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負けない男(跡部)

惚れた方が負けなのよ。だから、しょうがないよね。

恋多き友人は好きな男の言動に一喜一憂してはため息をついてはそう言う。どんな人に恋をしようとも結局は好きになった方が振り回されるのだ、と。めったに恋をしない私は物わかりのいいふりをして頷いていた。そのくらい分かってる。子供じゃないんだから分かってる、と。恋は盲目って言うよね、なんて返事をしながら。けれど本当は何も分かっていなかったのだ。私は彼女の言葉の真の意味を思いがけない形で痛感するはめになった。

憧れていたバスケ部の男子からの伝言。ずっと遠目で憧れてるだけだったのに最近ようやく話ができるようになった人。彼もこちらの話に笑ってくれて。アイドルみたいに思っていた人が身近になって、どんどん仲良くなっていったその矢先の呼び出し。彼が私を気に入ってくれてる、みたいな噂も友達から伝え聞いた。本当かは分からないけれどちょっとは期待してもいいのかな、でもただの相談だったりするのかな、と喜びと不安の入り交じった気分で私は中庭に走ったのだ。
なのにその彼の口から出たのは予想だにしていなかった言葉だった。

「ごめん、君とは付き合えない」
「え?なんの話で」
「ごめん、これからもただの友達で」

いつもは堂々としているのに今日の彼はいやに挙動不審で、目さえも合わせてくれない。一言二言言い残すと、ぽかんとした私を残して校舎へ帰っていった。私はその場に立ちつくした。校舎からは生徒達の笑い声や足音がざわざわと聞こえてくる。からっとした秋の風が私のスカートをはためかせても、ショックから立ち直れない。今、何を体験したのだろう。失恋?

「私、そもそも告白してないよね?」

淡い恋心は水面の泡よりもあっけなくはじけて消えた。代わりに浮かんできたのは告白するまえに振られたむなしさと衝撃と、展開についていけない心のもどかしさだけだ。


***


いつものように生徒会のソファにぼふんと身を沈めると、跡部が入れてくれた紅茶を手に取った。封を切ったばかりのセカンドフラッシュ。カップに鼻を近づけずとも香りが漂ってくる。質の良い紅茶なんだろう。両手でカップを持って跡部を見ると、彼は紅茶を飲みながら片手で書類を次々と処理していた。鋭い目は真剣そのもので、一糸の乱れもない髪、白い肌、きちんと着こなした服装から漂うのは王者の品格。氷帝のキングは伊達じゃない。
そして、生徒会員でもない私がこんなところでくつろげるのはひとえに跡部が職権乱用しているからだった。生徒会の人には悪いと思いつつも彼らも優しくしてくれるからつい入り浸ってしまう。掃除や備品整理は毎日のように手伝っているから許して欲しい。跡部がなんで私を特別にここへ入れてくれるか、と、いうと。
跡部が、私を、好きだから、だ、そうだ。まるで実感はないが副生徒会長が笑いながらそう言っていたのだから本当なのだろう。たぶん。

「男にでも振られたか?」

いつの間にか跡部は私を見て口の端をきゅっと上げていた。笑っている。

「何で?インサイトつかった?」
「ふん、使う必要もねえ。お前のことなんてお見通しなんだよ」

無言でカップの中に視線を落とす。いつもだったら少し嬉しく思うところだが今日はショックで、気をつけないと暗い顔をしてしまいそうだった。本当のところ、バスケ部の彼のことはそこまで熱烈に慕っていたわけではなかった。いいなとは思っていたけれど。でも、告白する前に釘をさすみたいにふってきて、じゃああんなに良くしてくれて気に掛けてくれたのは何だったのかと問い詰めたかった。何なんだ、本当に。言動が全く理解できなくて若干イライラする。

跡部は薄い笑みを浮かべるとまた真剣な顔で書類に目を戻した。じっと彼の顔を見つめる。私の視線は感じているだろうに気にとめる様子もなく彼は生徒会の仕事を進めている。
跡部にさりげなく告白されたのはつい最近、この場所でのこと。さらりと「俺の女になれ」と言われたのだ。当の私はその突然さと内容、告白してきたという事実と言い方に驚愕して紅茶を吹き出した。俺の女になれ、って!!慌てふためいて跡部を見ても当の本人は呑気に紅茶を飲んでいた。なんで告白した人の方がされた人より落ち着いているんだ、そう混乱しながらも私が出した結論は「ノー」。跡部のことは好きだった。でもそういう意味での好きではなかった、し、そもそも跡部はいろいろな意味で別格すぎて恋の対象として見ていなかった。断られた彼はというと、落ち込む様子もなく「今後もいつも通りの態度でいつも通りに俺様に接しろ」と私に要求し、それは私にとっても願ったり叶ったりだったから今日もこうして甘えている。

跡部があまりにもけろっとしているものだから、今まで告白を断ったことを申し訳なく思うことがなかった。ろくに意識さえしていなかった。でも。私でさえふられてショックだったんだから、告白したのに断られた跡部は少なからずともショックだったんじゃないのだろうか。だとしたら悪いことをした。
再び顔を上げると跡部は足を組んでカップに口を付けていた。無駄な挙動もなくすっと紅茶を飲む跡部は優雅そのものだ。

「ねえ、跡部。私のこと、恨んだりしないの」
「あーん?好きな女のことを恨むわけねえだろ」
「あ、あんたねえ」
「何だ」
「その、よくそんな台詞をあっさりと……」

恥ずかしくなって言葉が尻すぼみになる。彼はフンと鼻で笑った。人を小馬鹿にしたような態度でさえも格好良く決まっている。本当になんなんだ、この男。こちらを見ようともしないでこんなことを言う。澄ました顔がにくたらしい。本当にこの男は私のことが好きなんだろうか、実はからかってるだけなんじゃないのか?そんな疑問までわいてくる。
それでも、次にこの男が放った言葉を聞いて私は顔が爆発しそうになった。

「事実なんだから仕方ねえだろ」

私はむすっとした顔を作って顔をそらした。そうでもしないとにやけてしまいそうだった。少し、嬉しいのも事実。でも、なびかないんだから。だいたいどこまで本気か分からないし。内心で決めて腹に力を込める。

「なんでそんなに堂々としていられるわけ」
「どういう意味だ」
「惚れたら負けっていうじゃない」

だって、跡部は私に振られたはずだ。それなのに「負けた」様子なんて一切ない。落ち込む様子もなければ振り回される様子もない。むしろ惚れられたはずの私が振り回されている。どういうことなの。
彼は私の言わんとしていることを的確に読み取ってくれたようで、再び鼻を鳴らした。

「振られたら負けだと思ってんのか?」
「だって」
「優、お前、俺たちが青学に負けた試合は見たか?」
「うん」
「どう思った?」

関東大会まであっさり行けるだろうと誰もが思っていて勝利を疑わなかったあの夏。青学との一線は激烈なもので、そして氷帝は負けた。愕然として沈むオーディエンスを前に跡部は指を鳴らしたのだ。その瞬間、氷帝は誇りを取り戻した。怒号のように巻き起こる氷帝コール。負けるのは誰だって嬉しくない、でもいつだって氷帝は氷帝だ。負けたって堂々としているのが氷帝らしい。

「負けたのは悔しかったけど、氷帝らしく戦えたのかなって。それに負けてからうちのテニス部格段に強くなったんじゃない」
「じゃあテニスの試合と恋愛の違いはなんだ」

私は自分の眉が寄るのは分かった。違いなんていっぱいある。テニスは競技だけど恋愛は違う。テニスはスポーツだけど恋愛はもっと人格的なものだ。テニスで負けたらそりゃあショックだろうけれど恋愛みたいに全人格が否定されたような気分になったりはしないんじゃないだろうか。テニスは負けても力を尽くしたなら堂々とできるだろうけど、でも恋愛はそうじゃない、と、思う。少なからずショックだし、やっぱり惚れた方が感情的に振り回されるのだ。
跡部の言わんとしていることがよく分からなくて黙っていると、彼は言い放った。

「テニスには終わりがある。何時間かかってもな。だが恋愛は死ぬまで終わらねえ。妥協したくねえなら続けりゃいいんだよ」
「跡部じゃなかったらストーカーで逮捕されそうな台詞だね」
「うるせえ」

むっとした顔まで整った男だ。そこで私はふと、私はあることに気がついた。そういえば1年生だったころの今の時期だ、跡部がストーカーのように女の子に追いかけ回されたのは。今では皆すっかりこの男に慣れてしまったが最初見たときは本当に衝撃的で、それゆえ跡部の人気は爆発的に上昇した。

「そういえばもうそろそろ誕生日だよね。何か欲しいものある?」
「俺様の誕生日を知っているとはな。何だかんだ言って可愛いところもあるじゃねーのファッハッハッハッハ!」
「いや氷帝生なら誰でも知ってるから」

冷静にツッコミを入れると跡部は私に向き直った。また文句を言うのかと思いきや、彼はゆっくりとテーブルにカップを置いて真正面から私を見据える。表情はなく、まるでインサイトをするときのようにぐっと目を見開いてきっかり私の目を見る。アイスブルーの瞳に自分の姿が映っている。私は動揺した。

「な、何?」

跡部は軽く口を開いたまま微動だにしない。瞳も動かさない。私はたじろいだ。でもこちらが目を反らしても彼は相変わらず射抜くように私を凝視する。仕方なく跡部に目を戻すけれどその表情は一切読めない。こんなのは初めてだ。まさか、まさか……変なことは考えていない、よね?
こうしていると勝手に体が熱を帯びてきた。そんなんじゃない、跡部は友達だもん。違う、別に意識してるわけじゃない。ただ跡部は顔が良くてこんな風に凝視してきたりするからだ、慣れてないせいだ。私が好きだったのはバスケ部のあの人だし。確かに跡部は話しやすいし一緒にいて安心するし格好いいし。今日だって跡部は落ち込む私に何も言わずに紅茶を入れてくれたのだ。後でからからかわれたけど。でもそれだって元気づけるためのことで、私を落ち込ませたり嫌みを言うためにしたわけじゃない。それに本当に励まされている。自信家だし独裁的なとこもあるしちょっと腹立つところもあるけれど、なんだかんだ言って優しいのだ。いやいや、でもまさかそんな変なことを言うわけはないだろう。それに本当に私のことを好きかどうか分からないし。なにせモテモテな男だ。こんな可愛くもない女に告白してくる理由がない。この前の台詞だって気の迷いかもしれないし。
様々な思いを巡らせていると、しばらくしてようやく跡部はゆっくりと唇の両端を持ち上げた。

「何も、いらねえよ」
「へ」

長い時間の後にようやく出たのは何も欲のない言葉。拍子抜けしてまぬけな声が出る。跡部は膝に両肘を付いて前屈みになるとニヤリと笑う。

「お前が欲しい、とでも言うと思ったのか?あーん」
「なっ、そんなこと思うわけないでしょ!」
「どうだかな」

少しだけ、そういう風に言われるんじゃないかとどこかで考えていた自分に気がつく。勢いよく否定してからもごもごと口ごもる。これじゃあまるで「欲しいのはお前だけだ」とかなんとか言われることを期待してたみたいじゃない。顔に血が上るのが分かって顔をそらしたけれど、跡部が笑っているのが分かる。完全にからかわれている。

「わざわざもらう必要なんてねえ」
「ん?どういう意味」

誕生日プレゼントをもらう必要がないってどういうことだろう。欲しいものは自分で買うからわざわざ私が買わなくていいっていうことだろうか。それとも欲しいものは自分の手で奪い取る、みたいな意味か。はたまた、他の子に貰うからお前からはいらねえよ、みたいな?今年も跡部に誕生日プレゼントあげる子多いみたいだし。
そうか、今年も跡部は女の子からプレゼントを貰うかもしれないんだ。私はとっさに口に出した。

「他の女の子から何かもらうの?だからいらないってこと?」
「何言ってんだ、焼き餅か?」
「違う」

とっさに否定したけれど違う、確かにこれは焼き餅だ。きれいにラッピングされて趣向を凝らしたプレゼント。跡部はそれをどんな顔をして受け取るんだろう。それは、仕方のないことだけど、よく考えるとちょっと嫌だった。なんでかは分からないし、恋人でもないくせになんて身勝手なんだろうとは思うのだけど。跡部は意地悪な顔をして言う。

「焼き餅やいてもいいんだぜ、優」
「うるさい跡部、そんなんじゃないし」
「はん、ま、どっちでもいい。『必要ねえ』っていうのはそういう意味じゃねえよ」

跡部はふう、と息を吐いてから高らかに宣言した。まるで決定事項のように。相変わらず私を見つめながら。目が笑っている。

「お前が俺のものになることは既に決まってんだよ。わざわざプレゼントされるまでもねえな」

私は言葉を失った。そして今度は耳まで血が上るのがわかる。鼓動はどんどん早くなって、手の感覚がなくなる。恥ずかしい。なんで。そんな言葉が頭の中をぐるぐる駆け回るけれど、私の口から出てきたのは別の言葉だった。私はただ赤い頬を隠したくて両手で顔を覆う。

「……あとべの馬鹿」
「ふん」

跡部は笑いながら静かに唇を動かした。大きくはない声、でもその声はこちらまでしっかり届いて網のように私を捕らえる。もう何も考える必要はない。


俺とこうしてる時点でお前の負けなんだよ。勝者は、俺だ。


(20121003)

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Happy Birthday、跡部様!

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