今日は朝から夜だった | ナノ
黒い白馬、またの名は

沈黙の間にも一生懸命答えを考えたけど答えはなかなかまとまらない。しばらくの静寂の後、彼はふと笑って謎掛けのようなことを呟いた。

「私は貴方、貴方は私」
「え……」
「まとまらなくてもいいんです、そのまま言ってみて下さい」

どういう意味だろう。苗字が同じだからってことなのかな。
湯川先輩の言葉は全く意味不明だったけれど、私はその優しい声色に促されてぽつりぽつりと思ったままを吐き出した。

「最初は、怖かったんです。髪白くしてるし長いし、目つきがきつくて冷たそうだし。だから、こんな私に水掛けたことなんてすぐ忘れちゃっうだろうって思ってたんです。後で詫びをするって言われたけど、どうせそんなことないだろうなって。だけど、本当に私のこと探しに来たのを見てしまって。そう思ったら嘘付いちゃったことが申し訳なくて、顔を会わせられなくなって」

運動部の男子は乱暴で、私みたいに本ばっかり読んでる大人しい人種をバカにしたり軽んじるものだと思っていた。迫害してくることはなくても目を向けることもないのだろうと。一種の被害妄想だと分かっていたけれどそういう思いはずっと持っていた。でも、それなのに、彼は、一瞬のこととはいえど、きちんと私に目を向けてくれたのだ。

「本当のことを言ったら仁王先輩の名前を勝手にかたったみたいだし、そもそも訂正の機会もなくて。だから仁王先輩に顔を合わせないように逃げてたんです」
「よく逃げられましたね。彼はよく1年生のところへ行っていたのではないですか」
「はい。でも仁王先輩が来ると女の子がきゃあきゃあ言うから、すぐわかるんです」
「ああ、だから」
「それからしばらくして湯川先輩に声をかけてもらって。それで、湯川先輩と仁王先輩が普段一緒にいることを知りました。それで、なんとなく仁王先輩のことを見るようになって、気が付いたんです」

スイングするたび白馬のしっぽみたいにふわふわと揺れていた後ろ髪を思い出す。最初はただ不良の象徴みたいにしか思わなかったそれも、今では光をいっぱいに受けて綺麗に光るのだと気が付いた。勝ち気そうにつり上がる唇も、残念そうにへの字に曲げられることがあった。猫みたいに伸びをしていることもあったし、いたずらっこのような素直な顔で笑っている時もあった。
ただ怖いと思っていた前とは違う。今でも彼と対峙したら萎縮してしまって上手く話はできないだろうけれど、でも今は彼が普通の先輩だということを知っている。

「湯川先輩、仁王先輩に言わないで下さいます?」
「ええ、もちろん、私の口からは言いませんよ」
「仁王先輩、テニスしてるときの顔と私が見たときの顔はぜんぜん違って。友達と話しているときの顔もまた違って。真剣だったり、ニヤニヤしてたり、優しい顔してたり。だから、仁王先輩が怖いっていうのは私の勘違いだったのかもなあって思うんです。未だにちょっと怖いですけれど、本当はすごく優しいのかなあって。髪の色も最初は不良の象徴に見えてたんですけど、白馬のしっぽみたいで綺麗だなあって、素敵な先輩だなあって思って。いいなあ、って」

どう表現したらいいのだろう、この気持ちは。
ここのところ仁王先輩を見る時間は前よりも増えた。湯川先輩と一緒にいて目に留まってしまうからだと思っていたけれど、理由はそれだけじゃない。あの端正な真っ白になぜか引きつけられて、自然と目で追うようになっていた。そして、仁王先輩が周りの男子と話すのを見るたびに、派手な見た目でも彼は普通の男子中学生なのだと実感し、仁王先輩が女子と話すのを見るたびに羨ましく思ったのだ。私も、あんな風だったら良かったのに、と。
仁王先輩みたいに自由に生きられたら良かったのに。
仁王先輩にも臆せず話せる女の子だったら良かったのに。
あんな風に、人前でも優しく話してもらえる女の子だったら良かったのに。
でも、現実はこの通りだ。こうやって話を聞いてくれる湯川先輩だって普段は私に挨拶さえしない。その程度なのだ。だからこそまぶしく見えた。憧憬。

「プリッ」
「え?」

突然、湯川先輩の方から変な音がした。
それに釣られて思わず顔をあげた私は、あっけに取られた。

「よお、『仁王』葵」

目の前で笑っていたのは、眼鏡をかけた仁王雅治だった。
彼はいつものようにポケットに両手を入れて、少し背を曲げて立っている。ニヤリと笑った彼は左手には茶色のかつらを持っており、空いた右手でゆっくりと眼鏡をはずしてポケットに入れた。
湯川先輩、じゃない。なんで、どうして、どうなってるの。私は茫然とするしかなかった。彼はニヤニヤと笑いながら何かを言っているが、驚きすぎて頭がついていかない。

「よう振り回してくれたな。しかも計算でなく口下手ゆえの天然だったとは。その気弱そうな顔をひっぺがしてやろうと思うたのに、全くとんだ結論もあったもんじゃ」

私は引っこ抜かれたマンドラゴラみたいに絶叫した。
目の前の仁王先輩はぎょっとしたような顔をしていた気がする。だがそんなことを気にとめる余裕もなく、周囲の目を気にする余裕もなく、私は全速力で書庫から逃げ出した。


***


図書室から飛び出しでがむしゃらに走っていた私だったが、委員会室が並ぶ廊下のそばでようやく足を緩めた。怖い先輩もいるという風紀委員の部屋の横を走り抜ける勇気はない。心臓が激しく鳴り、呼吸は苦しかった。私は廊下の端っこで立ち止まって、胸に手を当てて深呼吸をした。
どうなってるのかが全く理解できなかった。ずっと湯川先輩と話をしていたのに、なんで突然仁王先輩になったのか。途中で湯川先輩と仁王先輩が入れ替わったってことだろうか?でも、なんで。湯川先輩が仁王先輩と共謀して、私の反応を見て笑ってたとか?……いくらなんでも湯川先輩はそんなことしないだろう。そういえば、仁王先輩は眼鏡をかけてカツラを持っていた、ということは、書庫が薄暗いのを利用して湯川先輩のふりをしていた?でも、仁王先輩と湯川先輩じゃ声が違う。いくら書庫の中でも仁王先輩の声だったら気が付くはずだ。
どういうこと?
自問自答していると、風紀委員室の扉ががちゃっと開いた。中から出てきたのは、あろうことか、さっき見ていたはずの湯川先輩だった。普段だったら書庫の外では冷たい湯川先輩には声をかけないのだが、このときばかりは混乱と焦りが私をつき動かした。

「あの!」
「はい?なんでしょう」

振り向いてこちらを見た彼は、他人行儀だったが優しい目をしていた。私は仁王先輩のことを聞こうと口を開いた。しかし湯川先輩の目を見たとたん、喉まで出かけていた言葉は口の中で消えていった。私は言葉を飲み込んだまままじまじと湯川先輩のことを見つめる。
なんか違う。口元にも鼻筋にも眉にも髪質にも違和感を覚える。今までは湯川先輩のことを書庫で見ていたから、という理由で納得するには違和感が多すぎる。
湯川先輩に似てるけど、私が知ってる湯川先輩じゃない。他人行儀ゆえの冷たさは感じるけれど、目の前の湯川先輩は私が知ってる湯川先輩よりも生真面目そうな雰囲気がある。

「すみません、人違いでした」
「そうですか、では失礼しますね」

彼は少し微笑んで眼鏡のつるを右手で押し上げ、きびきびと歩いて行った。
私はさらに混乱した。あの反応、いくらなんでも書庫で私が会っていた湯川先輩のそれとは思えない。他人行儀にもほどがあるし、知らない人に接しているような物言いだった。
まさか、湯川先輩っていうのは双子なんだろうか。それで仁王先輩と一緒にいたのはさっきの湯川先輩で、冷たく見えたのはそもそも彼は私のことを知らずに他人行儀だったせいであって、書庫で私が会っていた湯川先輩とは別人なんだろうか。
どういうことなのかさっぱり分からない。私は仕方なくとぼとぼと歩いて教室へ向かった。授業が終わってからだいぶ経つから誰もいないだろうと思っていたのに、教室ではタイミング良く友人が日直の仕事をしていた。粉だらけになった黒板消しを手にしていた彼女は、私を見て驚いた。

「あれ、葵じゃん、どーしたのよ」
「うん、ちょっと、ペンケース忘れちゃって」
「そっか。なんだか元気ない?なんかあった?」

彼女はクリーナーで黒板消しを綺麗にしている。私は落ち着かなくて、自分の席に座り込むと意気込んで友人に話しかけた。

「テニス部の見学にはいかないの?」
「今日は男テニの練習休みなのよ。日直もあるし」
「ねえ、湯川先輩って双子なの?」
「湯川先輩?誰それ」
「え、仁王先輩といつも一緒にいる人だよ。テニス部の」
「茶髪の坊ちゃん刈りに眼鏡の優等生っぽい人?」
「うん」
「それ柳生先輩だから。前言ったじゃん、どう聞き間違えたら湯川になるの」

私は息をのんだ。机の上に置いた鞄を肘で強く押してしまう。
そんなばかな。だって、湯川って名乗ってたし実際私は彼を湯川先輩って呼んでた。彼は否定も訂正もしなかった。

「え。あの仁王先輩と同じくらいの身長の人だよ?さっき風紀委員室から出てきたんだけど」
「風紀委員だね、確かに。柳生先輩も紳士だって人気なのよ。ほんとかっこいいよねー私のタイプじゃないけど、でもかっこいい。柳生先輩は双子じゃないはずだけど、なに、そっくりさんでも見たの?」
「その柳生先輩さ、仁王先輩と声似てたっけ?」
「全然。あ、でも仁王先輩が柳生先輩をからかって、柳生先輩の声とか口調とか真似してることあってさ、それがまたそっくりなんだ」

双子ではないらしい。ということは、さっきの湯川先輩と私が話していた湯川先輩は別人である可能性が高くて、しかも仁王先輩が柳生先輩の声真似をすることができるらしい。
血の気が引いていくのが分かった。仁王先輩、普段はかけてないはずの眼鏡かけてた。焦げ茶色のカツラ、持ってた。
もしかして、もしかして。最後に湯川先輩と仁王先輩がしゅっと入れ替わったんじゃなくて、最初から。

「ちょっと、葵。顔青いよ?大丈夫なの」

自分を心配してくれる友人の声は左から右へと頭の中を抜けていく。


(20131209)

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