紅龍の花 | ナノ
厚意

背中に冷や汗が流れた。跡部くん。こっちへ来る。氷帝のキングが。練習をわざわざ中断して、ラケットを片手に、鋭い目でかっきり私たちを見据えて。偵察しているのがばれた。コート内のフェンスのすぐ側まで来て、私の前に立つ柳さんと対峙するように彼は立ち止まった。柳さんもまっすぐに背を伸ばして跡部くんと向き合う。テニス部員たちは練習を続行しながらもちらちらとこちらの様子を伺っている。かけ声でうるさいはずなのに跡部くんと柳さんの間には硬い沈黙が落ちてぴりっとした空気が流れた。ブレザーの裾をにぎったまま息を殺して固まっていると、柳さんが後ろ手にそっと私を自分の後ろへ押しやった。
しばらく睨み合ってから、跡部くんは口の端をきゅうっと上げて自信たっぷり声で言いはなった。

「立海の柳だな」
「ああ」
「はん、ライバルに偵察か?」
「さてな」

年上相手だというのに傲岸不遜な態度を変えようともしない。跡部くんは柳さんのことを知っているらしい。しかし知り合いという感じでもない。もしかして柳さんもテニス界では有名な人なんだろうか。
小馬鹿にしたような物言いをされても柳さんは動じず、手にしていたテニスボールを彼の方へ投げた。綺麗な弧を描いてフェンスを越えたボールを、跡部くんは一歩も動かずラケットでキャッチした。

「部員が迷惑を掛けたな」
「いや」
「ゆっくり見学していけ。見られたくらいじゃ俺達の勝利は揺らがねえからな!」
「それはどうかな」

跡部くんは柳さんの言葉を鼻で笑って私へ視線を移す。とっさにぎくりとして体をすくめたが、彼は何も言わずきびすを返して再び自分の練習へ戻っていった。私は無意識に詰めていた息を大きく吐き出した。

「大丈夫か」
「や、柳さん!」
「何だ」

不思議そうに振り返る彼の左手をつかむ。彼は手を軽く握っていてなかなか開いてくれない。

「どうした、何も持ってないぞ」
「違うよ!開いて」
「断る」
「いいじゃない」
「なぜ開いてほしいのだ」
「なぜ、って」

自分の顔が自然と歪むのが分かった。わざとだ。柳さんは私が何を気にしているのか分かってるのに知らんぷりしてるのだ。私のために。

「大丈夫なの。手、痛くないの」
「問題ない」
「そんなわけない、だってあんな」

テニスボールは尋常じゃないスピードで飛んできて、柳さんが受け止めた時にあんなに大きい音がした。貞治が言ってた、テニスではボールがときに時速何百キロものスピードで飛ぶことがある、って。たとえそこまで早くなかったとしても素手でつかんだのだ、無事なはずはない。
私は両手で彼の左手をつかんで無理矢理開かせようとしたが、彼の手はびくともしかなった。一人で彼の手と格闘している間に、柳さんは右手でぽんと私の頭をなでた。

「かすり傷だ。せいぜい一週間で直るだろう」
「……ほんとに?」
「ああ」

それは真実か、優しい嘘か。この人は蓮二にそっくりだ。彼に撫でられるがまま伏せた目に地面に散らばった遅い桜の花びらが映った。


(20121126)

[back]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -