紅龍の花 | ナノ
夢幻

うっすらとかかった霧のヴェールの奥で、深紅の梅がこぼれんばかりに辺り一面に咲き誇っている。わたしは紅梅の林の中で立っていた。上を見上げると覆い被さるように笑む梅の花越しに、薄い水色の空が微かに見えた。幼いわたしは、ひとりだった。黒々とした土、その上に鮮やかに散る赤を踏んで、わたしは歩いた。ひたすら前へ向かって。
おかあさんがいない。遠くへ行っちゃだめ、という言いつけを破ったのだ。

わたしは、ひとりだった。どこまでも続く紅の中で。目をこらしてみても林はどこまでも続き、まるで祝賀のようにめでたい赤の中なのに、わたしはひとりだった。

そう気がついた瞬間、わたしは泣いて叫びたくなった。ここは、どこ。おうちに帰りたい。涙が出そうになったから、わたしは下を向いて歯をくいしばった。

じり、と土を踏む音がした。

おかあさん!

そう叫ぼうと顔をあげたわたしは、言葉を失った。

そこにいたのは、梅の精だった。

「迷子なのか」

梅の精は、小さい男の子だった。しぶい緑色の着物を着て、漆黒でまっすぐな髪をおかっぱにしている。うぐいす色、そう、うぐいす色?梅にはうぐいすなのよって、お母さんが言ってなかったっけ。やっぱりこの人は梅の精だ。きっとそうに違いない。

黙って頷くと、梅の精はこっちだ、と言ってわたしの手を取った。

梅の精は黙って歩いた。わたしも何も言わなかった。
黙々と歩く。うすい霧の中、もやと共に広がる梅、ひらりと落ちてくる花弁をかき分けて、梅の精は確かな足取りで先へ進む。
自分以外に男の子がいるからなのか、それともこの子が特別な梅の精だからか分からないけれど、さっきまでの不安な気持ちはいつの間にか全くなくなっていた。
繋いだ手があたたかい。年の頃はわたしと同じくらいだろうか。でもわたしよりもちっちゃい。それなのにまるでお兄ちゃんみたいな態度だ。

梅の精が、ふと立ち止まった。そこは梅林の中でも少しひらけた場所で、まあるい広場になっていた。彼はその真ん中に立つと、空を見上げてすっと手を伸ばした。

そのとたん、霧がさあっと晴れて梅林の紅は一層鮮やかになり、ごうっと風が巻き起こった。

「何」
「心配いらない。何も、心配いらない」

地面から突き上げるような風が彼の周りを渦巻いて、轟音と共にたくさんの赤い花弁を飲み込んで空へ昇る。それは龍の形になって一声吠えたかと思うと、身をくねらせて空へ帰っていく。

家に帰りたいのだろう。ここをまっすぐに行け。
耳元でささやかれて、はっと視線を空から戻すと、梅の精は、どこにもいなくなっていた。






私は目を覚ました。つうっと頬に冷たいものが伝う。いつの間にか泣いていたらしい。私は、右手を顔に当てた。
梅の精。私を導き、紅の龍となって消えた梅の精。違う。あれは、蓮二だ。間違いない。
柳、蓮二だ。

(20120625)

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