今日は朝から夜だった | ナノ
冷たい目をした優等生

俺はきまりが悪くなったが、なぜか当の柳生はもっときまりが悪そうだった。柳生がなぜそのような顔をするのか分からなかったが、ともかく、俺は謝った。

「すまん」
「構いません、しかし」
「迷惑はかけんようにする」

それは気にしていません、と柳生は俺を肯定したが、いまいち煮え切らない様子が見て取れた。柳生に迷惑を掛けないためにも、もう少し手を加えるか。俺は飲み終えたドリンクを置いてひと呼吸をし、地べたに置いていたラケットを拾った。
少しだけ。顔を暴くまでの、少しの間だけだ。


***


それから私は湯川先輩とときどき書庫で話をするようになった。と、いっても話をしているのは主に私の方だ。湯川先輩はとても聞き上手で、彼に質問をしてもいつの間にか私ばかりが話をしている。彼は楽しそうに話を聞いてくれるから、話し下手な私でもつい嬉しくて話をしてしまう。好きな本のこと、部活のこと、クラスのこと。
そんなわけで私は湯川先輩のことはほとんど知らないままだった。優しくて、おもしろくて、わからない人。
私と湯川先輩はたまたま書庫で出会ったら話すというくらいの間柄だ。だからわざわざ彼のことを探ろうとはしなかった。そんなこと、私がしていいことでもない。
だから、ある日テニスラケットを持った湯川先輩を見なければ、そしてその日ちょうど友達に誘わなければそれ以上彼のことを知ることはなかったと思う。

「葵が来てくれるなんてね。前は誘ってもあっさり断ったから来ないと思った」
「そ、そう?男テニ強いって聞いたから見てみたくなって」

頻繁にテニス部を見学しにいってははしゃいでいるこの友人は、私のしどろもどろな言い訳にもさして疑問を持たなかったらしく、スキップしながら私の前を歩いている。

「そっか。って、何で急にマスク?」
「風邪ぎみだし寒いから」
「ったく、おなか出して寝てたんじゃないの」

風邪は引いていないし寒くもないが、マスクは顔隠しのつもりだ。大人用の大きいのだから目の下からあごまですっぽり顔を隠すことができる。仁王先輩がいるであろう男テニのコートに行くのだからこれくらいはしておきたい。本当はコートに行くことでさえも気が引けたがあの残念な出来事はもう2週間も前のことだ。それに、それ以上に湯川先輩が書庫以外ではどんな顔を見せるのかが気になった。
コートに付いてみると、私たちと同じようにテニス部を見学している女の子や他校の生徒がちらほら目に入った。これならあんまり目立たなくてすむな、と私はほっとする。さっそく仁王先輩を探し始めた友人の隣で私も湯川先輩を探し始める。コートは広くなかなか見つけることができなかったが、はしゃぎ始めた友人の指先を見て私は仰天した。

「ほら、見て!仁王先輩!ちょーかっこいい!」
「ええっ!えっ、え、あの隣の」

仁王先輩の隣に湯川先輩がいる。なんか一緒にテニスしてる。しかもそれだけじゃなくてなんだか仲良さそうだ。私が目を白黒させていると、友達がにこにこととんちんかんな説明をしてくれた。

「仁王先輩は柳生先輩とダブルス組んでるんだよ」
「へ、へえ」

私が聞きたいのはそのダブルス相手の柳生先輩のことではなく、今仁王先輩が一緒にいる湯川先輩のことなんだが、とつっこみたかったが時既に遅し。彼女は嬉しそうに仁王のことを語り始め、私は仕方なくそれを聞きながら目で二人のことを追った。
今日は柳生先輩はお休みなのだろうか、仁王先輩は湯川先輩とダブルスを組んでいるようだった。しかも息がぴったりで、ときどき二人で声を掛け合っている様子を見ても仲がよさそうだ。あの優等生な湯川先輩と、授業さぼってそうな仁王先輩が?性格が合うならすごく意外だ。むしろお互い避けていそうにも見えるのに。湯川先輩に気に入られるなんて一体何者なんだ、仁王雅治。

「ねえ。あの二人、なんで仲良さそうなんだろ?仁王先輩って不真面目そうなのに」
「そんなことないよ!テニスに関しては超真面目、っていうか真面目な人じゃないと男テニではやってけないってば」
「と、いいますと?」
「うちの男テニは練習がめっちゃ厳しいから、生半可な気持ちで入った人は入部して1ヶ月ももたないんだって」

私は遠くでテニスをしている仁王先輩を眺めた。仁王先輩はいつも飄々としているか薄ら笑いを浮かべているイメージだったが、今は全くそうではなく凛々しい表情をしていた。唇はぎゅっと結ばれ、真剣そのものの鋭い目は獲物を狙う獣のようにボールを見据えている。素早く動く腕や足にはくっきりと筋が浮き、不摂生だとか不健康といった言葉からはほど遠い体をしている。信じられないほどのスピードで動き、練習中だなんて嘘みたいな緊迫感だ。

「すごい……」
「でしょでしょ?」

友達は興奮したように話し続けるが、私はあまり彼女の声が耳に入らなかった。湯川先輩は真面目そうだったから想定通りだったけれど、仁王先輩はあまりにも意外だった。むしろ、私が彼に抱いていたイメージの方が間違っていたのかもしれない。仁王先輩からは、「努力」という言葉について回る泥臭さみたいなものが感じられない。ストイックそうにも見えなくて、むしろ快楽主義者っぽいと思っていた。でも本当はそう装っているだけで、中は180度違うのかもしれない。あの湯川先輩と仲がいいくらいだもの。

「あ」
「あっ仁王先輩がこっち見た!キャー!」

友達と周りの女の子がきゃあきゃあ騒ぎ出す。私はドキッとして顔を伏せた。仁王先輩と目があった気がした。そんなはずはないのに。


***


湯川先輩はいつも仁王先輩と一緒にいるようだった。ときどき購買や廊下で遠目に湯川先輩を発見することがあったが、その時はよく仁王先輩も一緒にいて、近づくことができなかった。仁王先輩は一匹狼タイプだと思っていたけれど、これも間違いだったようだ。
仁王先輩と湯川先輩がいつも一緒だと気が付いてから、私は避けていた仁王先輩のことを自然と目に入れるようになった。彼は思っていたよりも人当たりが柔らかかった。他人に対してあまり傲慢な態度は取らなかったし乱暴でもない。もちろん人をからかったりはしているが嫌みを言うこともない。知り合いには案外気さくに挨拶もしている。友達は仁王を真面目だと言っていたがその通りなのかもしれなかった。外見よりも中身の方がまともに見える。
……その点、湯川先輩は意外と冷たかった。たまたま一人だった彼と廊下ですれ違っても他人行儀で通り過ぎていく。書庫で見る優しい彼とは別人みたいだ。書庫の中ではいつも変わらず優しいのに書庫の外では知らんぷりだ。態度だけではなく、見た目さえも書庫の中と外では微妙に違うように見えた。
湯川先輩の冷たい態度は仕方がないことだった。私みたいな女と知り合いだなんて思われたくないのかもしれないし、そもそも向こうが気まぐれで話につきあってくれているようなものだ。知り合いとすら意識していないのかもしれない。
初めて湯川先輩と会って、話をして、本を返してくれて、私が落とした生徒手帳を拾ってくれたりなんかして。

私はいつもの席へ向けて書庫の棚の間を歩きながら、思わずため息をついた。仕方ない。仕方ないことだけれど、寂しい。結局それだけなのだ。仕方ないことだ、知り合って間もないし、彼は楽しそうに話を聞いてくれていたけれど後輩を傷つけないように合わせてくれていただけなのかもしれない。彼はきっとこれからも書庫の中では私に対して優しいだろう、でもあまり関わらない方がいいかもしれない。
いつの間にか、足取りが止まっていた。次の角を曲がれば特等席が見える。私はいつもそこに座って本を読んで、そこへときどき湯川先輩が来た。もし私がここへ来るのをやめて、図書室では本を貸し借りするだけにすればもう湯川先輩と会うこともないだろう。それが、いいのかもしれない。
楽しかったけれど、迷惑は掛けたくない。傷は浅いうちに塞いでしまえ。今日が最後だ。今日が最後にしよう、そう決めて棚の角を曲がると、特等席のそばに誰かが立っていた。今日は曇りのせいで採光窓からも光があまり入ってこず、デスクライトも付いていないせいで、薄暗い書庫が一層薄暗い。その人のシルエットがぼんやり見えるだけだ。

仁王雅治?

私は息をのんで後退った。なんでここに。彼は私の存在に気が付いたのか、ゆっくりと振り返った。
だがこちらを向いた彼は、湯川先輩だった。

「湯川さん?どうかしましたか」
「いえ、何でも……一瞬仁王先輩みたいに見えまして」

小声でぼそぼそと言うと、彼は眉を跳ね上げた。

「すみません」
「いえ。湯川さんは仁王くんとお知り合いなのですか?」
「いいえ。でも先輩、よく仁王先輩と一緒にいますよね」
「おや、ご存じでしたか。私は仁王くんと一緒にいるときは貴方を見かけたことはないように思うのですが」
「あ」

そりゃそうだ、仁王先輩の姿がちらっと見えたら逃げているからだ。ガラス越しに見えるときは逃げずに眺めていたありするが、近づいてきそうなものなら即逃亡している。
私が言葉に詰まって相変わらず曖昧な態度を取っていると、彼はふと微笑んだ。

「湯川さん、もしかして仁王くんを避けているのですか?」
「えっ、いや、そんなことは」
「さきほど私を仁王くんと見間違えて驚いていましたしね。図星ですね?」
「……はい」

眼鏡を薄闇に光らせた湯川先輩は鋭かった。私はがっくりとうなだれて、水を掛けられたことから始まる一連の出来事を簡単に打ち明けた。
彼はあごに手を当てて考える仕草をした。

「なるほど。それで、なぜ湯川さんは『仁王』と名乗ったのですか」
「言い間違えたんです」
「は?」

私は恥ずかしさのあまり顔が上げられなくなった。今の湯川先輩は絶対に呆気にとられている。こんな間抜けな話なのだ、当然だろう。

「その、名前を思い出しながら『仁王先輩』って言おうとしたんですけど、先輩、って言う前に、それが私の苗字だと勘違いされてしまって」
「なぜ、訂正しなかったのですか?」
「怖かったんです」
「は?」
「仁王先輩、なんか、怖くて」

彼は黙った。私はちょっとだけ顔をあげて彼の様子をうかがったが、逆光になっていて表情はわからない。友人を怖いと言われて気分を害したのだろうか。どうしよう、と狼狽えていると、湯川先輩はたっぷりの沈黙の後、柔らかい口調で問うた。

「今は、どう思っているのですか?」


(20131207)

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