淡泊なる情熱 | ナノ
2
「今日はホットレモンティーにしてみたんだ。どうぞ」
「ありがと」
幸村は温室のベンチに座りがてらいつものように私にペットボトルを差し出した。私もいつものように素直に受け取って、それに口を付ける。最初は申し訳なく思ったけれど相談に乗っているんだからこれくらいの役得があってもいいはずだ。私はレモンティーで冷えた手を暖めながら温室の外へ目をやった。そろそろ梅は満開で早咲きの桜はほころび始めている。
初日も含め、幸村の相談は今日で四回目になった。佳奈の話だけでそんなに質問することがあるのかと最初は疑問に思っていたが、実際、幸村からの質問は尽きる様子がなかった。それだけ佳奈への思いが深いということなのだろう。対する私も佳奈とは濃い時間をともに過ごしてきたから、彼女のプライベートに関することを除いても幸村に話せることはたくさんあった。
そして今日の幸村は「佳奈の好きなタイプ」について鋭く質問を繰り出してきた。
「ふうん、落ち着いた人、ねえ。だいぶタイプが違うな」
「あれ、幸村くん、落ち着いてるって言われない?」
「言われる」
「……。予想と違った?」
「いや。渋谷さんはチャラチャラした奴は好きじゃなさそうだし」
ならばタイプが違うとはなにが違うというのだろう。私は混乱して隣の幸村を見上げたが、彼は相変わらずガラス越しに揺れている木の枝々を見ながらにこにこしているだけだ。幸村は熱心な質問の合間にときどき奇妙な反応を見せた。マイペースを通り越して実は不思議ちゃんなのではないかとさえ思えるくらいだ。
私は意味を理解することをあきらめて、そのまま会話を続けた。
「幸村くんは佳奈みたいな子がタイプなの?」
「さあ、どうだろう」
「え」
「なんで驚くんだい」
「だって」
私は再び困惑して幸村を見たが、彼は相変わらずちらりともこちらを見ない。当然、佳奈がタイプだとはっきり言うと思ったのに幸村はやけに曖昧だ。今更私に恋心を隠すことなどないだろうに。
「じゃあどういう子が?」
「わからない。あまり考えたことがないかな」
「好きになった人がタイプってやつ?」
「うん、たぶん」
私は押し黙った。噂で聞いた限りでは幸村は今までに少なくとも五人は彼女がいたはずだ。佳奈についてあれこれ聞いてくる割に、幸村は自分についてはずいぶん無知であるように思えた。
「キミは誰かに恋したことある?」
「えっ、私? ……うーん、軽いものなら」
「軽い、って?」
「前に憧れてた先輩はいたんだけど、卒業しちゃってそれっきり」
「寝ても覚めてもという感じではなかったと」
「うん」
口の中のホットレモンティーがやけにぬるく甘ったるく感じた。幸村はときどき、こうして私のことも質問してくる。好きな女の子の親友と仲良くなりたいと思っているからなのか単なる好奇心なのかは不明だが、いずれにせよおかげで幸村とはかなり打ち解けてきた。
「恋愛感情ってなんなんだろうな。どうしてその相手に惹かれてしまうのか、魅力ってなんなのか、いっつも不思議でさ」
「それはまた……哲学的な」
「そう思ったことない? キミは友人として渋谷さんの魅力を知ってるだろ。だからキミと話せばどうして渋谷さんに惹かれたのかがわかるんじゃないかと思ったんだよね」
幸村の声にいっそう熱がこもったような気がした。
なんと返事をしたらいいかわからなくて黙っていると、幸村は「呆れた?」とゆるい笑みを浮かべた。彼は足下のテニスバッグに付いていた一枚の桜の花びらを指でつまみ上げると、それを光に透かすように空にかざした。
「ずっと考えてたんだ。いったい彼女のどこに惹かれるんだろうって。でも考えれば考えるほどわからなくなる」
「佳奈は可愛いし優しいし……あれだけ人を気遣える子はなかなかいないと思うけど。佳奈の性格の話、前にしなかったっけ?」
「ああ、聞いた」
「それでもまた納得できないの?」
「うん。だってさ、見た目が可愛くても、性格が優しくても、あるいは気遣いができても、だからと言って相手に惹かれるとは限らないだろ?」
「まあ、そうね」
「キミはその先輩のどこが好きだったんだ?」
「スポーツが得意で、優しいところかな」
幸村は「ほらね」と言って、花びらをぽいっと放り投げた。
「スポーツが得意で優しい人が好きだというならジャッカルや丸井でもいいだろ。でもキミはジャッカルでも丸井でもなくその先輩のことを好きになった。不思議じゃないか?」
「私が好きになったのはスポーツが得意で優しいからという理由だけじゃない、ってこと?」
「そういうこと。こっちの話でも同じでさ、なぜ渋谷さんに惹かれるのか本当の理由を知りたいんだよね。今までに渋谷さんのことが好きだっていう他のやつとも話をしてみたんだけど」
「ええ、そんなことまでしたの!?」
思わず頓狂な声が出る。恋のライバルとまで佳奈の話をするなんて。私だったら怖いしライバル心でそんなこととてもできない。自分の方が優れているという自信があるからなのか、それともライバルと握手してまで戦略的に佳奈の情報を集めるつもりだったのか、いずれにせよ幸村恐るべしだ。
「そんなにおかしいかい? ……でも結局わからなかったんだ。みんな可愛いからとか癒されるとかありきたりな理由をあげるばっかりでさ。だけど親友のキミならもっと別の視点から彼女を見てるだろう、と思ってね」
「なるほど、どおりで」
心の奥底に押し込めていた罪悪感がちくりと疼いた。こんな彼でもこの恋には確実に破れる。どれだけ自信があっても、どれほど戦略を練っても。成田くんと幸村を比べれば幸村の方が圧倒的に人気だけれど、佳奈が成田くんと別れて幸村の方を好きになる可能性は、たぶんない。
幸村は私に恋心をはっきり打ち明けたりなにかアドバイスや助力を求めたりはしなかった。ただ佳奈の話を聞きたがっただけだ。私はこっそり横目で幸村をうかがった。いつも通りにこにこと花を見上げている彼の、情報を集めて虎視眈々と佳奈を狙う静かな決意に、その情熱に、また、心が痛む。
聞くべきでないかもしれないけれど聞いておきたい。私は恐る恐る尋ねた。
「……告白。しないの?」
「なんで?」
幸村は驚いたようにこちらを見た。一方の私も喫驚して言葉を失った。「なんで」って。これだけ佳奈に惹かれているというのに、なぜ告白しようともしないのだろう。告白したところでふられることは目に見えているから、私としてはこっちの方が好都合だけれども不可解だ。
私たちはぽかんとお互いを見つめ合っていたが、しばらくして幸村は思い出したかのように付け加えた。
「忘れてた。最近オレがキミの放課後をもらっちゃってるけど、渋谷さんと遊びに行くというならそっちを優先してくれ。邪魔するつもりはないから」
「うん、ありがとう」
自分よりも佳奈を大事にするという幸村の態度が、私の心の中にある罪悪感をありありと浮かび上がらせる。こんなに佳奈を大事に思っているのに、幸村くんは。
──私はあいてるよ、幸村くん。佳奈は放課後に成田くんとデートしてるから。
私はやるせない気分になって小さくため息をついた。ちらりと隣を見たけれど、いつも通り視線はあわない。幸村の情熱と不思議な淡泊さが、私の気持ちを重くする。
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