カモマイルの悪魔 | ナノ


つい、対幸村用・お嬢様モードが出た。非の打ち所のない完璧な仮面。パーティーでならふさわしいそれは、ここでは明らかに場違いだった。潤に話し掛けた茶髪の男は笑顔のまま凍り付いている。しまった、やってしまった。後悔しても、一度言ってしまったセリフはなかったことにはできない。

潤は笑顔の下で焦りつつ、八つ当たりしたい気分で恨めしげにその男を見た。すらっとしていてお洒落な、遊び慣れた感じがする男。テーブルの隅っこでお酒をちびちびと飲みながらひっそりと合コンをやりすごそうと思っていたのに、突然隣に座ってきて「君カワイイねー!今度俺とデートしない?」なんて声を掛けてくるからだ。その言葉のあまりの軽さに幸村の『愛の言葉』を思い出し、つい、普段の幸村に対応する調子でにっこり笑いながら「ありがとうございます」と返事をしてしまった。普通の女子大生ならそんな返事はしないだろう。「えーそんなことないですー」とか「やだーお世辞はいいですよー」などと返すべきだった。どれだけ自惚れてると思われるか。さぞかし冷たい返事に聞こえたに違いない。場合によっては、拒絶してると思えるくらいの。

客で一杯になった土曜日の飲み屋は、話し声や笑い声で満ちていた。カチンとグラスを合わせる音や皿をテーブルに置く音も混ざっている。店の一角を占領している若い男女は席を代えてはノリ良く自己紹介をしていて、一見して合コンをしていることが明らかだった。それなのに、その場のすみっこでは潤と男が気まずそうにしている。明らかに浮いているに違いない、と潤は焦りをつのらせた。手の中のハイボールの氷が溶けて、空気を読まずにカラリとなった。
この凍り付いた空気をどうしようか悩んでいると、男はぽつりと言った。

「えーと、君、こういうの、慣れてるの?」
「あっ、その、いやそういうわけでは」
「もしかして俺うざかった!?」
「そんなことないです!違います!」
「あーよかった……ここまで完璧に隙のない返事を返されたのは始めてだよ俺」
「すみません」
「責めるつもりじゃなかったんだ、ごめんね」

ぺこぺこと頭を下げると、気を取り直した彼は微笑んで私の肩を優しく叩いた。
ジントニックのグラスを手にする長い指、凝った文字盤に光を宿す腕時計、アイロンの効いた袖口から見えるシャツ。シトラスのような爽やかな香りがする。こなれた装い。同級生達とは違う。この人は、大人だ。年は幸村と同じくらいだろうか。確かに美波が言っていたように、大人の男の方が距離を取るのが上手い分、話していて楽かもしれない。

「ただ珍しいなって思ってさ。潤ちゃんだっけ?」
「はい。この人数なのによく私の名前分かりましたね、千石さん」
「女の子の名前は自己紹介のときに全員分覚えたからね!潤ちゃんこそ俺の名前覚えててくれただなんて、もしかして運命?」

胸を張っておちゃらける彼に潤は吹き出した。なんだこの人、面白い。最初はただのチャラ男なのかと思ったけれど、明らかに私に気を遣って笑わせようとしてくれている。いい人なんだろう。女好きっぽいけれど、同じ女好きでも女性に冷たい幸村とは違って優しそうだ。怒った女性にビンタされることはあっても、相手の女性を精神的に追い詰めたりはしなさそうな人。

「さっき美波が『千石さん』って呼んでたから分かったんです」
「潤ちゃんは美波ちゃんと友達なんだ?」
「はい。千石さん、美波にも私と同じこと言ってましたね、デートしない?って」
「うっ。聞いてたの」
「はい」

含み笑いをしながら答えると、彼は「そ、それはね」と焦り出した。軽々しく可愛いだの何だのと言う割には真面目らしい。どうせ真面目に口説いているわけじゃないんだから気にしなくていいのに。失礼ながら吹き出すと、千石は頭をかいて「まあ、いいか」と言った。

「ごめんなさい、気を遣わせてしまって。勝手に隅っこにいるだけなので私は大丈夫です。どうぞ向こうで楽しんできてください」
「気を遣ってなんかいないよ、潤ちゃんと話がしてみたかったからこっちへ来たのさ!」
「またまたー。美波と話してたときの千石さん、顔とろけそうでしたよ。千石さんだけじゃないけど」

離れた場所にいる美波には、また別の男が熱心に話し掛けている。美波は美人なだけじゃなくて話題も豊富だから人気があるのは当たり前だ。現に、向こうはとても盛り上がっている。女をおとそうと微笑む男の顔は、大嫌いだった。でも楽しそうな人を見ながらひっそり飲むのは嫌いじゃない。むしろ、混ざって騒ぐよりもそっちの方が好きだ。クラブでもいつもやっていることでもある。合コン参加者の大半は知らない人だったけれども、みんな雰囲気は良かった。積極的に話しかけては楽しそうにわいわいやっている。楽しく話すのは好きだけれど、どうしてもあの場に混ざりたいと思えなくて、自分は進んでこうして静かに座っているだけなのだ。だから、千石が気を遣って話し掛けてくれたことが有り難くも申し訳なかった。
彼は困ったような顔をした。

「本当だって。潤ちゃん、ハタチそこそこの女の子にしては人慣れしてるし態度も堂々としてるし、その割には人の会話に混ざろうとしないし。達観してるからどんな子なのかなあと」
「え、そ、そうでした?」
「ほら、さっきの『ありがとうございます』にしても」

そうなのかもしれない、と潤は思った。父親の会社が成功してからというもの、家にはマスコミから会社関係者から取引相手まで、たくさんの大人達が訪れるようになった。パーティーに出る機会もあり、初対面でもにこやかに当たり障りなく会話することができる。単なる慣れだけれど、こういう立場にでもならなかったら慣れていなかったに違いない。

「それとも、潤ちゃん、もしかして男嫌いだったりする?」

さっきまでの軽い口調は影を潜めていた。ちらっと千石を伺うと、にこやかな表情ながらも真剣な目をしている。潤は彼から目を反らして一杯、手元にあったハイボールをあおる。予想以上にアルコールのきついそれにむせ返りそうになったが、なんとかこらえた。
男嫌い、か。美波にもそう聞かれた気がする。

「別に、男が苦手なわけでもないですし、男は汚いとか嫌だと思うこともないので、違うと思います。なんでそう思ったんですか?」
「態度かな」
「冷たい態度、とってました?ごめんなさい」
「冷たいっていうより壁作ってるよね。隙がないように見えるな」

潤は目を見開いた。当たってる。心は簡単には開かない。開いちゃいけない。お父さんの力やお金を欲しがる人たちは、お父さんだけでなく娘の私やメイドにまで言い寄ってくる。それは既に経験済みだ。だいたいの人は私に愛想良くし、頭を撫で、時にはプレゼントをくれる。でも、お父さんはこう言った。だからこそよく知らない相手にほだされてはいけないよ、と。そう言われたのはだいぶ昔の話だけれど、確かに今でもそういう意識を私は持っている。

「なんでわかったんですか」
「そりゃあね、君よりずっと長く生きてるんだから見破れることもあるよ」
「ずっと長く?ま、まさか実は30代後半くらいとか!?」
「……いや20代後半なんだけど」
「なんだ、じゃあそこまで年かわらないじゃないですか!あー、焦った」

本音がぽろぽろと漏れる。千石はお酒を飲む手を止めて、最初に話し掛けてきたときのように笑った。

「ようやく俺に慣れてくれた?」
「はい。ありがとうございます、千石さん」
「いやあ、こんな可愛い子と出会えて心まで開いてもらえるなんてラッキー!」
「そこまで開いてないですよ」
「それなら俺が開けてあげるよ」
「いらないです」

潤と千石は顔を見合わせると、同時に吹き出した。おかしな会話。真面目さと不真面目さが混ざっていて、重すぎも軽すぎもしない言葉のやりとり。やっぱりこの人は大人なんだな、と潤は笑いながら再確認した。

「美波がこういう体験もしてみなよ、って合コンに連れてきてくれたんです」
「そっか、いい友達を持ったね。美人だし」
「はい。性格もいいんですよ、あの子。千石さん、美波と付き合いたいなら協力しますよ!」
「それがアンラッキーなことに、あっさり『ごめんなさい好みじゃないんで』って振られちゃって」

がっくりと肩を落とす彼に潤は愕然とした。彼女らしいといえば彼女らしいのだけれども。

「そういえば美波は純粋真面目っぽい男の人が好みだって言ってたような……あっごめんなさい千石さんがチャラ男だって言いたいんじゃなくて!」
「き、君もストレートだね……いや構わないけどね」

離れたところに座っていた幹事が「そろそろラストオーダーみたいでーす!」と叫ぶのが聞こえた。


(20121217)

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