を遙かに超えた出来事に、更にパニックになる。意味がわかんない、これなら普通にカーディガンを捨てられた方がまだ理解できる、なんなのこの人、わざわざこんな手間かけてまで何がしたいわけ。心臓がばくばくと大きく鳴ってもう何がなんだか分からない。抗議したいのに口がぱくぱく動くだけで声が出てこなかった。
彼はそんな私を鼻で笑って、自信たっぷりに言った。

「ほら、これがしたかったんだろ」

見下ろすと、カーディガンの裾は自分のお尻をすっぽり隠すほど長かった。肩が落ちるほどサイズが大きい。自分のものよりも、ずっと。幸村の身長が自分よりずっと高いことは分かっていたけれど、実際には身長だけじゃない、体の大きさが全て、違うんだ。
幸村の言葉にますます混乱する。あまり意地悪なセリフでもない、と、思う、それとも何か別の罠でも仕掛けられているのだろうか?もうどうしたらいいのか分からない。どういうことなのか、問い詰めたいのにどう言ったらいいのかも分からない。

「そんなわけ、ないでしょ。何がしたいのよアンタ」
「さあね」
「早く私のカーディガン返して」
「やだ」
「ふざけんな」

幸村は私のカーディガンを抱えたまま背を向けて歩き出した。やっぱり捨てられる?慌てて幸村に追いすがって、腕を掴もうとして、気がつく。袖から手が出ていない。灰色の、幸村の着ていた、カーディガン。わたし、私、そうだ、幸村のを着てたんだ。脱ごうとボタンに手をかけると、その上から手で抑えて阻止された。顔に血が上るのが分かる。

「代わりにそれ、あげるよ。嘘つきちゃん」

ぎょっとして顔を上げると、幸村はもう片方の腕で私の肩を掴むと引き寄せた。目の前に彼の肩が迫って、頬に彼の髪が掛かる。私は硬直した。
幸村は、私の耳に口をつけて小さく囁いた。息が耳にかかる。

「素直になりなよ。本当は嬉しいんだろ?」

じわり、冷たい自分の耳たぶに温かいものが押し当てられる。顔が真っ赤になるのが分かる。思わず耳を押さえると、幸村は私から身を離してにっこりと笑った。


(20121213)



(幸村くん、今日はずいぶん機嫌がいいですね)(……あの鞄から見えてるカーディガン、女ものじゃなか?)

--
股吉さんへ、相互記念&2万打記念おめでとうございます!
「イーストボーイの、彼氏からもらったカーディガン」というコンセプトを同じ元ネタで、それぞれ小説を書いてみる試み。股吉さんのサイトはlinkかこちらからどうぞ!

[back]
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -