紅龍の花 | ナノ
記憶

グラスから溢れた水がどんどん手を濡らす。水道を止めてから、ふちから雫が溢れるのも構わずグラスを煽る。刺すような冷たさがあごを伝う。冷水が食道を刺激して、涙で火照っていた体を覚まし私の意識をはっきりさせた。
薄暗い台所、午前5時。ぽつんと小さく着いたランプがグラスを光らせた。私は素足が冷たい床の上に乗っているのを感じて、初春の寒さに身震いした。


ダイニングテーブルについて、さっき見た夢を考える。あれは私が覚えている、柳蓮二に関する最初の記憶だ。いや、現実ではたぶん彼は着物を着ていなかったし最後までお母さんの元へ送り届けてくれたはずだ。お母さんはのんきな様子で、はたまた偶然出会ったらしい蓮二のお母さんと話をしていた。
(あらあら、いつの間にか仲良くなって)
(お嬢さん?可愛らしい、女の子っていいわね)
(とんでもない!お宅の息子さんこそ可愛らしいじゃない?それにしっかりしていて、うらやましいわ)
蓮二は普通の女の子よりもずっとちっちゃくて、さらさらな黒髪をおかっぱにしていて本当に女の子みたいだった。だけど口を開けば全然女の子じゃなくて、聞いたこともない言葉や話がぽんぽん飛び出してきた。当時の私には彼の言葉の多くが理解できなかった。でも、聞いているだけで楽しかったものだ。

ぱちりと台所の電気がついた。

「おはよう、今日は早いのね」
「おはよう、喉が乾いちゃって。ねえ母さん、昔、梅林で蓮二とあったときのこと覚えてる?」
「ああ!懐かしいわねえ」

母さんはエプロンをつけつつ声のトーンを上げた。

「あんたどっか行っちゃって、蓮二くんが連れ戻してくれたのよね」
「やっぱり記憶違いじゃなかったんだ」
「どうしたの?突然」
「突然思い出してさ。すっかり忘れてたなあ、そんなこと」
「あんたちっちゃかったからねえ。幼稚園に入る直前だったかしらね」

しかし、それでは、夢の中でみた赤い龍はなんだったのだろう。空を舞う赤はどうにも懐かしい。龍なんているわけがないのだから、それは記憶違いなのだと分かる。でも単なる妄想でここまで懐かしく思うだろうか?

「そういえばあんた、蓮二くんと戻ってきた後で赤い龍がどうのって言ってたわね」
「え!ほんとに!?なんて言ってた?」
「それがね、話を聞いても要領を得なくてよくわからなかったのよ。赤い龍を見た、みたいなことを言っていたんだけど」

私は返す言葉を失った。赤い龍を見た。本当にいるわけはない。が、そのころの私は確かに見たのだ。紅龍を。

「そういえばあの梅林、結構遅くまで咲いているのよね。3月上旬ごろまでだったかしら?期末テスト終わったら行ってみてもいいんじゃない。きっと綺麗よ」

地面に散る赤が蓮二を飲み込んで龍になる。青い空をどこまでも高く高く駆けて、龍は消える。私は夢で見た龍を忘れまいと、心に刻み付けた。


(20120704)
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まだまだ続きます。

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