紅龍の花 | ナノ
林檎

真田家の門を抜けて中へ入ると、弦一郎は紙袋を片手に玄関前で立っていた。さきほどすれ違った女子をもてなしていたのだろうか。彼は俺に気づくと「よく来たな」と言った。

「今日は嵐になるそうだが、帰りは大丈夫なのか?蓮二」
「問題ない、天気が荒れるのは夕方だ」

肩に掛けていた鞄を手に持ち、弦一郎に続いて中へ入る。家の中はちり一つなく片付きあたりには人気のない静謐な空気が宿っていた。「失礼します」と挨拶をすると、声が玄関から奥へと吸い込まれていくようだ。

「客間で待っていてくれ。茶を用意する」
「すまないな」

台所へ向かう弦一郎とは別に客間へ入り、几帳面に置かれた座布団に座る。この家にも慣れたものだ。強風で庭に面したガラスがカタカタ鳴っている。
鞄を開け、他校の試合の様子をおさめたDVDと資料を机に広げる。夏の全国大会に向けた計画を練るために。幸村の体調が不安定である以上、二連覇に向けて早めに動くに越したことはない。

「待たせたな、さあ、始めるか」

弦一郎が盆を片手にやってきた。盆の上には急須と湯飲み、そして二切れの林檎のパイが乗っていた。

「美味そうだな。手作りか」
「ああ」

黄金色に輝くパイ生地、その下に見える林檎が俺に、昔を思い出させる。
窓から外を見るとどこから飛んできたのか、紅梅のはなびらが数枚ひらひらと舞っていた。

「林檎パイとは、懐かしいな」
「懐かしい?」
「詳しくは覚えていないが子供の頃よく食べていた」

三角に尖ったパイの先をフォークで切る。ゼラチンを掛けてあるのか、きつね色の林檎がぴかぴか光っている。その金色を口に含むと層をなす生地がぽろりと崩れ、酸味を帯びた林檎が広がった。
やはり、懐かしい。
霧が晴れていくように酸味が記憶を呼ぶ。幼馴染みの母親が作ってくれたパイに味がよく似ている。幼心にも強く印象が残っていた。あのころは彼女と貞治と俺の三人でよく遊んだものだ。

「これは、先ほど家の前で女子と入れ違わなかったか?あいつの母親が作ったそうだ」

ジャージを貸したお礼だそうで、と弦一郎は続ける。

「友人か?立海で見たことはないように思うが」
「彼女の弟の方と居合いで繋がりがあってな。斎藤自身は青学だったか」
「斎藤?」

俺は手を止めた。斎藤。彼女の苗字は斎藤だった。俺が引っ越しをしてから、貞治とも斎藤千香とも疎遠になってしまった。今どうしているのかは、分からない。まさか。

「まさか、斎藤千香か?」
「そんな名前だったな。何だ蓮二、知り合いか?」

同姓同名、その上、青学。貞治は青学にいる。斎藤も青学にいてもおかしくはない。
記憶の蓋が開く。鮮やかな紅。すっかり昔のものであったそれに色が付く。蘇ったところで過去が戻ってくるわけではない、戻りたいとも思わない。それでもただひどく懐かしかった。


(20120520)

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