50万打記念企画 | ナノ
手塚の場合


玄関のチャイムが鳴る。お母さんが出た。宅配便でも来たのだろうか。それともお客さんか。どのみち、荷物を受け取る予定も友達が遊びに来る予定もない私には関係ないことだ。私はぼふんとベッドに転がって仰向けになった。
もう3月、か。正月明けのふわふわしたバレンタイン色に乗せられて、決死の覚悟でチョコレートを渡してからはや1ヶ月。押しつけるように渡し逃げるように帰ったせいで彼がどんな顔をしていたかさえ覚えていない。彼とはそこそこ仲がよい上に同じクラスなのだけれど、あの日からは恥ずかしくてまともに顔が見られないのだ。話をするだけなら大丈夫なのに。渡したこと、どう思っているんだろう。迷惑ではなかった、と思いたい。それとももう忘れているだろうか。

階下からお母さんが私を呼ぶ声が聞こえた。

「優、お客さんよ」
「えっ、誰?」
「手塚くんっていうみたいよ」
「はあ!?」

上半身を起こして急いで姿見をのぞき込む。手櫛でさっと髪の毛をといて、乱れた服を整えた。手塚くんが、うちに?なんで?そんなことなら準備しておけば良かった、会うと分かってるならもっとちゃんとした格好しておくのに!

「早くしなさい、待たせちゃ悪いわよ」
「今行く!」

慌てて階段を駆け下りる。パンプスを履いて、閉まった玄関のドアの前で一呼吸。ゆっくりドアを押すと、体を少し横に向けた手塚くんが門の前で立っていた。

「手塚くん」
「いきなりすまない、夏目」
「ううん」
「時間あるか」
「うん!今暇だから」
「そうか」

彼は普段通りの愛想のない顔で、家の柵越しにこちらを見ている。私は不安定な気持ちになった。何だろう。そもそもなぜ私の家まで来たんだろう。彼と私の家はそこまで近くはない。電車で来れば20分くらいだろうけれど乗り換えをしなきゃいけない。彼がうちに来たのなんて初めてだった。そもそも幼なじみでもあるまいし、家に行き来することなんてない。
何か、大切な話、か。相談でもあるのか。
彼は私の家を見上げて、控えめに、しかしはっきりとした口調で言う。

「少し、歩かないか」
「いいよ、もちろん」

私が門から出ると彼はきびすを返して歩き出した。私はその後に続く。いつもだったら隣を歩きそうなものなのに、彼は私に背を向ける。徐々に心のざわめきが大きくなってきた。何か、本当に大事な話でもあるんじゃないのか。彼は私にテニスの話をすることはそんなにない、委員会の話もそんなにしない、だからそういった類じゃないだろう。
まさか、突然転校することになったとか。海外留学に行く、とか。それとも、私の友人が好きだから協力してくれという話だったりする、の、だろうか。
心の奥底からあふれ出した感情が口から漏れてしまいそうになる。

目の前に手塚くんの背中がせまって、私はそのまま彼に衝突した。

「ぶっ。ご、ごめん」

彼は立ち止まったようだった。彼の背で鼻を打って涙目になる。痛みで沈んだ感情が一気に消滅した。鼻を押さえて顔を上げると、彼は少し困ったように眉を寄せていた。

「すまない。夏目」
「ん?」
「バレンタインのお礼だ。受け取ってくれ」

いつの間に出したのやら、そっと差し出された彼の大きな手にはプレゼントが乗っていた。クッキー。お洒落なフランス語のラベルに、ピンクやオレンジの細いリボンが花のように結わえてある。

「いいの?」
「ああ」
「わざわざこのために?」
「ああ」
「あ、りがとう、すごく嬉しい」

びっくりして思考が止まる。自分の顔が自然とほころんでいるのは分かるのだけど、口が、言葉が感情に付いていかない。私はなぜカタコトの日本語になっているのかと内心でツッコミを入れるけれど、最低限の言葉を伝えるのがようやっとだった。

「まだホワイトデーは先だけど」
「5日後だな」
「平日なんだから学校でも良かったのに、ありがとね」
「平日だからだ」
「え」
「学校に菓子を持っていくのはあまりよくないだろう」

彼は、真面目だった。

「そ、そうだね」
「来る前に連絡を入れようと思ったのだが、メールアドレスを知らなかった」
「あ、そういえば。……交換、する?」
「頼む」

落ち着け、落ち着け私。焦って手元がおぼつかない。操作間違いを繰り返して、なんとか赤外線送信までたどり着く。

「送るね」
「ああ」

じっと待っている間に、ふと、言ってしまった。心で思っていたことを音にした瞬間、言わなきゃよかったと後悔したけれどもう遅い。私は、大胆な質問をしていた。

「大変なんじゃない」
「何がだ」
「ホワイトデー」

怪訝そうな顔をする彼に仕方なく弁明する。

「だって、休日にいちいち渡しに行ってたらいろんな子の家を回らなきゃいけないでしょ」
「そんなことはない。家まで尋ねたのはお前だけだ」
「え」
「後は学校でなんとかする。菓子でなければいいだろう」

どういう意味。喜んで良いのか。私にお返しを渡しているのを学校で絶対に見られたくない、という意味ではないと思いたい。
まじまじと彼を見たけれど、髪をふわりとなびかせた彼は相変わらずのすまし顔。男心ってよく分からない。


(20120316)

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