カモマイルの悪魔 | ナノ


潤が窓をのぞくと、遙か下方のアトベランドで遊ぶ人たちが豆粒のように見えた。潤と美波が今いる部屋はアイスエンパイア城の頂上付近にあるようだった。鳥が、群をなして眼下を飛んでいく。

「潤、この格好でおかしくない?」

ドアの向こうから美波が現れる。美波に付き添っていた従業員の女性は、にこりと笑うと頭を下げて部屋から出ていった。
美波は先程まで来ていたカジュアルな格好とは打って変わって、髪を綺麗に結い上げ、借りもののワインレッドのドレスを身にまとっている。潤は「昼間からどこの晩餐会だ」とつっこみたくなったが、そんな自分とて水色のふんわりとしたドレスに着替えていた。ただランチを頂くだけだと思っていたのに、アイスエンパイア城に着いたとたん、潤と美波はこの部屋に用意されてあれよあれよという間にドレスアップさせられていた。曰く、「アーン?遠慮するな。宮殿の食事なんだから着飾ってこい」。

「綺麗だよ、美波。樺地先輩も喜ぶと思う」
「ちょっと、なんでいきなり樺地先輩が出てくるのよ!」
「だって、ねえ」

潤がニヤニヤと笑うと、美波は抗議をするようにバシッと潤の肩を叩いた。眉を寄せて潤を睨みつけてくる。しかし頬が赤いせいで全く怖くない。むしろ可愛らしい。

「準備ができたら呼びに来るって跡部先輩が言ってたよ」
「うん、わかった。……ねえ、潤。ありがとう」
「ん?」

美波は赤くなったまま、しかし真剣に潤を見つめた。

「あの、さ。私が樺地先輩のこと好きだって、気がついてるよね」
「うん」
「うう恥ずかしい」
「ふふふ、なにを今更」
「え、そんなにわかりやすかった!?」
「だってさ、あのクールな美波が中学生みたいに初々しくなっちゃうんだもん」
「え、え、ええ、そんな風に見えてたの!?」
「うん」

美波はおろおろと狼狽えている。そんな彼女もほほえましい。潤がにこにこしていると、美波は意を決したようにぽつりとつぶやいた。

「潤、私が樺地先輩と一緒に過ごせるようにしてくれたんだよね?」
「えっ」

バレた。なんでわかったんだろう。跡部先輩のことが好きだという嘘に気づかれたのだろうか。身じろぎをすると柔らかなペチコートが脚にまとわりつく。潤が狼狽が隠せずにいると、美波はやっぱりという風に柔らかく笑った。

「最初はぜんっぜん気がつかなかったんだよね。緊張してたし。でもよく考えたらいつもより潤は強引だったからさ。もしかしてって。だから、ありがとう」

その通りだ。二の句が継げずに黙っていると、美波はニヤリと笑った。なんだか嫌な予感がする。

「私にできることなんてあんまりないけど私も応援するから!何でも言ってよね」
「何のこと?」
「もう、自分で言ったんだからごまかさなくてもいいじゃない」
「……えーと?」

美波は胸を張って明るく宣言する。潤はそれを聞いて硬直した。


「御曹司とお嬢様!名家をめぐって二人の前に立ちはだかる数々の難題!それを乗り越えて結ばれる運命的なカップル!!……跡部先輩と潤の大恋愛のことよ!」

口から魂が抜けそうになる。
やっぱわかってねえ!!


***


ホラーハウスの出口付近で潤たち一行は立ち止まった。潤はちらっと時計を見やる。ディナーかと勘違いしそうなほど豪華なお昼を食べ終えてから、約1時間。計画ではそろそろ潤と跡部が樺地たちを巻いて完全に別行動を取る予定だった。しかし当の跡部は青ざめ、動きがぎこちない。これでは二人を巻くのは難しいのではないかと不安になってくる。
しかし跡部は作戦を変更したのか、青ざめたまま、真剣な面もちで樺地に正面切って伝えた。

「か、樺地。ここで解散だ。後は任せる。車を呼ぶときは日野村に連絡を入れろ」
「ウス」

樺地は跡部の気遣いを察知したのか、無口ながらもしっかりと跡部を見つめていた。一方の困惑したらしい美波が眉を下げている。

「あの」
「高原。ダブルデートはここで終わりだ。俺様と潤は別行動を取る。あとは樺地と楽しんでこい」
「……はい。あの、本当にありがとうございました!」

跡部は頭を下げた美波に、「気丈にも」優しく微笑んだ。
そう、「気丈にも」。
跡部が美波と樺地に背を向けた瞬間、潤は跡部の腕を取って、急いで立ち並んだ自動販売機の陰に連れて行った。丁度隠れるように置かれている鉄製のベンチに跡部を押し込む。彼は「なんてことないぜ!」という顔を取り繕っているが顔が青白い。もういっぱいいっぱいだ。たぶん。潤は水を買って跡部に渡すと、自分も跡部の隣に座ってお茶を飲んだ。

……彼の顔色が悪くなったのは、アトベランド名物のホラーハウスに入ってからだった。美波と潤が「ホラーハウスに行きたい」と行ったとき、跡部の反応が鈍くどうもおかしいと思っていたが、実はホラーが苦手だったみたいだ。
跡部は、真っ暗なホラーハウスでこけないようにと潤の手を握っていてくれたが、ゾンビが出れば強く手を握られ、狼男が出ればまた強く手を握られ、幽霊が出ればさらに強く手を握られ、最終的には手が痛い。こけないように、なんて絶対タテマエだ。おまけに、跡部はことあるごとに小声で「っ……こんなの聞いてねえぞ!?」などとのたまっていた。また跡部会長の手が回っていたらしい。

跡部の意外な弱点を見つけて、潤は不謹慎にも嬉しくなった。あの跡部にも普通の顔がある。しかし人には言わないでおこう、と潤は心に決めた。それに、こんな状態になっても最後まで美波と樺地を気遣う跡部は間違いなくかっこよかった。

「すみません、食後だったのに振り回してしまって……ご飯食べた後に動き回ると気持ち悪くなりますよね。ちょっと休んでいいですか」
「あ、ああ。もちろん構わねえ」
「ありがとうございます。はー、アトベランドはベンチも座り心地がいいんですね」

冷たいお茶が喉を通って気持ちがいい。初夏の柔らかな風が髪を揺らす。ベンチは海に向かって置かれており、青い水平線のはるか遠くには小さく島影が見えた。その手前を、ゆっくりと大型の遊覧船が通っていく。

潤は穏やかで満ち足りた気分だった。日頃の悩みを忘れてこれほど長時間楽しく過ごせたのは久しぶりだった。変化と魅力に満ちたもてなしを次から次へと受けて。しかも、それをこちらに「申し訳ない」とは思わせない、こちらを萎縮させないおもてなしの徹底っぷりだ。
潤は跡部からの視線を感じたが、気がつかないふりをしてベンチにもたれ掛かった。自然と笑みがこぼれてくる。あの跡部ことだ、おそらく今の自分の状態をふがいなく思って気を使っているのだろう、と潤は思った。そんなことを感じる必要は一つもないのに。
あえて関係ない話題をふる。

「跡部先輩、アトベランドにはよく来るんですか」
「いや。友人に頼まれた時とアトラクションに大規模な変更を加える時くらいだ。お前はどうなんだ」
「私も、実はあんまり。なかなか思った日にはチケットが取れなくて。だから誘って頂いて嬉しかったんです」
「ふん、そうかよ。また来ればいい。潤ならいつでも歓迎するぜ」

跡部は気分がよくなってきたのか、少し笑った。
潤は手首にはまっているプラチナパスに触れた。興奮した気持ちに冷たい金属が心地よい。これほどリラックスして跡部と話すのは初めてかもしれない、と潤は思った。跡部を警戒していたわけではないが、行動の意味がイマイチ読めず女慣れしている彼にどことなく緊張していたのかもしれない。
今日の跡部はとても自然体で──跡部会長の策略で素がむき出しになってしまったとも言うが──そんな彼に好感度がぐぐっとあがる。

「ありがとうございます。ねえ、跡部先輩はどう思います?美波と樺地先輩のこと」
「潤は見たか?あの樺地の顔」
「ええ、なんだか意志のこもった目でしたね」
「あれは腹を決めた男の顔だ。俺様がなぜデートについてこいと言ったのかおよそ理解したんだろうぜ。こうなれば樺地はやることはやる」
「じゃあ」
「計画成功だ」
「やった!ついに美波に春が!ありがとうございます!」

潤はつい歓声をあげた。あれだけ美人でやれサークルだやれ合コンだと様々な活動をしているのに、美波はその実お堅くて真摯な性格のせいでなかなか恋人ができなかった。……というよりも寄ってくる男共もバッタバッタと振り払って屍の山ができていた。誠実じゃない男は嫌とかなんとか言って。

「礼を言うのはこっちの方だ。樺地のやつ、俺様を優先しすぎるせいでなかなか人を好きにもなりゃしねえ。かといって見合いをさせようにも樺地にふさわしい女はなかなかいねえからな」
「ふさわしい女性、ですか。樺地先輩は優しくって力持ち、気遣い抜群で仕事ができる男ですもんね」
「よくわかってるじゃねーの」

自慢げで嬉しそうな跡部の様子に、潤は声をあげて笑った。やっぱり跡部は樺地を大切にしているのだ。彼らの関係は一見すればただの主人と従者、社長と秘書だったが、深いところで揺らがぬ絆がある。

「ふっふっふ。でも、それを言ったら跡部先輩はもっと大変ですよね。跡部先輩くらいになると周りの女性もハイレベルなんじゃないかとは思いますけど」
「アーン?どういう意味だ」

潤はきょとんとした。意味がわからないほど変なこと、言っただろうか。

「だって、跡部先輩はハンサムだしイケメンだし美男子だし」
「全部同じじゃねえか」
「有能で財閥の御曹司でスポーツもできて。並の女性だったら釣り合わないじゃないですか、いくら跡部先輩のことが好きでも」

跡部は虚を突かれたように目を見開いて、珍しく口ごもった。「ハイスペックな男にふさわしい女はなかなかいない」と言い出したのは跡部であるにもかかわらず、跡部は驚いたような反応をする。
一体何がおかしいのだろうか。潤が反応に困っていると、跡部はハッとした面もちで話題をそらした。

「……そうだな。潤、他に乗りたいアトラクションはあるか?」

跡部が何を感じたのか潤にはわからなかったが、話を反らしたということは踏み込まれたくない話題なのだろう。潤は跡部のヘタクソな話題反らしに乗ることにした。
ちらりと様子を伺うと跡部の顔色はすっかり良くなっている。もう動いても大丈夫だろう。潤はパンフレットを鞄から取り出した。行きたいところにはだいたい回ったが、まだ乗れていないものがある。

「観覧車に乗りたいです!」
「フ、いいぜ。あっちだ」
「はい!跡部先輩、休ませてくださってありがとうございます」

本当は跡部を休ませるためだったが、潤はさりげなく適当なことを言った。跡部は立ち上がって座っている潤に手を差し伸べた。
彼は振り返ると、なぜか、少し泣きそうにも見える不思議な微笑みを浮かべた。そして風に紛れそうな小さな小さな声で囁くように言う。

「……悪ぃな」
「え?」

跡部を休ませるために休みたいと言ったことがバレたのだろうか。潤は焦って跡部を見たが、もう彼からは不思議な微笑みはとっくに消え去っていた。


(20140928)

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