君は名探偵! | ナノ

額がじんじんと痛む。仁王は薄く目をあけて唸った。緩慢に体を動かすと手が柔らかい毛布のようなものに触れる。それを押し退けて無理やり腕を頭に近づける。痛みを確かめようと額に手をやると彼の指先は布地に触れた。包帯、だろうか。仁王はぼやけた頭で考える。
頭を打ったんか。何があったかよく思い出せん。布団にくるまっているということは帰宅したのだろうが、家にどうやって帰ったのか記憶がない。額だけでなく自分の背中も軋むようだし、おまけに何やら薬品臭い。……薬品臭い?
仁王雅治はぎょっとして上半身を起こし辺りを見回す。粗末な自分の家とは全く違う、上等な家具やカーテンの置かれた部屋。もくもくと漂ってくる緑色の煙。煙を目で辿ると、その先には机に向かい合ってガラスの器を傾け何やら薬品らしき液体を混ぜ合わせている柳生がいた。

「おや仁王くん、気がつきましたか」
「プリ!」

柳生の顔を見て仁王は全てを思い出した。伯爵家に潜入してメイドに化けたこと、犯人を手引きして屋敷に入れたこと、正体が柳生にバレて強烈なテニスボールを喰らったこと。
柳生は窓を開けて換気をするとまだ怪しげな煙を出しているガラス容器を机に置いた。そしてにこにこと笑いながら仁王が横たわるベッドに歩みより、傍らの椅子に腰かけた。

「いろいろ聞きたそうな顔をしていますね。さて、どこから説明いたしましょうか」
「……そもそもおまん、なぜ俺の名を知っとるんじゃ」

仁王は柳生を睨み付けた。自分の正体はばれぬように細心の注意を払っていた。伯爵の首飾りを盗むと決めたときも、犯人と共犯関係にはなったものの、仁王は自分の顔はおろか名前も犯人には見せておらず、メイドに化けて潜入することも話していない。そもそも、自分の存在すら警察にはばれていないはずなのだ。考えるほどに仁王の目付きは鋭くなっていく。
柳生は警戒心を露にした仁王にも臆することなく、サイドテーブルに乱雑に散らばっていた紙片をいくつか手渡した。仁王は紙片を見て片眉をあげた。それは新聞記事の切り抜きであり、内容は刑事事件からゴシップまで幅広い内容のものであった。

『9月28日
《窃盗の理由は幽霊か!?季節はずれの怪談》
 今月15日、榊財閥の有する京月邸に侵入し貴金属を盗んだ罪で一人の男が逮捕された。男が盗みに入ったのは3ヶ月以上も前のことである。盗みの手口の見事さから帝都警察の捜査は難航していたが、今月に入って急展開を迎えついに犯人はお縄につくこととなった。だが、この男がどうやって京月邸のガードを掻い潜りまんまと宝を盗んだかは未だに謎のままである。いくら取り調べをしても男は「母の幽霊が盗む計画をした」「母の幽霊が盗みの手伝いをした」などと意味不明な供述を繰り返しており、錯乱しているものと見受けられる……』

『10月3日
《月に魅入られた女中、記憶を失う》
 先月9月25日、千石子爵の女中頭であり美貌で知られるお梅が、貧民区の端で横たわっているところを巡回中の帝都警備隊が発見、保護した。介抱ののち目を覚ましたお梅はひどくぼんやりした様子で、9月23日ごろからの記憶が無いと訴えている。だが聞くところによれば、お梅は23日以降も通常通り子爵邸で勤めを果たしており、特に変わった様子はなかったという。千石子爵によるその後の調査によれば、24日未明に貧民街をうろつくお梅らしき女が目撃されているが、お梅はそのような記憶がないと主張している。このはなはだ面妖な事態は、満月の光に魅入られると意識を失うというちかごろ話題の噂と一致していることを当新聞の記者はつきとめた……』

『10月11日
《老若男女、ぺてんにご注意!》
 いま20年の間に帝都にはすっかりガス灯がいきわたり、新月の夜でさえも街は煌煌と照らされ闇は失われんばかりである。しかし人の心の闇は深まるばかりなのか、ここのところ帝都では悪辣なぺてんが横行している。犯人、共犯者とおぼしき人物は若い男から老女まで様々である。街は発展してゆくが人の心の荒み方は、この国の未来を憂うほどである……』

渡された記事を上から三つほど読んで、仁王は青白い顔になった。

「……ほおーう。帝都でたった一人しかおらん顧問探偵さまであろうお方がこんな三文ゴシップ記事まで読むとは、暇じゃのう」
「こういった新聞にも重要な情報は多く隠れているものですよ。面白くはありませんが」

当の柳生はひょうひょうとした様子で答えて、仁王の手にした記事を指さした。

「それ、全部貴方がしたことでしょう?」
「……」
「さすが百の顔を持つ男ですね」
「なぜ、分かった」
「新聞記事には怪奇現象だの流言だの取るに足らないものも多く載っていますが、今年に入ってからただの事件、ただのゴシップにしてはひっかかる出来事が増えましてね。一つ一つ洗ってみたのですよ。『もしかしたら全ての事件につながりがある』と仮定して、ね」

仁王は大きくため息を吐いた。なるほど。そこまでバレてしまえば自分の素性くらいは探れるだろう。普通は錯乱した犯人と女中と巷で流行中のぺてんを関連づける者はいないだろう。だからこそ仁王は、自分の正体は決してばれまいと思っていたのだ。

「京月邸事件の犯人が見た母の霊は、変装した貴方。千石子爵の女中をさらって貧民街にしばらくとどめ置き、まんまと入れ替わって女中になりすましたのも貴方。近頃ぺてんを働く若い男性も老女も貴方。そして――」
「もういい、そこまで分かってるとはな」

諦めた仁王は体をぐるりを回し、ベッドの縁に腰掛けて柳生に向き直った。仁王は柳生をそれとなく観察したが警戒する様子はない。

「貴方の名前を調べるのも大変でしたよ」
「そりゃ、どうも。んで、おまんは何がしたいんじゃ」

柳生は仁王の言葉を聞くと嬉しそうに立ち上がってパンと手を叩いた。

「そう、大切なのはそこですよ。この前の貴方ときたら私の話を一切聞かずに銃など取り出すのですから、短気はいけませんね」
「短気という問題でもない気がするんだが」
「端的に言いましょう。貴方はこれから私の助手です」

どんな情報を要求されるのかと構えていた仁王は、あっけにとられて硬直した。

「はあ?」
「ですから、今日から貴方は私の助手としてここで働くのです」
「なんじゃそれは!わけがわからん、第一なんで既に決定した風に言う」
「もちろん決定事項ですよ。貴方が今までしてきたことを真田警部に報告しない見返りです」

仁王は青白い顔のまま顔をしかめた。

「脅迫か?『紳士探偵』の割には酷いことをする」
「紳士にふさわしい平和的な話し合いじゃないですか」
「けっ。断ったら、どうする」

柳生は少しうつむいて眼鏡を押し上げた。眼鏡の両レンズが窓から入る日光を反射してキラリと光った。

「もちろん、どうもしません。ただし、結果的には帝都の刑務所に入ることになるでしょうね」

仁王は大きくため息を吐いて、ぼふりと後ろに倒れ込んだ。なんということだ。仁王は一瞬絶望しかけたが、素早く考えを巡らせた。
探偵の手先にならねばならないとは面倒臭い。だいたい人に仕えるだとかまじめに働くというのは自分の性に合わない。だがこの痛む体では柳生を倒すのは不可能だ。もし逃げることに成功したとしても、ここまで柳生に情報を押さえられてしまっていてはさすがの自分も逃げおおせるのは難しい。ここは一旦言うことを聞いて、そして機を見計らって遠方へ逃亡するのが最善かもしれない。

「柳生とやら、具体的に俺に何をしろと」
「今までと似たようなことをしてください」
「はあ?」
「潜入、聞き込み、鍵開け、ターゲットの情報収集。今まで貴方がしてきたことをしてください。ただし犯罪のために、ではなく事件解決のためにです」
「なるほど」

話を聞いているうちに自然と笑いがこみ上げてきて、仁王はくくっとのどで笑った。面白い。探偵に飼われるのは気に食わないが、大義名分のもとで違法な行為をするとは傑作だ。警察の内部事情も知ることができるかもしれない。しばらくは付き合ってやろうと思えてきた。

「そんなら、よかろ。助手になってやるぜよ」
「はい、わかりました。仁王くん、確か今は貧民街の東部に住んでいますね」
「なんじゃ、そんなことまで調べたんか……」
「貧民街からこの家までは遠い。貴方もここに住んでください」
「はあ?」
「居間は1つですが寝室は2つあります。ここの女主人、竜崎スミレは気のいい人ですし貴方が入居しても問題ないでしょう。いかがです?」

仁王はベッドに倒れ込んだまま、部屋を見渡した。清浄な空気。薬品臭も混じっているが、おおむね清潔なにおい。窓にはぼろぼろの板の代わりに分厚い布のカーテン、床には穴もない。金を貯めたらこういう生活をしてやろうと夢見ていたものの一部が確かにここにあった。
仁王はベッドから立ち上がって、柳生に手を差し出した。

「仁王雅治じゃ。得意なことは変装、声真似、鍵開け、潜入。よろしゅう」
「よろしくお願いしますね、仁王くん。私は帝都の顧問探偵にして医者の柳生比呂士です。ときどき薬品で実験をしますが気にしないでくださいね」

仁王は柳生と握手を交わしながら、さきほど見た緑の煙を思い出して内心冷や汗をかいた。


(20130923)

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(ところで、妙に背中が痛むんだが)(伯爵邸からひそかに運び出すために貴方を窓から庭に投げ落としたからでしょう)(……プリ)

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