君は名探偵! | ナノ

「……と、いうのが事件の真相です。さあ伯爵、これが貴方の首飾りですね」

『彼』はそう宣言して、ポケットから金と宝石でできた豪奢な首飾りを取り出して高々と掲げてみせた。彼の前にいる、伯爵と呼ばれた太った中年の男は、絹のシャツの襟首に埋まりそうなほど大きい顔を紅潮させて飛び上がった。

「これだ!これだよ君ぃ!見つけてくれたんだね!ありがとう、柳生くん!」

伯爵は首飾りを大切そうに握りしめて喜んでいる。柳生比呂士は幅の細い眼鏡を押し上げて満足そうに笑った。柳生は着ていたスーツの裾を直し、伯爵に一礼すると手にしていたハットを被った。

「お役に立てて何よりです。さて、真田警部。伯爵の首飾りを盗みだそうとした犯人はまだ捕まっておりません、が、後は警察にお任せいたしましょう」
「うむ、既に部下に指示は出している。これだけ証拠がそろえばすぐに捕まるだろう」

伯爵の隣にいた真田は眉間に皺を寄せて頷いた。真田と長いつきあいである柳生は、真田が自分たち警察をふがいなく思っているのだと理解した。帝都の警察官は事件の捜査が行き詰まるときまって柳生のもとへ来て、アドバイスを求める。今回の首飾り盗難未遂事件もまた、そんな難事件の一つである。そして柳生はたった今、伯爵の部屋の中で、こともなく事件を解決してみせたのだった。
柳生は渋い顔の真田を慰めるでもなく、簡単に別れの挨拶を述べた。

「それでは失礼します、ごきげんよう。おっとその前に――伯爵、最後にキッチンを見学させていただいてもよろしいですか?」
「あ、ああ?もちろんいいが」
「ありがとうございます。少々気になることがございまして。では」

怪訝な顔をする伯爵と真田警部ににっこりと笑いかけて、柳生はきびすを返した。
柳生が1階のキッチンへ入ると、中ではエプロン姿の使用人が数人、忙しそうに働いていた。コック長とおぼしき背の低い男は、客人である柳生がキッチンへ入ってきたことに大層驚いて、キッチンに立ちこめる湯気をかきわけて柳生へ歩み寄ってきた。

「これはこれは、柳生様。いかがなさいましたか。まさかここへは事件の調査に?」
「いいえ、事件はもう解決しました」
「本当ですか!ありがとうございます、伯爵様はさぞかしお喜びでしょう」
「今はお夕飯の支度中ですね。お邪魔してしまいまして申し訳ありません。ここで働いているメイドの結衣さんをお借りしてもよろしいですか」
「? ええ、かまいません。おーい、結衣!こっち来い」

柳生の元へやってきたのは、細身で背の高い女の子だった。彼女は満面の笑みを浮かべている柳生とは反対に不安そうに眉尻を下げ、おどおどとした様子だった。骨張った手でせわしなくエプロンを触っている。

「あ、あのう……」
「結衣さん、昨晩は捜査にご協力くださりありがとうございました」
「とんでもございません!わたくしは柳生様の質問にお答えしただけです」
「それが大事なことなのですよ。ところで、ちょっとお話があるのでほんの少しばかりお時間をくださいませんか」

柳生はろくに返事も聞かず彼女の腕を取ってキッチンから出て行く。彼が向かった先は大勢が働く伯爵邸の中でも全く人気のない倉庫の一角だった。結衣はなぜ自分がここへ連れてこられたのか分からないとでもいいたげにそわそわ落ち着かない様子をしている。そんな彼女に向き直った柳生は、変わらず笑顔を浮かべて一言、こう言った。

「さて、ここなら誰にも聞かれません」
「えっ……なぜ、そんな必要が」
「あるのですよ、その必要が。むしろその理由は貴方にあるじゃないですか」
「なんのことだか、わたくしにはさっぱり」

ますます困惑したような表情を浮かべた結衣を目の前に、柳生は眼鏡のブリッジを指で押し上げレンズをキラリと光らせた。彼はの口調は静かなものだったが、それは有無を言わさぬ強い調子でもあった。

「ご安心ください、貴方のことは警察には言っていません。今は『まだ』」
「なんのことだかわかりませんわ、からかわないでくださいませ」
「靴の泥」
「えっ」
「貴方の靴には泥がついています。なぜです?」

柳生の問い詰めるような口調とは裏腹に、その慣れたのか、結衣は徐々に落ち着きを取り戻していた。柳生は質問をしながらじっくりと結衣の姿を上から下まで観察した。

「なぜって、雨でぬかるんだ道を歩いたからですわ」
「ここ最近帝都では雨はふっていませんね」
「ええ。でも、確か1週間ほど前に」
「そうです。ちょうど1週間前に、このあたりでは雨が降りました」

結衣はほっと息をついて、そして困ったように笑いかけて首をかしげた。

「そういうことですわ」
「それがおかしいんですよ」

柳生は獲物を追い詰める獣のように、ゆっくりと結衣の周りを歩き出した。靴が木の床に触れてコツコツと鳴る、その音に合わせて柳生は話を続ける。

「なぜ1週間も前についた泥を今まで落とさなかったんです?」
「ここのところ忙しかったので、すっかり忘れておりました」
「そうですね。貴方は忘れていた」
「あの、何がおっしゃりたいのか分かりません」
「いいえ。貴方にはもう分かっているはずだ」

柳生は倉庫の入り口に立つと、浮かべていた笑みを消して結衣に向き直り、再び眼鏡を光らせた。結衣の声のトーンはだんだん下がってきている。

「忘れる。人間なら誰しもあることです。私もよく忘れます、興味のないことは特に。下町でどんな俳優が人気だとか、社交界の淑女にはどんなタイプが人気だとか――そんなことは私にとってはどうでもいいことですから、すぐに忘れてしまいます。しかし、趣味のバイオリンや仕事道具である医学の知識ならまずは忘れない」

結衣は少しうつむいて、黙り込んだ。柳生はそんな彼女に容赦なく言葉を浴びせる。

「忘れないのですよ。伯爵家につとめる使用人は身だしなみを整えることを忘れるはずがありません。だから気がつきました。貴方はこの家の本物のメイドではない」
「馬鹿なことをおっしゃらないで。わたくしはもう何年も前からこの家につとめております」
「本物の結衣さんは別のところにいるのでしょう。彼女をさらって、まんまと彼女に入れ替わった」
「どうやって。そんなこといたしません。そんなことをして一体なんの意味があるのですか」
「犯人をこの家に招き入れる、その手引きをするためですよ。伯爵の首飾り盗難未遂事件の犯人は二人いた。一人はいま帝都のどこぞを逃げ回っている男。そしてもう一人は、貴方。そうでしょう?その正体は――帝都のペテン師。またの名は、百の顔を持つ男」
「…………プリッ」

『彼女』はさっと後ろへ飛び退り、かぶりものを脱ぐような動作をして『顔を外した』。少女の顔だったものの下から出てきたのは、若い男の顔。真っ白な髪を後ろで一つにくくり、細くきつい目つき、通った鼻筋の下の薄い唇がゆがみ、右顎にはほくろ。彼はククッとのどを鳴らして笑い、威嚇するように身をかがめた。

「よう気づいたのう。褒めてやるぜよ」
「それはどうも。さて、観念して私の話を聞いてくださ」
「はっ。ここなら誰にも聞かれないと言ったのはおまんじゃ。捕まるのはごめんだ」

仁王は素早く後ろに手を回したかと思うと、エプロンに隠していた小型の拳銃を取り出した。その手に銃を収め、まっすぐ柳生へ向ける。

「そこをどけ。どかんかったら、撃つ」
「お断りします。第一、いくら人気のない倉庫といえどここで撃てば銃声が屋敷中に響きます。真田警部はまだ屋敷の中にいる。そうなれば貴方は捕まるでしょう」
「どうかのう。どのみち丸腰のおまんと銃を持った俺でどちらが優勢か、考えんでもわかるだろ」
「丸腰、ですか」

意味深長な口調の柳生に、仁王は警戒を深めて剣呑な目つきになった。当の柳生は仁王の様子を気にもとめず、なぜか腰から下げてあったテニスラケットを手にとってするりと撫でた。そしてポケットからはテニスボールを取り出す。
意外なものを見た仁王は一瞬あっけにとられ、続いておかしそうに顔をゆがめた。

「ハハッ、何だと思えばテニスラケット?そんなもんで何ができる」
「私はテニスが得意なのですよ」
「それがどうした」
「じきに分かりますよ。……レーザービーム!」
「なっ」

柳生はテニスボールをまっすぐ上に投げると、ラケットをふるった。予想外の行為にとまどったのが仁王の運のツキだったとも言える。鋭く空気を切る音、ゴンという低い音。柳生の放った強烈なサーブは仁王の顔にクリーンヒットし、彼は気絶して床に崩れ落ちた。
柳生は眼鏡を指で押し上げ、帽子を取ると髪の毛をぐしゃぐしゃと掻いてため息をついた。つかつかと倒れた仁王に歩み寄って、脈を測る。――問題なし。柳生は丸くテニスボールの跡が額についてしまった仁王の顔を見下ろしながら、独りごちた。

「おとなしく私の話を聞いてくだされば良かったものを。どうして私が貴方を警察に突き出さなかったのか、人気のないところへ呼び出したのか、考えてください」

柳生は深くため息を吐いた。

「さて、これからどうしましょう。気絶した仁王雅治をうちまで運ばねばなりません。使用人の目と屋敷の中をまだうろついている警察の目をかいくぐって。全く、これでは私が犯罪者みたいではありませんか。――より大きい利益のために犯罪者を見逃す、くらいはしますけれどね」

柳生が見上げた倉庫の小さい窓からは、月は見えなかった。


(20130915)

[back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -