淡泊なる情熱 | ナノ
3

 幸村は、よくわからない。モナ・リザでないことだけはわかっている。優しくて同時に強引でマイペースだ。熱心で、かつ淡泊だ。矛盾した性質が幸村には併存しているように思えた。彼の質問ひとつをとっても理解ができない。「渋谷さんは他の女の子とどこが違うと思う?」。こんな抽象的で答えにくい質問をしたかと思えば、「キミは渋谷さんといつごろ知り合ったんだい?」なんて具体的で簡単な質問もする。「渋谷さんは今までどういう男と付き合ってきたんだ?」と踏み込んだ質問をして閉口させられたかと思えば唐突に「キミたちに共通する趣味はあるのかい」と軽い話題に転換したりする。遠慮はしないが正直に答えることを強要してくるわけではない。ギクリとさせられたかと思えばほっとさせられることもある。幸村は不思議な存在感を纏っていた。

「はい、今日はホットココア。嫌いじゃない?」
「むしろ好き。ありがとう」

 私は熱いココアで両手を暖めながら目だけで上を見上げた。気が付けば温室の中から見る早咲きの桜は満開になっていた。桜が咲く前は渋々幸村の相談に付き合っていたというのに、今となっては彼の不思議さが興味深い。
 今日の幸村はベンチに座るや否やストレートな質問をぶつけてきた。

「キミ、今は恋人いないの? オレに付き合ってくれてるくらいだし」
「うっ……私は」
「興味がない? そんな風には見えなかったな」
「うう。私はその、モテないし──」
「恋人を作るのにモテる必要はないよ」
「……。でも」
「まあ確かに、キミは渋谷さんとは正反対のタイプだね」

 幸村のセリフがぐさっと心に突き刺さる。けなされたわけではないのにまるで「おまえには魅力がない」と言われているような気分になった。そんなことは佳奈の隣にいる私には十分にわかっている。
 私は恨めしい気分になって横目で隣を見たが、彼はにこにこと「ココアはあったまるよね」などと言っている。悪気はないのだろうし事実悪く言われたわけではないが、こんなセリフをあっけらかんと言えるのは幸村だけではなかろうか。恋人を作るのにはモテる必要はない、だって。その通りかもしれないけれどモテる男に言われても全く共感できない。
 ところが幸村は、私の気分など全くおかまいなしに小さく呟いた。

「でも、よく似ている」
「……なにが?」
「キミが」
「なにと」
「渋谷さんと」
「……。ええっ、どこが!?」

 驚いてココア缶を落としそうになる。今までそんなことは言われたことがなかった。むしろ正反対だねと言われるばかりで、自分でもそうだと思っていたのに。
 幸村は返事をせずに声の音量を再び上げた。

「キミはモテようとするよりも誰かとじっくり付き合っていく方が性格に合うんじゃないかな」
「どのみちモテようとしてもモテないから」
「みんなモテることを過大評価しすぎだよ。そんなにいいものじゃない」
「幸村くんが言っても説得力ないんですけど……」
「いくらモテても好きな人と両思いにならないと意味がないだろ?」
「そうだけどモテる方が両思いになりやすいじゃない。現に幸村くん、今までに何人も彼女できたでしょ」
「オレ、彼女いたことないよ」
「は?」

 幸村ははっきりと否定して、足下に咲いているパンジーの花殻を何気なく摘み始めた。その手つきはいやに丁寧に見えた。
 もう美化委員ではないのに学校の花の手入れをするなんてマメな性格で……じゃなくって、なんだって?

「あの、今なんて? 彼女いたことない? 嘘でしょ」
「本当だよ。なにか聞いたのかい」
「噂っていうか……、幸村くんとつきあい始めたって言ってる子、いたし」

 私は困惑して、幸村の手に収まっていく枯れた花の残骸を見つめた。当の幸村はまるで天気の話でもするかのようにのんきな返事をする。

「ああ、それは勘違いされただけ。あれは失敗だったなあ」
「どういうこと?」
「誘われるから予定がない日に一緒に遊びに行ったりはしたんだ」
「……今まで何人か、あの子幸村くんの彼女らしいよって話を聞いたんだけど、もしかして」
「うん、全員遊びに行っただけ。このところはキミと会ってるから女子と遊びに行ってないけど」

 幸村の淡泊な、いや淡泊を通り越して冷淡にも聞こえる物言いに不穏なものを感じて、私は唾を飲み込んだ。悪びれずに笑っている彼に得体の知れない嫌な予感がする。

「一回一緒に遊んだだけで勘違いされちゃったってこと?」
「いや。何回も遊びに行った。相手がオレのこと好きなのは知ってたけど、オレから誘うことはないし、用事があればそっちを優先してたし。だから誤解されるとは思ってなかった」
「……幸村くんはその子たちのこと、好きじゃなかったってこと?」
「うん。もちろん嫌いだったわけじゃないよ」

 ならなんだって言うんだ。幸村に対して芽生えた不穏な感情が、少しずつ大きくなる。その黒々としたものは目をつぶれないほど急速に膨張してきていた。自分を好いてくれる相手で、けれども自分が好きになる予定もない相手と、遊びに行って、それで。
 私は顔を伏せ気味にしてココア缶を握りしめた。

「じゃあなんで遊びに行ったりしたの?」
「友人とだって遊びに行くし喫茶店に入ったりもするだろ」
「……でも、異性だよね?」
「キミだって異性じゃないか」

 幸村がいつも口元に浮かべている柔らかい笑みが薄情な嘲笑に思えて、私は黙りこくった。話しながら三株分の花殻を積み終えた幸村は、それをベンチの後ろに適当に放り投げた。萎れて色あせたパンジーの紫や黄色が打ちひしがれたように地面に散らばっているのが見える。
 冷静に、冷静に。私はこみ上げてくる嫌悪感を押さえるように、できるだけ低くてゆっくりした声で訪ねた。

「その子たちに悪いとは思わなかったの?」
「確かに彼女にするつもりはなかったけど、彼女たちは希望通りオレと出かけられたんだから。オレも暇な時に女の子と遊べたわけだし。お互いに得だろ」

 なんて傲慢な言いぐさをするんだ、この人は。相手がどうなるかも考えなかったのか、それともわかっててわざともて遊ぶようなことをしたのか。幸村と付き合い始めたと言っていた子が、後でふられたと泣いているのを見たことがある。人の涙をなんだと思っているのか。相手が自分を好きだとわかっていたくせに、友人としてだからなんて言い訳して中途半端に優しくして。結局、幸村が好き勝手しただけじゃないか。もう、ダメだ。
 私はカッとなって、立ち上がって叫んだ。

「さいってい! その気がないのに期待させるなんて、どんだけ残酷なのよ! 私はいいよ、だって別に幸村のこと好きじゃないもん。でもそうじゃない子が、優しくされて、それで期待しないわけないでしょ!? そんなことされるなら最初から冷たくされた方がましだよ! 相手の気持ちを知ってたくせに友達だなんて、そんなの言い訳じゃん!」
「ねえ、それ」
「ほんとなんなの? 相手がどんな気持ちになるか考えなかったわけ? それが相手に対する優しさとでも思ってたわけ? はっ、そんな人、あの優しい佳奈が好きになるとでも思ってるの? いくらあんたが佳奈のこと好きでも佳奈は、佳奈は……、絶対あんたみたいな男のこと好きになったりなんかしない! 私だって、もう、そんな人には協力しない!」

 一気に言い切って、幸村を睨みつける。なんてバカバカしい。同情なんてするんじゃなかった。同情すべきはこの男にもてあそばれた女の子だ。こんな人の役に立とうと少しでも時間を割いた自分が、あまつさえ最近は幸村と話すのも悪くないかと思っていた自分が、今は腹立たしくて仕方がない。
 私を見上げる幸村は最初焦ったような顔をしていたが、最後まで私の話を聞くとぽかんとあっけにとられたような表情になった。彼は間抜けな顔のままなにも言わない。それがまた腹立たしい。

「なんか言ったらどうなのよ。ああ、それとも図星すぎて言うことがないの!?」

 怒気も荒く言い放つと、幸村の顔がぐしゃりと歪んだ。そして次の瞬間、幸村は大きく口を開けてゲラゲラと笑い出した。

「……ふふっ、あははは! ああ、待って、ははは、だから、ははっ」

 幸村はモナ・リザとは正反対の顔をしてひたすら爆笑している。今度は私があっけにとられる番だった。おかしなことを言った覚えはない。けれど、目に涙を浮かべて笑い転げる幸村を見ているうちにだんだんと再び怒りが沸いてきた。

「なにがおかしいって言うの。バカにしてるわけ?」
「ふふっ、待ってってば。だから緊張してたのか」
「はあ?」
「最初のころのキミがさ。渋谷さんのこと話すたびに緊張して、慎重に言葉を選んでるなって」
「……確かにそうだけど、だからなに」
「オレ、渋谷さんのこと好きなわけじゃないよ」
「え。……は?」

 幸村は涙を拭うと、笑いをこらえるような顔で自分の隣をぽんぽんと叩いて「まあ、座りなよ」と言った。

「あーあ、なるほどな。成田がキミのこと、ぱっと見表情が乏しいけど実は感情豊かだって言ってたけど全くその通りだったよ。もっと大人しそうに見えたんだけどな。やっぱり人はよく話してみるまでわからないもんだね」
「え、え……え」

 まともな声が出てこない。幸村はまだクスクス笑っている。なんかキャラ変わってないか、この人。いやそれよりも、あの、なんだって? 私が大人しそうに見えてた? いやそれもどうでもいい、幸村は佳奈のことが好きなわけじゃない? 嘘だ、じゃあなんだって? あれ、成田くん。成田くんってあの成田くん?

「成田くんと知り合いなの!?」
「ああ、それも知らなかったんだ。小学校から一緒で仲がいいんだ。渋谷さんとあいつが付き合ってることも知ってる」
「早く言ってよ……」

 私は絶句して、それからぐったりと脱力した。膝から力が抜けて土の上に座り込んでしまう。地面の冷たさが靴下から覗く脚に伝わってくるけれども立ち上がる気にはなれなかった。今まで私の中で渦巻いていた同情と葛藤は一体なんだったんだ。ただの勘違いだったってことじゃないか。なにこれ。なにこの結末。そんなのってないよ。
 幸村の「冷えるからこっちおいでよ」という笑いを含んだ声に促されて、私はのろのろと再びベンチに腰を下ろした。幸村の視線を感じるけれど気まずくてそちらを見ることができない。

「それがキミの素なんだな。そういえば渋谷さんと話してるときのキミは割といろんな顔をしていたね」
「……幸村だって初めて笑ったじゃない」
「オレはいつも笑顔だよ」
「笑ってるけど笑ってないじゃん」
「笑ってるって。確かに素ではないけどさ」

 幸村は再び優しい微笑みを浮かべてみせたが、次の瞬間にはまた大笑いし始めた。私はこっ恥ずかしさと不満でいっぱいになってそっぽを向いた。

「笑いすぎ。っけ、神の子が振られてざまあみろと思ってたのに」
「ふふ。悪かったよ、ちゃんと言わなくて。当然わかるだろうと思ってた」
「それに意味わかんない。好きじゃないならなんで佳奈のこと聞くの」
「言った通り不思議だからだよ。なぜ成田が渋谷さんに惹かれるのかが」

 その「成田が」を省略しないでほしかった。私は気を取り直そうとしてのろのろと最後のココアをあおった。缶の底に残った濃い茶色は舌を甘ったるくする。だから幸村は妙に淡泊に見えたのか。淡泊なのは当たり前だ、彼は恋なんてしてなかったんだから。
 幸村に対して抱いていた疑念のいくつかは解けたけれど、でも幸村の行動すべてにはまだ納得がいかない。

「それって、これだけ時間をかけて私に聞くほど重要なことなの?」
「うん。成田はオレほどじゃないけどモテるやつでさ、今までにも可愛い子に言い寄られたりしてたんだ。でもあいつは変わってて嫌だというばかりでね。一回くらいその子たちと遊んでみればってオレは言ったんだけど」
「そんな成田くんがなんで佳奈のことは好きになったんだろう、って不思議に思ったってこと?」
「そうそう。渋谷さんを好きになってからのあいつの変わりようには驚いたよ。どこが好きなのか聞いても可愛いとか癒されるとかそのへんの男と似たようなことしか言わなくなっちゃってさ。硬派なやつだったのに。最初は渋谷さんに騙されてるんじゃないかとさえ思った」

 風が吹いたのか、温室のガラスに桜の枝が当たってぱっと花びらが散る。どこからか入り込んだ薄紅色の欠片が私たちの足下も少しずつ春らしく染めていく。

「あの成田がわかりやすく人気がある女の子と付き合いはじめたのがあまりに意外でね。渋谷さんは確かに可愛いけどそんなに魅力的には思えなかったし」
「失礼な。佳奈は見た目と同じくらい中身も魅力的だから」
「ふふ、そうらしいね。オレにはよくわからなかったけど」
「これだけ話してもまだわからない?」
「うん。いい子だっていうのはわかったけどね」
「本当の意味で佳奈の魅力を理解してしまったら、幸村くんは成田くんと恋のライバルになっちゃうんじゃないの」
「……そうかもね」

 桜吹雪を背景に笑いを収めて目を伏せた幸村は、モナ・リザの微笑みを浮かべていたときよりもずっと綺麗に見えた。

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