カモマイルの悪魔 | ナノ


激しい音楽とお酒の臭い、足音や話し声。店内は騒がしいほどの音に満ちていたのに、千石と亜久津の間には冷ややかな沈黙が漂っていた。二人は言葉をなくしてまじまじとお互いを見つめた。そして次に口を開いたのは亜久津の方だった。彼は鼻に皺をよせると唸るように文句を言った。

「千石、テメエなんでここにいる?」
「亜久津じゃないか!そうか、ここは亜久津の店の系列だったのか。なんか聞いたことあるなあと思ってたんだ」

亜久津は千石をにらみ、千石はへらへらと笑い出した。潤はほっと胸をなで下ろした。一触即発かと思いきや二人の間にとげとげしさはない。亜久津の口調は荒いものの、敵意はこもっていないように思えた。

「あの、お知り合いですか?」
「友人だよ」
「赤の他人だ」
「中学のテニス部で一緒だったんだ」
「ジジイに無理矢理入れられただけだ」

苦々しげな亜久津と楽しげな千石は軽口の応酬をしている。
潤は亜久津をまじまじと見つめた。亜久津もテニス部だったのか。幸村といい跡部といい、自分の身の回りには本当に元・テニス部が多い。類は友を引き寄せるのだろうか。
千石は眉間に皺を寄せている亜久津の腕を軽く叩くと、不思議そうに潤に尋ねた。

「潤ちゃんこそなんで亜久津と知り合いなんだい」
「はん、それは俺の台詞だ。白岩、テメエ千石なんざどこで拾ってきやがった」
「はは、酷い言い方するなあ。僕たちは合コンで出会ってね」
「相変らず何も知らねえ女をだまくらかしてんのか」
「そんなこと……ち、ちがうんだ潤ちゃん!これは」
「おい白岩、こいつは女と見ればデレデレと鼻の下を伸ばす男だ」
「そんなことないって!」
「あ、そういえばここに来るまでにも『あの子かわいい!』って連発してましたもんね」
「そ、それは」
「……成長してねえな」

潤はこらえきれなくなってブッと吹き出した。さすが旧友である。こんな言い合いをしていても嫌な空気は全くなく、二人の間に確固たる信頼関係があるのがわかる。潤は二人の関係をうらやましく思った。冷たい愛の言葉もあれば、こんなにあたたかい悪口もある。
亜久津は苦虫を噛み潰したような顔をして、しかし潤には何も言わずにカウンターの向こう側へ回った。焦った顔で言い訳をしていた千石は潤の様子を見て弁明を諦めた。そしてお酒を飲んで一息つくと今度は打って変わって上機嫌にニヤニヤし始める。

「しっかし、亜久津がねえ。『そいつに何やってんだ!』だって」
「うるせえ」
「まさか亜久津、潤ちゃんの恋び」
「ころすぞ」
「なんでー?こんなにかわいいのに」
「おぼこい女は好みじゃねえ」
「うーん確かに亜久津の趣味ではなさそうだね……でもさあ、女の子をすすんで助けようとするなんて」
「うるせえ!ウブなこいつが変な男にひっかかって警察沙汰にでもなったらこっちが迷惑だろうが」

いつの間にか近くに来ていたマスターが、グラスを拭きながらカラカラと笑った。

「それは大丈夫だろ、ジン。潤ちゃんは結構しっかりしてるぜ」
「ああ?んなわけあるか」
「こういう場所では潤ちゃん浮いてるしねえ」
「ぐっ」
「でもよ、この前ナンパを軽くいなしてたぜ」
「そんなことしましたっけ!?」

潤はマスターの言葉にカンパリのグラスを落としそうになった。全く記憶にない。そもそも地味な格好でこんなところにいる自分へ声をかけてくる男なぞいない。もしナンパをされたら覚えているはずだ。

「ほら、先週だったか?『何飲んでるの』って聞いてきた男を笑顔で『ソーリー!』とかなんとか言って追い返しただろ」
「あれナンパだったんですか!?ただの酔っぱらいかと」
「な、なんで英語……?」
「俺に聞くな。外人と間違えたんじゃねえか」
「いや、その、ここのお店で酔っぱらいに絡まれたの初めてだったので焦っちゃってつい」

亜久津はフンと鼻で笑っている。潤はカウンターに突っ伏した。恥ずかしい。穴に入って閉じこもりたい。何でナンパで「何飲んでるの」なんだ。普通は「かわいいね」とか「一緒に飲まない?」とかじゃないのか!?ナンパの世界は奥深い。
クスクスと笑っていた千石はカウンターに肘をついて人の踊るホールを眺め、感慨深げに言った。

「酔っぱらいに絡まれたのが初めて、かあ。ここは治安がいいんだね」
「当たり前だ。暴れるやつは叩き出す」
「ふうん、亜久津がねえ。クイーンビーのために、ねえ」
「……テメエ、何が言いたい」
「潤ちゃん、クイーンビーって何か知ってる?」

亜久津は不機嫌そうにマスターから渡されたグラスを並べている。千石はそんな亜久津をさらっと無視して潤に話題を振った。

「? 女王蜂、という意味ではなくて?」
「うん。女王蜂という意味と、女王様のように君臨する女性、っていう意味があるんだよ」
「へえ、このクラブは女性なんですか」

そんなこと、ぜんぜん考えたことがなかった。潤はふとこの店のカウンターの奥にワイングラスを掲げた女性のポスターがはってあることを思い出した。アメリカンな雰囲気のそれにはThe Queen Bee Clubと店名が入っている。もしかしたら、クイーンビーとはその女性のことなのかもしれない。

「だからさー、あのトラブルだらけだった亜久津が女性、女王様のために真面目に働いて尽くしているんだと思うとねえ」
「ぶっつぶすぞ」
「自分からもめ事どうしてどうすんだ、ジン」
「……チッ」

潤は首をひねった。亜久津がトラブルだらけだった?ぜんぜん想像がつかない。亜久津は確かに怖い見た目をしているが、自分たちを助けてくれたし、このクラブでもトラブルを起こすどころかトラブルを潰す役割を果たしている。

「だいぶイメージが違いますね。千石さん、亜久津さんは私と美波のヒーローなんですよ」
「ええっ美波ちゃんとも知り合いなの亜久津!?なんで亜久津は俺の周りの女の子を浸食してるんだい!?ヒーローってどういうこと?」
「ああ!?」
「繁華街で変な人に絡まれてるとこを助けてくれたんです。それで私、亜久津さんが働いてるこのお店に来るようになって」
「なーるほど、そういうことだったんだ」
「チッ、ペラペラと」
「だから、亜久津さんがいるならこのお店は大丈夫だと思ったんです。あってるでしょ?」

千石は「そうだね」と言って笑い出した。亜久津はそんな千石を見て憤怒の形相になったが、ぐっとこらえて黙々と棚にコップを並べている。
潤はカンパリをぐいっとあおって、ホールの真ん中で踊り続けている女性を眺めた。人の視線をあびながら堂々と楽しんで喝采を浴びている彼女はまさにクイーンのようだった。潤には自分がああいったことができるようになるとは思えなかった。けれど、たとえ大勢にとっても女王蜂になることはできなくとも、自分が主人公として、自分が自分の女王蜂として生きていくことはできるはずだ。
もう、終わりにしなければならない。不満を抱いて、でも何もせずに周りに流されて生きるのは。私に必要なのは戦うことと、自立。自分をコントロールするのも自分。

「マスター、亜久津さん。お話があるんです」
「おう、何だ潤ちゃん」
「表にポスター貼ってありますけど、あれってまだ有効ですか?」
「バイト募集のことか?モチロン」
「……ああ?白岩、テメエまさか」
「まさか、潤ちゃん、亜久津に惚れてるの!?」

パキンという音がして、ガラスのコップが亜久津に握りつぶされた。クッキーのように軽々と砕けたそれは亜久津の右手からパラパラと落ちていく。千石を睨みつけた亜久津は額にくっきりと青筋を浮かべて拳を握った。潤は黙って千石にチョップを入れた。


(20140223)

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