カモマイルの悪魔 | ナノ


会食やパーティーなどのかしこまった場には慣れているつもりだったが、見合いの席にはそれとは別の重さがあった。見合いを終えて帰宅した潤は玄関で靴を脱いだとたんどっと疲れを感じて、その場で着物を脱ぎ捨ててしまいたくなった。だがそういうわけにもいかず、白岩社長に促されるままのろのろとリビングに入りソファに座った。幸村と白岩も同じく座る。
二人が季楽社長やKRKのことをああだこうだと話す横で、潤が疲れ切って口を利く気にもなれずに黙っていると、ふいに話題が見合いのことになった。
白岩は焦げ茶の鞄から釣書を出し一別すると、それをテーブルの上に広げた。

「さて先ほどの見合いのことだが、どう思う」

釣書には、季楽社長の息子のやたらと凛々しくキメた顔写真が見える。潤がなんと言おうかと考える前に、幸村がきっぱりと言い放った。

「お断りしましょう」
「彼が気に入らないのかね?」
「ええ、気に入りません」

潤は慣れぬ和服に息苦しさを覚えつつ静かに息を吐いた。これが少女漫画なら、お嬢様を慕う執事がお見合いを壊そうと奮闘するといったところだろうか。だがこれは現実であり、幸村が私を慕うがゆえに見合いを断っているわけではないことは一目瞭然だった。幸村のような女遊びの激しい裏表のある男に好かれても困るけれど。

「白岩社長。不躾ながらお尋ねしますが、次期の社長はどうなさるおつもりですか。お嬢様を次期社長として育てるおつもりはないように見えます」

唐突な質問に潤は面食らった。潤は白岩社長の方を見たが、彼は幸村の言わんとすることを理解したらしく、ふむ、と言ってあごに手を当てた。

「ああ、そうだな。潤に社長を強いるつもりはない。いざとなれば能力のある社員に譲るつもりではあるが、しかし」
「しかし?」
「できれば娘婿がいいとは思っている」
「やはりそうでしたか」

一瞬、潤の心臓が跳ねた。できれば娘婿に社長になってほしい。姉夫婦は遠方にいるから、その言葉の意味はつまり、潤は次期社長になれそうな人を夫にしてほしいということだろう。
幸村は釣書をこつこつと指で叩いて鼻を鳴らした。

「それならば、余計にお断りすべきです。季楽社長のご子息は、白岩社長の後継に据えるには力不足だと思います。将来性があるようにも思えません」
「そうか?若者は成長するものだから今はまだ分からんよ。君が言うならその通りかもしれないが」

幸村の真剣で辛辣な口調に白岩は一つ苦笑し、目尻を少し和ませてからかうように言った。

「君の目にかなう男を見つけてこなければならないなら、潤はかなり苦労するだろう。いっそのこと君が潤をもらってくれないかね」

潤を目を剥いて硬直した。なんという嫌な冗談を言うのだ。白岩は有能な幸村なら次期社長にするのもいいだろうとそう言いたいのだろうが、幸村が婿だなんて、それこそ冗談じゃない。人がいいのか信頼関係にあるせいか彼は幸村が自分の娘と険悪な関係になっていることに全く気が付いていないようだ。
幸村とて私なんかと一緒になりたいだなんてかけらも思っていないに違いない、と潤は確信していた。幸村の裏表ある酷い態度を見てもわかることだが、わざわざ潤と結婚するメリットが一つもない。仕事の能力、テニスの上手さ、人望、異性からの人気……あらゆるものを持っている幸村に対し、潤が持っているのは社長の娘という立場くらいのものだ。
幸村は季楽社長の息子を将来性がないと言ったが、相手から見れば潤も同じようなものだった。何者にもなれていない。特別素行が悪いわけでも特別良いところがあるわけでもない、ただの白岩社長の娘だ。社長の息子は自慢話ばかりで話がちっともおもしろくなかったけれども、楽しい話題が出せなかったのは潤とて同じこと。彼の気を引くような話題提供はできず、ただ相手に合わせるしかなかったのだから。むしろ、自信がない分、社長の息子よりも自分の方がダメなのかもしれない、と潤は思った。外見こそすました顔で落ち着いたお嬢様を演出できるようになったかもしれないが中身は何にもない。張り子の虎のようなものだ。誇りに思えることは、特技は?と聞かれれば答えに詰まる。今まで手を付けた趣味や勉強は一生懸命やってきたつもりだ。でも、それはあまりにも広範で、浅くて、私の特徴になるものがない。お嬢様らしくして父親に迷惑をかけないことは絶対守らなければならないことで、それでも、周りから与えられたものを一生懸命こなすだけではダメなんじゃないだろうか。

そんな潤をよそに、幸村は表情をちらりとも動かさず白岩社長の言葉を軽くあしらった。

「まさか私などが、とんでもない。ご冗談を」
「それは残念だ。それで、この見合いはどうしようか?潤が彼を気に入っているのなら受けてもいいんだよ、もちろん」

潤は顔を上げて父親の顔をまっすぐ見た。自分が情けなくて、でもどうすればいいのかよくわからない。しかしとりあえず、会社のことは抜きにしてもあの男と結婚するのは嫌だ。だから、せめて幸村に任せっきりにせず自分で断るべきだ。

「お父さん!」
「何だね」
「お見合い、お断りしてもいい?」
「もちろん。では、私は堂本に電話をしてこよう」

白岩は釣書を持っておもむろに椅子から立ち上がると、電話をしに部屋から出ていってしまった。
潤はお父さんの後ろ姿を見て、物思いにふけった。白岩社長もそうだが、周りの人はどうやって「生きて」いるんだろう。なぜその選択をしたのだろう、どうやってその道を見つけたのだろう。お父さんはお母さんと結婚し、娘婿として母方の祖父母が経営していた会社を継いだ。それが白岩カンパニーの前身だが、お父さんにはほかの道もあったはずだ。趣味としてテニスやゴルフをしているけれども、それだってほかのスポーツをするという手もあったはずだ。ならばなぜその選択をしたのか。好きだからといわれればそれまでだが、好きなものは、やりたいことはどうやって見つければいい?
扉の方をぼんやり眺めていた潤はふと視線を感じた。はっとすると、幸村と目があった。そういえば白岩社長が出て行ってしまったせいで二人きりなのだ。もう用事は終わったのだから幸村も私を放っておけばいいものを、なぜか彼は様子を伺うように潤のことを見ている。

そういえば、泉さんは前に幸村の生き方について疑問を唱えていたっけな。

思い出したとたん、潤の口からは自然と声が出た。

「ねえ、幸村。聞いてもいい?」
「……何でしょう?」

この嫌みったらしい口調にもすっかり慣れてしまった。潤は冷たい目をした幸村を前に、ごくりと唾を飲み込んだ。答えてくれないかもしれないけれど、嫌な男だけれど、聞いておきたい。

なんで幸村はうちで執事をやってるの。
会社の社員だけでも忙しいのに、なんで執事まで兼任するの。
出世したいってことなの。
それでも、別の道もあるでしょう。
今は大学生のころのようにうちに下宿する必要だってないはず。
幸村は私のことをこんなに嫌っていて、私だって幸村が嫌いなのに。
それでもお父さんに尽くしたいってこと?
じゃあどうして、どうして。

だが潤が口を開く前に再び部屋の扉が開いて、白岩社長が戻ってきた。彼はやれやれというように頭を振った。

「堂本に電話をしたら、先に季楽社長からも電話が入ったと教えてくれてね。うちが断る前にお断りされたよ」

潤は声を上げそうになって慌てて口を押さえた。二人で話していたときはノリノリだった社長の息子だが、それが演技だったとはあまり思えない。女性に特にこだわりもなさそうに見えた。思い当たることといえば、あのテニス。

「あー……精市くん、もしかして君、季楽くんに何かした?」
「いえ、何も?」

幸村は澄まし顔できっぱりと否定してから、白岩社長ににっこりと笑って見せた。白岩は幸村がしたことに気が付いたのか呆れたような半笑いになったが、それ以上何も言わなかった。
潤は詰めていた息をこっそり吐いた。私と結婚すれば幸村がついてくる。それは、彼の本性を見てしまった人にはきつい現実であるに違いない。


***


梅雨が近づいてきたのか、しとしとと雨がふっている。休講を利用して昼間に帰宅した潤は鞄の雫をタオルで拭いて、時計を確認してから手早く着替えた。午後2時45分。予定通り間に合った。
キッチンへ向かうと仁王雅治は既にキッチンのテーブルに座って、パックに入ったイチゴを摘みながら雑誌を読んでいた。彼は眼鏡のふちから潤に視線を送って手を軽くあげると、ちょんちょんとテーブルの向かい側を指した。
潤が椅子に座ったとたん、河西がキッチンの扉を開けて入ってきた。彼は向き合っている二人を見て気を利かせたのか、すまなさそうな顔で扉から出ようとした。

「お話の最中、失礼しました」
「いいの入って、別に聞かれたくない話じゃないから!用事あったんでしょ?」
「構いませんか?」
「もちろん」

河西はほっとしたように笑うと、キッチンの戸棚を開けて何か作業を始めた。潤が改めて仁王に向き合うと、仁王はテーブルに頬杖をついて掛けていた眼鏡を外した。

「それで、どうした?お嬢から話があるとは珍しいな」
「実は、仁王さんに聞きたいことがあって」
「何だ。まさか、また幸村と何かあったんか?」
「ううん、何も。そうじゃなくて、私この前お見合いしたんですけど」

仁王は眼鏡を丁寧に拭くと、眼鏡拭きをポケットに押し込んだ。

「それでいろいろ思うことがありまして。このままじゃダメだなあと思って、仁王さんの話を参考にさせてもらおうかと」
「そうか。それは分かったが、具体的には何のことだ?」
「『人生』のことです」

潤が意を決してきっぱり答えると、彼は眼鏡を右手からぶらりと垂らして、ぽかんと口を開けた。


(20131215)

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眼鏡仁王、いいじゃない!本読むときだけ眼鏡かけてたらいいなあという願望。

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