紅龍の花 | ナノ
独白

ふらふらとコートを離れ、木陰のベンチを見つけて乱雑に座り込んだ。越前くん。貞治。関東大会を制したのは、青学だった。正直な話、ダブルスで圧倒された時点でもう青学はダメなんじゃないかと思った。それが、貞治が蓮二に粘り勝って。試合が終わった後にコートから「ぎゃあああ!」「乾汁の犠牲が!」などという悲痛な叫びが聞こえた気がするが気のせい……でもないようだが、まあそれは置いておいて。そして青学はシングルスを制し、決勝戦は終わった。

白熱した試合の気に飲まれた私は何も考えられなくなって、もう試合は終わったというのに未だに会場でぼうっとしていた。

「ここにいたのか」

ベンチにもたれていると、後ろから声が掛かった。会えば緊張するかと思ったのに、久しぶりに聞いた彼の声はすんなり耳に馴染む。反射的に立ち上がって振り返る。彼はまっすぐにこちらを向いて立っていた。一歩、二歩、彼に近づいて、止まる。近く、でも恋人よりは遠い位置。
激戦を終えて疲れているだろうに、彼は平気そうに見えた。私は少し笑ってしまった。

「お前が俺のことを『昔と変わっていない』と思っている確率、81%」
「うん、その通りだよ」

たとえ動揺したとしてもそれを後々まで引きずらないし、疲れていてもそんなそぶりは見せない。それが私の知ってる柳蓮二だった。本当に変わってない。でも、変わった。

「久しぶり、蓮二」
「ああ、久しぶりだな、千香」

久しぶりであって、久しぶりではない。私たちはそれ以上何も言わずにただその場に立っていた。蝉が落ち行く太陽を惜しむように盛んに鳴いている。試合を終えたチームや観客がざわざわとあたりに散っていて、しかしこのあたりには誰もいない。
しばらくすると少し涼しくなった夕方の風が一陣吹いて、蓮二は独り言を言うように話し始めた。

「幼いころ、俺はお前のことが好きだった」

少しの喜びと、感傷と、懐かしさと。だった、という語尾に感じる痛み。蓮二と出会ったときから積み重なってきた様々な思いが赤いはなびらのように胸に渦巻いて、息が苦しくなる。私は黙って独白に耳を傾け、蓮二を見つめた。口を開けばあらゆる感情が、壊れた蛇口から水が止めどなく溢れるようにこぼれて止められなくなってしまいそうだった。
私も、だよ。でも私は、だった、じゃないんだ。
彼はただ淡々と言葉を連ねる。

「俺が引っ越し前に渡した梅の造花を覚えているな?あの時俺は、近いうちにお前と再会するつもりだったんだ。でもそれがなかなか叶わぬまま、数年経ち、立海大附属に入学して。やがて子供のころの淡い恋心のことなどすっかり忘れてしまっていた」

私は今どんな顔をしているんだろう。冷静さを取り繕えているだろうか、それとも悲しそうな顔をしてしまっているのだろうか。心臓の痛みを抑えるように強く右手を握ってこらえる。
忘れたという蓮二を責める資格などなかった。そもそも忘れようとしたのは私の方だ。現に、春が生まれかけるあの季節に真田くんの家で空を舞う紅を見なければ、思い出すこともなかったはずだ。あんなに鮮烈で大切な記憶だったのに、数々の蓮二の思い出とともに蓋をしてしまった。

「お前に対する気持ちはただの懐かしい思い出でしかない。お前に最後に会ってからたったの4年だが、それだけあれば状況は変わる。お前も、俺も、俺の女子に対する見方も、好みも。だから今年に入ってお前を思い出してからも、お前と会ったところで自分は何も変わらないだろうと思っていた。もう遊ぶ仲にさえならないだろうと」

私は絶えられなくなって俯いた。左手で自分の右手を取って握る。軽く右手を開くと、爪の跡がてのひらにくっきり残って、紅梅のような鮮やかな赤が三日月型に残っていた。

(20130818)

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